投稿3:幼児洗礼

幼児洗礼「ありがとう、はるちゃん」

内山 啓子

 「おめでとう!」「おめでとう!」ってみんなに祝福されて、私たち、まるで結婚式の日のようでした。
 はるちゃん、あなたは私たちにこんな大きなプレゼントをしてくれましたよ。ありがとう! はるちゃんがいると、みんな幸せになれるんです。
 あなたの笑顔、最高! 寝顔、天使のよう! ありがとう、はるちゃん!
 一緒にお祈りしましょうね。小さな幼い時のお祈りってどんなかしらね。
 それはきっとお父さんとお母さんのお膝に小さな可愛いお花を一つひとつ届けにいくようなものでしょうね。
 神さまは目を細めてきいていらっしゃいますよ。
 いつでも、どこでも、どんな時にも「あのね、イエス様」って、神さまとお話しましょうね。
 私たちもずっとずっと、天国に行っても、はるちゃんと家族みんなのこと、祈っていますよ。ありがとう、はるちゃん!

おじいちゃん、おばあちゃんより

幼児洗礼

はるちゃんを含む4名の幼児洗礼者は次の通りです。

-テレジア 洗川 真桜(あらいかわ・まお)ちゃん

-バルナバ 内山 温 (うちやま・はる)ちゃん 

-フランシスコ・ザビエル 小島 大智 (こじま・だいち)ちゃん

-ペトロ 小島 有生 (こじま・ゆうせい)ちゃん 

投稿4:マエル君の初聖体

マエル君の初聖体


 6月10日の初聖体。5人の中にはフランス人のマエル君も。昨年春から多摩教会に通う親子に初聖体と教会の印象を聞いてみた。「まるで王様みたい」と祝賀会でメインテーブルに座った感想をいうマエル君。「子供たちをメインテーブルに、そして、初聖体証明書を渡すという素晴らしいアイデアに感銘をうけた」というお父さん。子供たちにとって忘れられないような素晴らしい一日を写した写真をフランスに住む両親に送ったというお母さん。初聖体に与った5人の中で一番背が高いマエル君は10歳。日本では初聖体に与るのは7歳だが、フランスでは9歳か10歳だという。マエル君のお母様、ガエラさんが初聖体と多摩教会について次のような文章を書いてくれました。

(原文は英語で、初聖体の3日前に書かれたものです。広報部・小野原)

マエルの母:ガエラ・ダルグリッシュ・レモイネ記

 昨年のご復活祭の直前の4月4日にフランスから多摩市にやってきました。ご復活祭を祝うためにカトリック教会を探していたところ、近所の方が、多摩教会を教えてくれ、教会まで連れてきてくれました。10月に自転車を購入してからは、ミサに通う回数も増えてきました。マエルが「初聖体」に与りたいといいだしたので、多摩教会で知り合った高橋さんに尋ねると、日曜学校に通うことを勧めてくれました。
 「たくさんの人が集まる素敵な教会なので大好き」とマエルは言います。実際、日曜日には本当に素晴らしい人たちに会います。ミサのあと、お聖堂の外の長椅子に座って、たくさんの人との会話を楽しむ。本当に素晴らしい光景です。
 もちろん、神父様のミサでのお説教を理解する日本語はまだまだ身についていません。マエルは3割か4割ぐらいでしょうか。私は多分、1割ぐらいでしょうか。しかし、ミサのときの聖歌はとても耳に心地よく、皆さんと一緒に歌おうと一生懸命歌詞に耳を傾けています。
 マエルが洗礼を授かった司祭(実は私のいとこです)に、マエルが初聖体に与るということを手紙で知らせると、いろいろな思い出と「お祈りしています」という返事をくれました。両親とマエルの代親にも知らせました。
 カトリック多摩教会の一員になれて、非常にうれしいです。そして、信徒の皆さんの優しさと私たち家族を気持ちよく受け入れてくれたことに感謝いたします。フランスにいるマエルの友だちと一緒に初聖体を与れる6月10日をとても楽しみに待っています。

