連載コラム:「訪日教皇ミサ -in- 長崎」に参加して

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第104回
「訪日教皇ミサ -in- 長崎」に参加して

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 金澤 真実

 この度、長崎でフランシスコ教皇様が捧げられたミサに参加するお恵みをいただきました。東京のミサへの参加は抽選で、長崎のミサへの参加は申込み先着順と知り、すぐに申込みました。この長崎への旅は、ミサへの参加に加えて、私たち夫婦にとって新婚旅行で訪れて以来、またカトリックへ転会後、初めての訪問だったので、一生の記念に残る巡礼の旅になりました。

 長崎市内では、幹線道路の電光掲示版に、「11月24日ローマ法王来県! 渋滞緩和マイカー自粛をお願いします」と繰返し掲示され、路面電車の車内放送では、市内にある純心女子高校放送部による教皇様の長崎訪問時のマイカー自粛が呼びかけられており、教皇様来日(来県)への期待が高まりました。
 当日の天気予報は雨。東京から持参した雨具に加えて、前日までにビニール製の合羽やズボン、使い捨てカイロなどを買い込み、宿から会場までと会場入口付近の様子を下見して、万全の備え? で当日を迎えました。ミサは、座席ブロックの指定のみだったので、なるべく早く行こうと、入場開始時間の9時すぎに最寄り駅に着きましたが、そこには既に長い行列がありました。
 雨がだんだん激しくなる中、私たちも早速この列に加わり、割りあてられたブロックの一番前の席に座った時にはホッとしました。その後、雨はますます激しくなり、雷まで鳴り始めました。会場の長崎県営野球場には屋根がなく、傘の使用は禁止のため、レインコートの隙間から入り込んでくる雨に濡れながら、座席に座って待ち続けました。けれどもこの時間は、私たちも、お隣の和歌山からのご夫妻も、後ろのスペイン語の方々も、その時会場にいた誰もが、教皇様に会えるという期待と喜びを共有していた時間でした。
 ミサ開始の時間が近づくにつれて、激しい雨が小雨となり、ついに雲一つない青空と眩しい日差しが現れた時には、教皇様のご体調を気遣う私たち一同の祈りを神様が聞いてくださったのだと思いました。
 1時30分、ついに待ちに待った教皇様がパパモービルに乗って会場に入って来られ、人々を祝福される優しい笑顔が遠くに見えました。その瞬間、教皇様の「あなた方のことが大好き」という思いが伝わってきました。どんなに多くの人がいても一人一人に目を留められる教皇様を近くに感じることができたことは、大きな喜びでした。

 今回、鶴巻神父様のご紹介で、市内の巡礼地を案内してくださったある信者さんは、ご訪問準備のお手伝いを毎日しているとのことでした。そしてこの日は、巡礼団の大型バス誘導のため、ミサには参加できないと伺いました。長崎の信者さんなら、何を置いても参加したかったに違いないこのミサに、このような形で犠牲をささげられた方々がいらっしゃいました。フランシスコ教皇様は、裏方に徹しミサに参加できなかったこのような方々のことをお心に留めておられたに違いないと思います。
 最後に、今回のミサ参加には、喜びのおまけがありました。それは、以前勤務していたキリスト教団体で同期入社の友人が、私の斜め前に座っていたことです。お互い東京に住んでいるのに会う機会がなかったのですが、3万人が参加したこのミサで、数十年ぶりに再会した不思議な恵みに感謝しました。

