新受洗者を大切にする真の教会として (受洗者記念文集:晴佐久神父巻頭言)

主任司祭 晴佐久昌英

 「受洗者記念文集」というものを発行している教会が、日本にいくつあるのでしょうか。調べたわけではありませんが、とても珍しいことであるのは確かです。私たちカトリック多摩教会が、その年に受洗した数十名の新受洗者全員の感想をまとめた記念文集を、こうして毎年欠かさずに発行しているのはとても貴重なことですし、教会全体にとっても励ましになることではないでしょうか。

 この文集を発行する第一の目的は、新受洗者のことを少しでも知っていただいて、教会家族として受け入れてもらいたいからであり、これからも教会家族みんなで彼らを支え、信頼関係を育てながら長い目で見守ってほしいからです。
 読んでいただければわかるように、受洗者の多くは体の面でも心の面でも、信仰の面でも社会的な面でも、大変弱い立場にある人たちです。だからこそ神は、病気のわが子を特別に可愛がって看病する親のように、この受洗者たちを特別に教会に招いて福音を語りかけ、救いの喜びに与らせたのです。
 そのような弱い人たちが多く集まる教会こそは本物の教会だと言えますが、当然そのような教会には、そのような人たちを守り育てる使命も与えられています。
 生まれたての赤ん坊は自分ではまだ何もできませんし、傷つきやすい上に免疫力も弱いので、慎重に扱わなければなりません。同じように、新受洗者たちもまだ信仰のこと、教会のことがよくわからず、心は傷つきやすく、さまざまな出来事に対する免疫もありませんから、一人ひとりを優しく受け入れ、時間をかけて理解し、忍耐強く見守らなければなりません。
 この文集が、そのような相互理解の一助となればと思います。

 パウロの手紙を読むまでもなく、初代教会のときから、新受洗者のために熱心に祈り、新受洗者を大切に守り育てていくことは、キリストの教会のとても重要な特徴であり、美しい習慣です。
 これからも私たちの教会が、新受洗者を大切にする真の教会として成長していきますように。

エクレシア(受洗者記念文集)

三国 紀夫(仮名)

 初めてカトリック多摩教会を訪ねた時を境に、私自身にどんな変化が起きたのか。受洗後によく思いを巡らしていました。しかし、今の実感として確かなことははっきりとは分かっていません。
 そのような訳で、一番書きがいのある題名で書くことができませんでした。毎日つけている日記を見ても、よくぞこんなに些細なことにあれこれ悩めると感心しつつも、そのような落ち着きのない自分が参考にならず困ってしまいました。私は相も変わらずバラエティ豊かな葛藤に囲まれてジタバタし続けています。
 しかし、これは勘なのですが、私は教会を知ることで、信じるものを守り切ることができたような気がします。ただそれだけの理由で、目まぐるしい世の中を御心にかなうように生きようと思うのです。もうそれだけです。
 神様が、ここに私を導いてくださったことに感謝します。教会の皆さんにも感謝の言葉もありません。このような未熟者ですが、これからもよろしくお願いいたします。