初聖体-晴佐久神父さんと一緒に

初聖体-祝賀会のメインテーブルで

マエル君の他に初聖体を受けた方は次の通りです。

-ペトロ 豊嶋 祐太(てしま ゆうた)君

-マリア・クララ 榊原 優奈(さかきばら ゆうな)ちゃん

-リマのローザ 福塚 瑶(ふくづか よう)ちゃん

-カタリナ 武井 美沙紀(たけい みさき)ちゃん 

◆フォトアルバムで、初聖体と祝賀会の様子をご覧いただくことができます。ぜひこちらをご覧ください。

投稿5:香道の歴史を探る

香道の歴史を探る

井上 信一

 先月の作曲家活動に続いて、今回は沈香(じんこう)という香木を60年以上にわたり学問として、趣味として探求されている方をご紹介しましょう。それは広報部で、長年私たちの教会のために献身的に奉仕を続けられている松原 睦さんです。松原さんは上智大学在学中から香料研究の大家に師事し、「香りを聞く」という分野で知識と経験を深められ、1990年に会社を退職された後、さらに多くの香道書を読破し、日本における香文化の歴史の研究を続けられました。そして、その結果を「香の文化史〜日本における沈香需要の歴史〜」と題する本にまとめて出版されました。この本は出版社《雄山閣》の生活文化史選書シリーズの一つとして今般発刊されたものです。
 私たちカトリック信徒としては、香には特に深い関係を持っています。それは新旧を問わず、聖書ではいたるところで香油や乳香という言葉に出会います。先ず思い出すのは、幼子イエスが誕生された時、東方の占星術の学者が贈り物として捧げた宝物に乳香がありました。イエスがベタニアで、高価な香油をかけられる話もありますね。ミサの時、司祭が献香のために香炉を振られると、香りと煙が祭壇からそのまま天の国に上っていくような気持ちになります。松原さんによるとこの献香の香は天然の香を人が数種合わせた合香というものだそうです。
 松原さんがこの本で書かれている香は、その代表的なもの、沈香についての歴史です。香の文化が世界のどこから始まって、いつ日本に到来し、どのように日本人の中に入ってきたのかを、文献を参照しながら、書き綴っておられます。一方で、この沈香の香木そのものが、貴重な存在になり、だんだんと入手が難しくなっている現実にも触れておられます。私も一時アラブの国で働いたことがありましたが、そこのスーク(市場)で小さな香木を買うために延々と値引き交渉をするアラブの人たちを見ました。それほど、香木の値段が高くて、買いたい人にとっては大変だということでしょう。私もお土産として、5センチくらいの沈香を買いましたが、値引きの努力もむなしく、1万円くらいとられたと記憶しています。
 私はこれまで香のことをあまり深く考えたこともなかったのですが、この本を読んでみて、香りの文化を少しばかり覗くことができました。

香の文化史(表紙)香の文化史
〜 日本における沈香需要の歴史 〜

著 者:松原 睦
単行本:239ページ
出版社:株式会社 雄山閣(2012/04)
発行日:2012年4月5日 初版発行

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巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

「想定外」の25年

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 5月13日、司祭叙階25周年記念のミサを捧げることが出来て感無量でした。多摩教会としては、寺西英夫師が1983年に銀祝を迎えて以来ということになります。実はその折、師の銀祝記念の本の装丁をお手伝いしたのですが、その時の私はまだ駆け出しの神学生。将来叙階できるかどうかも分からない身にとっては、銀祝なんて遥か彼方に仰ぎ見る夢のまた夢というのが実感でした。それが巡り巡って、こうして多摩教会にて25周年を迎えることとなったのですから、み摂理に感動するばかりです。このお騒がせ神父を受け入れ、共に歩んでくださっている皆さんには改めて、心から、感謝いたします。