12月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 10月4日の初金ミサ、この日の聖人はアシジの聖フランシスコでした。説教の中で豊島神父様は、まず、10月がロザリオの月であるので、忙しい生活のなかで自分を見失っている人々に、祈ることにより、聖母のとりつぎを願い、ロザリオの神秘に与る機会を持ってほしいと勧められました。そして、聖フランシスコが生涯をかけて求めたものについて語られました。富豪の家に生まれ、名誉を求め、十字軍に参戦したが、病にかかり、脱落して帰国。だが、心はむなしく、自分の居場所を求めて、修道生活に入ったこと。ひたすら清貧を求め、何も持たず、裸のままでいられることを有り難く思う境地を求めたこと。
 この聖人と同じ名前の教皇フランシスコは、我々が住むことを運命づけられている地球を傷つけ続けていることに警告を発しておられます。人間はどんなに追い込まれても、祈ることができます。その祈りにより、複雑な生活のなかでのシンプルさを求めることができます。「すべてのいのちを守るため」というテーマを持って来日される教皇のことを頭に入れて、前に進んでいきましょう。
 ミサ後、信徒館で今後話し合うテーマについて率直な意見の交換を行いました。今後ともより多くの方々の参加をお待ちしております。

2019年「多摩カトリックニューズ」バックナンバー

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2019年


12月号

(No.556)

2019.12.14

救い主を意識したクリスマス豊島 治 神父
「訪日教皇ミサ -in- 長崎」に参加して諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区
金澤 真実
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


11月号

(No.555)

2019.11.23

まねかれています豊島 治 神父
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


10月号

(No.554)

2019.10.26

考えます豊島 治 神父
シニアの集いに参加して鶴牧・落合地区
北村 司郎
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


9月号

(No.553)

2019.9.21

かわります豊島 治 神父
S君の孤独死のこと関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区
井上 信一
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


8月号

(No.552)

2019.8.24

意識もちます豊島 治 神父
大川小学校の衝撃南大沢地区
加藤 泰彦
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


7月号

(No.551)

2019.7.20

見つめます豊島 治 神父
今の貴方のためのオアシス – 中高生会復活 –濱野 洋一郎
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


6月号

(No.550)

2019.6.15

提出します豊島 治 神父
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


5月号

(No.549)

2019.5.25

聞こえています豊島 治 神父
チャリティギターコンサートを終えて南大沢地区
加藤 泰彦
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


4月号

(No.548)

2019.4.20

つづきます豊島 治 神父
多言語による聖書輪読マイナ・アーネスト・ウェケ
「初金家族の会」からのお知らせ藤田 照子


3月号

(No.547)

2019.3.16

受けて・遣わされます豊島 治 神父
恵みあふれる2年間前司牧評議会委員長
中嶋 誠
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


2月号

(No.546)

2019.2.23

すごします豊島 治 神父
教会委員長就任にあたって2019年度司牧評議会委員長
小俣 浩之
立春の日の明け方、こんな夢を見た福音史家ヨハネ
山口 泰司
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


1月号

(No.545)

2019.1.19

備えます豊島 治 神父
侍者奉仕の思い出愛宕・乞田・鹿島・松が谷・和田地区
齋藤 浩
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一

(その他の年度は こちら からご覧ください)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「まねかれています」

まねかれています

主任司祭 豊島 治

 私が小学生のとき通っていた教会学校には、「せいれいシスター」と揶揄(やゆ)されて、子ども達に怖がられたシスターがいました。揶揄というと各方面に失礼となりますが、やんちゃな一学年30人を擁した教会学校ではそんな雰囲気がありました。
 その「せいれいシスター」の授業は、月の第二日曜日でした。第二日曜日とわかると、ミサの後、さぼるかどうか、同級生とささやき合うのでした。でも、ミサ後に出される軽食がパンの日で、生クリームたっぷりのイチゴパンでしたので、それを頬張って至福のとき(当時は食べることができました)となると、教会学校開始のブザーがなって整列し、逃げ遅れたというしかめっ面をしながら列に並び、クラスに分かれて部屋に移動するのでした。

