連載コラム:「星に導かれた羊飼い」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第46回
星に導かれた羊飼い

関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区 原田 聖子

  わたしがカトリック多摩教会に通うようになり、もうすぐ丸2年目になります。初めて来たのは、一昨年の「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」でした。
 わたしは、幼児洗礼を受け、一応カトリック信者の家庭で育ち、幼稚園はプロテスタント、小学校から高校まではカトリック系の一貫校に通いました。しかし、約40年前の当時のカトリック校は、第二バチカン公会議を受けた過渡期だったのでしょう。いじめもあり、そのため転校(外部受験)するということは、信者にとって「信仰に反する重大な問題」でした。中学のいじめで「高校は外部を受けたい」と伝えると、担任と校長(シスター)に「あなたは悪魔に操られているのよ!」と叱責され、両親の反対もあり、以後、信仰から離れてしまいました。
 その後、逃げるように九州の実家から東京の大学を受験して上京し、こちらで就職しました。その間は、たまにミサに出たり、困難に出会ったときには、幼い頃に身に付けた天使祝詞(アヴェ・マリアの祈り)を口ずさんだりする程度でした。
 39歳の時、職場の厳しいパワハラを受け精神的にも参り、「ずっと教会に行っていない罰かな」と思い、自宅近くのカトリック教会を訪ねましたが、何度も受け付けで追い返されました(精神疾患や障害に閉鎖的なところは多い)。やっと主任司祭と話す機会を得て、教会籍も復籍し堅信も受けましたが、今度は信者さんからのいじめが始まりました。

 そんな時、多摩教会の「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」を知ったのです。でも小教区以外の教会に行くことには遠慮があり、所属教会で夜半のミサを受け、翌日25日の日中のミサとクリスマス会に多摩教会に行くことにしました。寒く晴れた朝、自転車で小平市から多摩市に来て、明るい聖堂でのミサは、説教だけでなく、誰もが笑顔で温かく、その後のパーティにも部外者なのに招いてもらい、びっくりしました。
 社交的な場は苦手で、後片付けをしている時、知り合ったのが信者のミカエル君です。彼は、苦労の多い半生を何の屈託なく話してのけ、「こんな人生でも楽しまなきゃ」、「何か困っていることある?」と聞いてくれました。わたしは「居場所がない」と答えました。
 彼は、翌年の2月に急逝してしまいましたが、たまたま彼の葬儀ミサ当日の早朝、多摩教会ホームページにある『多摩カトリックニューズ』(2013年2月号)の晴佐久神父様の「巻頭言」(http://goo.gl/2DrCqD)で知り、駆け付けました。それからは、彼の友人たちが、わたしをずっとサポートしてくれました。彼の遺品の聖母像やロザリオなどを下さったり、納骨までの日々、共に祈りをささげてくださったり・・・。

 やがて、入門講座に通うようになりましたが、みなさん、わたしの体調(心因性)も、理解して接してくださいます。こうして、昨年の12月末(彼に最後に会った「聖家族」の主日)に、多摩教会に転籍しました。
 今、ここは、何があっても、わたしの「心の居場所」です。まさに「オアシス」です。わたしは、まだ「人生を楽しむ」まではできないけれど、「一瞬ずつ大切に過ごす」ことを努めています。小さな事に誠実でありたい。
 思えば、小学校低学年合同のクリスマス会での生誕劇で、わたしは2年連続「羊飼い」でした。当時は、多くの生徒と同じかわいいローブの天使の群れの一員になりたかったけれど、今、幼い「羊飼い」は天の父の計らいで、聖霊という多摩の「星」に導かれて「教会」というオアシスにたどり着き、御子イエスのみ前に居られるのでしょう。