 この25年を振り返っての感想は、「想定外」の一語に尽きます。自分なりの司祭のイメージは、ごく普通の教会を教区司祭がのんびり見守っているというもので、それは想定内でしたが、現実には小教区以外の奉仕が多く、それこそ想像もしていなかったことを次々と依頼されてきました。
 ひとつは、青少年活動です。教区の青少年担当ばかりか中央協議会の青少年委員会のメンバーともなり、全国規模での青少年活動の活性化を工夫することとなりました。小教区の枠を超えた青年の集い「初金クラブ」、月に一度のライブスペース「ラスキンクラブ」、幅広く青年活動を支援する「東京教区青年ネットワーク」、オリジナルの福音の歌コンクール「スピリット・ソング・フェスティバル」、ライブしながら他教区を訪問する「ライブキャラバン」、教皇様の呼びかけに答えて世界の青年が集まる「ワールド・ユース・デイ」参加ツアー、そこから始まった「ジャパン・ユース・デイ」、そして25年間続いている「無人島キャンプ」などなど、すべて私の思いつきです。
 また、映画とこれ程に関わることになろうとも思っていませんでした。たまたま映画評を一つ頼まれて書いたのがきっかけで、カトリック新聞の映画欄を担当することになり、試写室をめぐる日々が始まり、劇場パンフレットに原稿を書き、映画の分かち合いグループ「天国映画村」を立ち上げ、カトリック映画視聴覚協議会(現シグニス・ジャパン)の副会長(現顧問司祭)となり、日本カトリック映画賞の授賞式上映会を企画し、シグニスアジアの海外会議に参加し、大会の日本招聘にまでこぎつけました。シグニスの守備範囲をインターネットに広げてセミナーを取り入れるなど、そう得意でもないのにメディアの世界と深く関わることになってしまいました。
 執筆活動も、これまた想定外。最初は小さな連載コラムを担当しただけだったのがまとまって本になり、教会報に書いた詩が広まって詩集になり、ただ説教でしゃべっていただけなのに説教集になりと、次々と出版されていくのです。そうなると、あれを連載してくれ、これを出版したいと依頼が相次いで、今抱えているものを考えると気が遠くなりそう。執筆に充てられる時間って、それほど多くないんです。気づけば絵本3冊、エッセイ集3冊、聖書解説・神学関係書2冊、説教集4冊、詩集2冊、そして日めくりカレンダー2冊。サイン会とかしながら、心の中では「オレ、なにやってんだろ」と思ったりする日々なのです。
 想定外というなら、講演会もはずせません。司祭になったころは、じぶんがよもや大ホール満員の聴衆の前で90分喋ることになろうとは、思いもよらなかった。人前で話すのが苦手であがり症だというのに。でも、これも慣れですね。長崎教区のそうそうたる司祭たちの前で話したこともあるし、国際聖書フォーラムで聖書学者たちを前に話したこともあります。最近ではプロテスタント教会からの依頼が多く、牧師先生たちの集会で話すこともあり、これまた心の中では「あんた、よくやるねー」とつぶやいたり。
 他にも、「こんなにクラシックコンサートを主催することになろうとは」(ついには今回パルテノン多摩大ホールです)とか、「こんなに絵をかいたりデザインしたりすることになろうとは」(カード・紋章から、ステンドグラスまで幅広いです)とか、「こんなに海外に行くことになろうとは」(初海外は神父になってからなのに38回出かけてます)とか、「こんなに授業や講義をすることになろうとは」(いまや早稲田大学の講師までやってます)とか、「こんなにインターネットに露出するようになろうとは」(説教はその週のうちにアップされてます)とか、「こんなにラジオで放送されるようになろうとは」(番組は1年の放送に延長されてしまいました)とか、「こんなにブルゴーニュワインを飲むことになろうとは」(いい加減にしなさい)とか、キリがないのですが、では最も想定外だったのは何かと言われるならば、それは何と言っても洗礼の実りです。
 小教区内での活動はほぼ想定内でしたけれど、ただ一つ、受洗者の多さだけは予想だにしていませんでした。そして、それこそが一番うれしい悲鳴の想定外でした。ほかの想定外はすべて夢でしたというオチでも構いませんが、これだけは夢であってほしくない。そして、これからも夢を見ていきたい。主任司祭になってからの受洗者はおよそ850人ですから、多摩教会にいる間に1,000人を超えるかもしれません。イエスさま、美しい実りをありがとう。すべてあなたの御業です。
 さて次の25年、どんな想定外が待っているのでしょうか。