 「せいれいシスター」と言われる所以(ゆえん)は、徹底したお祈りの授業でした。畳の部屋があって、そこに座って、祈る。じっとしていることが苦痛な年代にとって、始まりは楽しいものではありませんでした、シスターは姿を現すと、満面の笑顔で「よくきたね」「おいで」と招くのです。女の子は笑顔で応じ、男子は照れながらそれに従うという光景でした。
 することは単純。座って、まず挨拶します。でも、普通の形ではありません。「日曜日は神さまの日です、朝なにをしますか?」という促しを受けます。ニューズを読まれている皆さんは即答でしょう。日曜日が主日といわれているように、主は神さまであるから、神さまの日、5月に「母の日」があるように6月に「父の日」があるように、日曜日は「神さまの日」と教えられていたのです。ですから、「神さま日曜日だね、おめでと」というお祈りの始めのあいさつが、それぞれの心のあいさつとして始まります。そのとき、座ったままでいいからお辞儀をするというのが習わしでした。
 そして座ります。徹底して静かに息をすることから始めます。足を地に着けて、背筋を伸ばし、入ってくる新鮮な空気を体の隅々にまで届くかのようにします。そしてゆっくり吸い、そしてゆっくり吐き出す。そんなことの繰り返しで、神さまの心を感じる。15分間は、恥ずかしいやらでもごもごしていましたが、やがて45分間、座って・静かに・前向きになって沈黙の祈りをすることができるようになっていました。
 そんな「せいれいシスター」が、この3月をもって、教会での奉仕を引退なさると風の便りでうかがいました。足腰がきつくなったとのこと。40年過ぎて教会学校の仲間と会うと、「毎日最低15分間の祈りをしなさい。聖書と聖人の言葉をききなさい」を口ぐせにされていたシスターの言い方を真似して笑い合います。当時と今は違うしょう。ですから、今の時代に合った祈りへの導入を、シスターの教え子のすべてができるわけでもありません。でも、その土台があって神さまの愛に立ち戻れていると分かち合っています。

 「教皇フランシスコ訪日」というマスコミの記事が多々掲載されるようになりました。このニューズ発行の日は、まさに教皇さまが羽田空港に到着なさる日です。教会の「パパさま」たる教皇さまが来られるのですから、興奮して息が荒くなる人がいるのは当然でしょう。でも、我らのパパさまが、何を私たちに伝えたかったのかを、しっかり自分の中に取り込むには長い時間がいります。議論したくなる気持ちを抑えて、座って自分の心に取り込み、力にする時間をもって整えてからにしましょう。
 私たちの場所に来られたパパさまの歓迎をしたのちは、救い主イエスさまを迎える待降節となります。私たちにはじめて姿を見せた幼子イエスさまは、 「飼い葉桶に寝かされた乳飲み子」と聖書にはあります。寝ていること=寝息を立てている以外、何もしていません。たくさん神さまからの息吹を感じて、大丈夫の安心を頂いて、頂いたことばを力にしましょう。

11月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 ハロウインの翌日で、やっと秋晴れとなった初金の日は、諸聖人の祭日でもありました。
 神父さまは、キリスト教の祭事の中で、この諸聖人の祭日の位置付けの変遷を話されました。次いで、教皇さま来日に関しての話の中では次のように話されました。「教皇さまが何をおっしゃりたいか受け止めることが大切で、「命」が大切なテーマになっています。命には生死と、喜怒哀楽、葛藤があります。そのなかでどう生きるか問題となります。『聖徒の交わり』との言葉があります。神様に愛された諸聖人と祈りの中で繋がり、希望を持って生きる大切さを、今日の日は示しています。」
 初金家族の会は、カテドラル聖マリア大聖堂の由来、パイプオルガンの音色の話などビデオをみて鑑賞、分かち合いました。家族の会について、「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコ12:31)が、隣人と家族になることを示しています。家族だから集い、話し、分かち合い、助け合うのが家族の会です。今回も3人の方がこの家族的雰囲気の中で、今の信仰に至った状況を話され、参加者と分かち合うことができました。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「考えます」