投稿記事:1

晴佐久神父様司祭叙階銀祝おめでとうございます

信徒代表 北村 司郎

 今月5月13日、神父様の叙階25周年を記念ミサ・祝賀会という形で行いました。他の教会からも約20名を超える方々がお祝いに来てくださいました。
 神父様も当日話されていましたが、確かに銀祝というのは個人的なことかもしれません。しかし、叙階式を教会全体でお祝いするのと同じように、司祭の銀祝も教会全体のお祝いだと思います。多摩教会は「オアシス教会を目指して」進んでいるわけですが、その中心に司祭はいるわけであって、まさにオアシスの源泉そのものではないでしょうか。その源泉と共に私たち信徒はあるわけですから、この25周年を素直に神父様と喜び合うことが大切だと私は思います。多摩教会での銀祝は初代の主任司祭の寺西神父様もマンションが教会の建物だったため、かおり保育園で行ったことを思い出します。私にとってはそれが司祭の銀祝に出席した最初でしたが、そのあと高幡教会でロアゼール神父様の銀祝にも出席させていただいた。その2つの銀祝のとき、親族の方が来られていたのを思い出します。  ご家族にとっても司祭としての生活を続け、25周年を迎えることは大きな喜びである、ということを実感しました。
 今回は残念ながら、ご両親とも亡くなられてお呼びすることができませんでしたが、神父様から皆さんへのお礼としてコンサートを行うことを計画してくださいました。皆さんでこのコサートに参加し、喜びを共にしたいと思います。
 今後、金祝に向かって歩んでいかれると思いますが、健康で、宣教活動の先頭に立って行かれることを望んでいます。

投稿記事:2

大震災の犠牲者のために捧げるレクイエム

井上 信一

 私たちの共同体には色々なタレントを持っておられる方がおられますが、その中で作曲家として活躍されている方を二人ご紹介しましょう。しかもこのお二人が昨年の大震災の犠牲者に捧げるレクイエムを作曲されたお話です。

その1
 昨年の復活祭で奥様と一緒に受洗された石島 正博さんです。石島さんは桐朋音楽大学作曲科の主任教授をされています。生まれ育った石巻の町と自然が震災で跡形もなく流され沢山の人たちが犠牲となりました。その深い悲しみを《REQUIEM for piano》という曲に込めて作曲されました。そして、この曲は日本だけでなく、海外でも演奏され、世界的に有名な作曲家からも高い評価を受けています。私は昨年の8月21日八王子で開催されたピアノ・コンサートでこの曲を聴く機会を得ました。ヨーロッパを中心に第一線で活躍されているハン・カヤさんとうピアニストの演奏でこのレクイエムが紹介されました。演奏の後、石島さんはステージに上り、この曲についての思いを次のように語られました。
 「2011.3.11は特別な日でした。地震と津波によって壊滅的な被害を被った東北の小さな、美しい海辺の町、石巻は私の父の故郷、私自身も多感な少年時代を過ごした場所だったからです。
 自らが流木になったような気持ちをどこかに繋ぎ止めなければならない必然を感じて、私は《REQUIEM》を書きました。それは、異常な緊張と押しつぶされるような情感の海に漂った1週間でした。目の前で無くなっていくものをどうにかしてとどめたい、しかしそれは叶わない。ならば、私自身の記憶をせめて音にとどめよう、そう強く思いました。
 だから、という訳ではないのですが、第1曲目にはishinomakiを音列化(アルファベットを音変換)して全曲の統一モティーフを作り、第2曲にはわらべ歌をデフォルメしたモティーフを用いました。続く第3曲の最終小節の音は、実は楽音ではなくノイズによって表現されるのですがその音に私は dolorosamente「悲痛に」という発想記号を書き込みました。 悲痛な雑音! 第4曲は私自身の精神のある錯乱を presto(極めて速い)と pesante(重々しい)な時間の対比を表現しています。そして第5曲は嬰へ音のオスティナートで貫かれた《死の行列》です。その列の向こうから「嘆きの鐘」が聴こえてきて、やがて、その鐘の音に《子守唄》が重ねられますそして、曲は閉じられることなく終曲第6曲へと受け継がれます。
 《波にさらわれた子供たちの霊》を慰める。その一念の子守唄。
 しかし、その唄は最後まで唄われることなく虚空に消え去ります。」

その2
 もう一人の作曲家はやはり10年ほど前に私たちの教会で洗礼を受けられた藤田 玄播さんです。特に吹奏楽の分野で数々の名曲を生み出し、その中には吹奏楽コンクールの課題曲として取り上げられたものもいくつかあります。洗足学園音楽大学で教鞭もとられていた方です。奥様は“ブドウの木”のグループで聖歌の奉仕をされています。藤田さんはこの数年来、厳しい闘病生活を余儀なくされていますが、そんな状況にあるにも拘わらず、昨年、宮城県気仙沼校の吹奏楽部の依頼で、震災の犠牲者へのレクイエムを作曲されました。曲名は「復活への道」ですが、「東北大震災のためのレクイエム」という副題がついています。
 昨年末から練習を始めたこの部員たちによる演奏会は気仙沼市内のホールで4月8日、すなわちご復活の主日に開催されました。
 大地震と津波の災害の荒々しさを表す序盤の演奏。そこでチューバを吹いた3年生の部は、「初めて演奏した時には、がれきだらけの自宅の前で立ちつくしたことを思い出した」と語り、犠牲者を悼むトランペットの独奏をした生徒は、犠牲になった親族の笑顔を思い浮かべながら、「音色がみんなの悲しみを癒せれば」と話しました。そして最後は復興に起ち上がる人の姿を思わせる闇から光への終盤につながります。この吹奏楽部の全員がそれぞれの苦い、そして悲しい体験を思い浮かべながらも、「聴く人にとっても新たな一歩を踏み出すきっかになれば」と思い、この曲を演奏したとのことです。(4月8日付読売新聞の記事に基づく)

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

さあその日をめざしてがんばろう

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 
  もう十年も前に生まれたぼく。
  学校にはりきって入学したぼく。
  そんなぼくは、今日もいろいろなことでしかられている。
  そのたびに決心しては、次にまたしかられる。
  こんなことではだめだ。
  よしこんどこそやるぞ。
  だめかもしれないけれどやってみよう。
  そしていつかできるようになったら
  先生やおとうさん、おかあさんにむねをはってやろう。
  さあその日をめざしてがんばろう。

 母が亡くなる数年前だったと思います。ある日、母が「これ、ずっと仕舞ってあったんだけど、返すね」と言って、黄ばんだ一枚の紙を渡してくれました。そこには、鉛筆書きのていねいな字で10行ほどの詩が書いてあり、作者名は晴佐久昌英とありました。最初の一行から類推するに10歳の時の作品のようですが、本人は全く覚えていなかったので、突然昔の自分と出会ったような、何とも不思議な気持ちになりました。
 上掲の詩が、それです。内容からして、たぶん国語の授業で「心で思っていることを素直に書きましょう」などと言われて書いたものではないでしょうか。まさに、毎日叱られて生きていたあの頃の正直な気持ちが書かれていて、いじらしいというか、切ないというか、思わず「がんばれ、自分!」と言いたくなるような詩です。たぶん、このけなげな詩を読んだ母も同じように思ったであろうことは、40年近くこの詩を捨てずに持ち続けていたことからもわかります。おかげさまで、詩人晴佐久昌英の処女作は、ちゃんとこの世に残された、というわけです。よく読むと体言止めや決意の独白、二行ずつの脚韻などのレトリックが施されてあり、独特のリズム感もあってなかなかの技巧派です。
 今はこの詩は額に入れて、トイレに飾ってあります。毎日座るたびにこの詩を読んでは「だいじょうぶだ、晴佐久君、君はがんばってるよ。だれも君をしかったりしない、もうむねをはっていいんだよ!」と自らに言い聞かせるのですが、人の思いというものはそう簡単に変わるものではありません。結局は、10歳の思いからちっとも変わらずに、「でもまあ、そうは言っても、こんなんじゃまだまだだよね・・・もう少しがんばらなくっちゃ」という気になるのです。