考えます

主任司祭 豊島 治

 気象災害といわれる被災地が多く、お見舞い申し上げます。
 今なお困難を極める現実に途方に暮れている方々が多くおられます。台風15号、19号、そして21号の影響を受けた降雨による被害は、東日本大震災のダメージから少しずつでも復興しようとして、積み上げた鉄道軌道の復旧をはじめとするインフラや、ためてきたものを奪っています。被害の範囲が広く、報道各局も、どの拠点から報道すべきか迷っているようです。しかし、水害というのは地震とは異なり、外観からははっきり見えない、それ故共感共有がしにくいという心理も働きます。
 カリタスジャパンは既存の東北にある四つのボランティアベースが対応し、初動は断水地域に水の運搬から始めています。千葉県内被災地については現地の社会福祉協議会との連携を模索中ですが、天候が落ち着かず苦慮しています。大田区の多摩川支流氾濫対応で、田園調布教会の信徒が有志として炊き出しをしています。

 台風によって多摩教会も新たに地下駐車場が浸水しました。専門用語では内水氾濫によるもの、といいます。内水氾濫とは、大雨・豪雨の雨量が下水道、側溝、排水路の雨水処理容量を上回り、土地・建物や道路、地下道などが水浸しになる現象です。
 今回の地下駐車場での出来事は深いところで10センチというものですが、排水処理能力を超える降雨でしたので溢れたのです。浸水時は真水かと思い、営繕のかたを中心に掻き出しをしましたが、掻き出しだけでは混合物はとれませんでした。除去については今後も対応を継続していきます。
 注意喚起をしますが、10月の末のこの時期に千葉県の上空で積乱雲が発生して大雨が降るという現象が近年ないことですから、こればっかりは、「たいしたことない、今までそんなのなかったから」と人生の経験知を信じている現代ではありません。
 川の様子を見に行くことも言語道断です。まずは、いのちを大切に。川の様子はインターネットで確認できます。今後、教会周辺の危険を感じたときは、10月12日にしたように、教会に来ることに対して、皆さんにストップをかけることもあることを了承ください。

 教皇さまも2015年発行の回勅「ラウダート・シ」のなかで既に言われているように、地球が必要以上に「温まっている」ことを指摘して、気候は人類共通の財産であると明言しています(23-26項)。そのためには、私たちが地球という存在をケアしていくとあります。教皇さま原語では英語でいうcareと明記されていますが、日本語訳は「大切に」としています。翻訳を担当した神父さまは「配慮」「気遣い」「心に掛ける」「世話をする」というcareをどのように訳するかと悩んだそうです。同じようでいて求められる行動は異なるものだからです。私たち人間が気候のために何ができるのかをcareという原語に即して行動する時期がきています。

 11月に入りますと、教皇さまの来日のムードが本格化します。東京ドームでのミサに応募された方については、11月15日までに入場券が届くそうです。一方、届かなれれば落選となるという情報です。
 多摩教会では教皇ミサの模様を映像で見るための準備をしています。発信元の教皇ミサ実行委員会の情報を待って、詳細をお知らせします。台風の影響で、できなかった福音宣教特別月間の司教団が要求した内容の掲示も数週間継続します。いずれも詳細はホームページでの広報をお待ちください。

 201910news-1  201910news-2
台風の影響当時と平常の多摩川-京王線陸橋-

201910news-3巡礼者のために聖コルベ神父の紹介を作成

連載コラム:「シニアの集いに参加して」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第103回
「シニアの集いに参加して」

鶴牧・落合地区 北村 司郎

 多摩教会の今年のシニアの集いは、9月28日(土)、29日(日)主日のミサと、そのあとのセレモニーと日曜日の食事会という形で行われた。今年もこの集いに参加させていただき、感謝申し上げるとともに、当日感じたことを記させていただく。