 このたび、晴佐久昌英の第2詩集「天国の窓」が発行されました。帯には「18刷、4万2千部のベストセラー『だいじょうぶだよ』から10年、待望の第2詩集」とあります。確かに詩集で4万部というのは立派なベストセラーでしょうし、ちゃんと第2詩集も発行されるなんて、詩人晴佐久君、できるようになったじゃないですか。むねをはってやろうじゃないですか。
 この詩集は、言うなれば「写真詩集」とでも言うべきもので、見開きの片方のページに菅井日人氏の美しい写真、もう片方に詩を載せました。よく、「これ、写真が先なの? 詩が先なの?」と聞かれますが、思わずそう聞きたくなるほどに写真と詩が寄り添って一つの世界をつくりだしているところに、他とはちょっと違う面白さがあります。実際には、写真からインスピレーションを得て詩を書きました。それを並べると、写真と詩、つまり光とことばが絶妙に響きあって、心に深くしみこむ詩集になりました。
 「だいじょうぶだよ」のときもそうでしたが、いつも詩を書くときには、特定のだれかを思い浮かべながら書きます。特に、今つらい気持ちでいる人や、困難の中にいる人のために、励ましとなり希望となるように書いているので、全体に癒しと慰めの香り溢れる詩集になりました。ぜひ、闇の中にいる人、救いを求めている人にプレゼントしてください。ひとつの詩を生み、育て、納得いくものに実らせるためには、大変な苦労と工夫、強い信念と忍耐が必要ですが、苦しんでいる人の気持ちがほんの少しでも和らいでくれるなら、がんばった甲斐があるというものです。
 しかし、ここでいい気になってはいけません。まだまだむねをはったりしてはいけません。こんなことではだめだ。よしこんどこそやるぞ。だめかもしれないけれどやってみよう。さあその日をめざしてがんばろう(涙)。

投稿記事

祈り

福井 英夫

 皆さまは毎日どんなお祈りをしていますか?
 私は、朝起床時に「今日もいち日何事もなく過ごす事が出来ますように」。朝食と夕食前、夫婦で祈りを唱えてから食事に入ります。寝る前は今日いち日の反省感謝のお祈りをしています。

【 朝の祈り 】

新しい朝を迎えさせてくださった神よ、きょう一日わたしを照らし、導いてください。

いつもほがらかに、すこやかに過ごせますように。
物事がうまくいかない時も、ほほえみを忘れず、いつも物事の明るい面を見、
最悪のときにも、感謝すべきものがあることを、悟らせてください。

自分のしたいことばかりではなく、あなたの望まれることを行い、
まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを見い出させてください。

アーメン。


 2000年9月。“長崎・平戸・生月巡礼団”に参加した折に団長のカトリック瀬教会主任司祭(当時)のケンズパリ神父さまから、この朝の祈り、夕べの祈りカードをプレゼントされて、巡礼中、朝食前と夕食前にはツアー参加者全員で唱えてから食事に入りました。私達夫婦は毎日朝食前と夕食前には、この祈りを唱えてから食事のお恵みを頂きます。

【 夕の祈り 】

一日の働きを終えたわたしに、やすらかな憩いの時を与えてくださる神よ、
あなたに祈り、感謝します。

きょう一日、わたしを支えてくれた多くの人たちにたくさんのお恵みをお与えください。

わたしの思い、ことば、おこない、おこたりによって、あなたを悲しませたことがあれば、
どうかおゆるしください。

明日はもっとよく生きることができますように。

悲しみや苦しみの中にある人たちを助けてください。
わたしが幸福の中にあっても、困っている人たちのことを忘れることがありませんように。

アーメン。


今日いち日ありがとうございました。神様に感謝”

いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。

(テサロニケの信徒への手紙)