 多摩教会のシニアの会は数年前75歳以上と決めて、今年は終戦の年の4月1日誕生日の方まで、名簿の上では191名の方々にのぼる。少子高齢化の日本の社会にあって、教会もその例に漏れない事例だと思う。そこで、私たちシニアは社会的にももちろんだが、教会という集団の中で何をしていけばよいのだろうか。もうトシだからと言って、教会の活動を避ける傾向は私自身の中にもある。
 しかし、多摩教会の規約は聖堂共同体という言葉が使われている。教会は共同体、すなわち、コミュニティなのである。以前、幼児洗礼が行われると、当時の主任司祭からは、子供を育てていくのは、両親と代親だけでなく教会全体が責任を負わないといけない、という言葉をよく聞いた。すなわち、それがコミュニティとしての教会の在り方なのだと思う。それであれば、我々シニアにも何らかの出番があると思う。顔と顔が向き合った集団、お互いの人間性がぶっつかりあった集団、だから難しい集団ともいえる。でもだからこそ、子供から我々シニアまで何らかの役割を与えられた集団といえる。

 ミサの終わりに、神父様がホイベルス神父様の「最上のわざ」をお祈りした。私は何年か前、ホイベルス神父様の「年をとるすべ」の中で、この祈りに出会った。その時に比べ、今回、非常に新鮮に感じたのは私自身がトシを取ったからかもしれない。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。 それは祈りだ。
手は何もできない。 けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

 手足が萎えて何もできないと感じたとしても、私たちには希望がある。キリスト者としての希望である。それがまさに「最上のわざ」なのだ。実行委員長が、「この祈りは素晴らしい。座右の銘にしたい」と最後のあいさつの中で話されていたが、多くの方々が同感だったのではないかと思う。

 食事会の最後に小俣さんの伴奏で「里の秋」を歌った。

しずかなしずかな里の秋
おせどに木の実の落ちる夜は
ああかあさんとただ二人
栗の実にてますいろりばた

あかるいあかるい星の空
なきなきよがもの渡る夜は
ああとうさんのあのえがお
栗の実たべてはおもいだす

さよならさよなら椰子の島
お舟にゆられてかえられる
ああとうさんよご無事でと
今夜もかあさんと祈ります

 この童謡、終戦の年の12月24日NHKで放送され、反響を呼んだそうだ。この歌は里に住む、二人が秋の静かさ、寂しさ、わびしさを歌ったと思っていたが、3番をみるとその解釈は間違いであることに気づく。寂しさ、わびしさはとうさんがいないからである。とうさんは南方の戦地に行っていて、やがて船に乗って帰ってくる。
 私たちが戦後のこの社会を築いてきたわけであるが、もし、唯一誇れるとしたら、この75年間、このような家族を、とうさんや若者を戦地に送るような社会を作らなかったことだと考える。しかし、最近の日本の状況をみると、戦前の社会に非常に似ているという。戦地に送ることも可能な状況になっているという。
 私たちがこの社会に対してもできることは、まだまだあると思う。

 この集まりを準備して下さった、教会の皆さんに感謝します。おいしい食事を当日提供して下さった地区の皆さんどうもありがとうございました。
 これからも身勝手なシニアをよろしくお願いいたします。

10月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 10月4日の初金ミサ、この日の聖人はアシジの聖フランシスコでした。説教の中で豊島神父様は、まず、10月がロザリオの月であるので、忙しい生活のなかで自分を見失っている人々に、祈ることにより、聖母のとりつぎを願い、ロザリオの神秘に与る機会を持ってほしいと勧められました。そして、聖フランシスコが生涯をかけて求めたものについて語られました。富豪の家に生まれ、名誉を求め、十字軍に参戦したが、病にかかり、脱落して帰国。だが、心はむなしく、自分の居場所を求めて、修道生活に入ったこと。ひたすら清貧を求め、何も持たず、裸のままでいられることを有り難く思う境地を求めたこと。
 また、次のように続けられました。「この聖人と同じ名前の教皇フランシスコは、我々が住むことを運命づけられている地球を傷つけ続けていることに警告を発しておられる。人間はどんなに追い込まれても、祈ることができる。その祈りにより、複雑な生活のなかでのシンプルさを求めることができる。『すべてのいのちを守るため』というテーマを持って来日される教皇のことを頭に入れて、前に進んで行こう。」
 ミサ後、信徒館で今後話し合うテーマについて率直な意見の交換を行いました。今後も、より多くの方々の参加をお待ちしております。