連載コラム:「ひとしずく」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第105回
ひとしずく

稲城・川崎地区 松澤 郁子

「Agnus dei」
Agnus dei, qui tollis peccata mundi
miserere nobis.
Agnus dei, qui tollis peccata mundi
dona nobis pacem.

 指揮者の棒がそっとおろされる。静かに静かに最後の音の余韻が消えてゆく。聖堂に広がる感謝と平和と安堵の中に、私たちは包み込まれた。

 多摩教会混声合唱団(ぶどうの実)では、毎年「祈りと聖劇の夕べ」で合唱を披露しているが、今年度は初めてラテン語のミサ曲に挑戦した。
 シューベルトの「ミサ曲第2番」。彼が18歳の時に作曲した美しいミサ曲である。(ちなみに、かの有名な歌曲「魔王」も同年に作曲されている。)
 複雑な和音やリズムはほとんどない。それだけに青空のような澄んだ響きが求められる。
 団員一同必死に練習した。が、数々の困難が待っていた。怪しい音程やハーモニー、口がまわらぬラテン語、おまけにインフルエンザ・・・。本番、大丈夫か!?
 そのうえ何とも恐ろしいことに、今年はソロもある。しかも数曲! あまり動じなさそうに見えるらしい私でも、やはり恐ろしいので、まじめに練習してみた。当日声が出なくなってしまったらと考えると、とてつもなく恐ろしいので、体調管理も万全にし、のどに良い蜂蜜のお世話にもなった。

 そして迎えた本番。大きなミスもなく、合唱もソロも心を一つに練習以上に歌い、「アニュス・デイ」を残すだけとなった。うん、なかなかいい調子、決して悪くない。しかし、自分としては、何か大事なものを置いてきたような気がしてならないのだ。
 あと1曲。一番難しいソロがある。伴奏が始まり前に出た時、ふっと忘れ物が降ってきた。
 「この曲をお捧げします。」

 小学生の頃に読んだ本で、今でも忘れられない話がある。アナトール・フランスの『聖母の軽業師』という短編である。確かこんな話だった。
 「純朴で敬虔な軽業師バルナベは、ふとしたことで修道士となる。修道院では、修道士たちがそれぞれの能力を発揮して聖母への信仰を表していた。本を書いたり、音楽を創ったり、絵画を描いたり、彫刻を彫ったり、詩を詠んだり。
 そんな中でバルナベは次第に嘆き悲しむようになる。自分には何もできない、と。
 しかし、やがてバルナベは一人聖堂にこもるようになり、表情も明るくなっていく。何をしているのか不思議に思った修道士たちが聖堂を覗いてみると、バルナベは彼ができる唯一のこと、曲芸を祭壇の前で一心不乱にやっていたのだった。
 驚き、やめさせようとする修道士たち。しかしその時、聖母が祭壇から降りてきて、衣の裾でバルナベの額の汗を優しくぬぐった。」
 この話を読んで、なぜだか涙がこぼれた。そして、子供心にも感じ取った。バルナべの汗のひとしずくは尊い。自分のできることを、ただひたむきにひたすらに捧げるその生き方は美しい、と。
 きっと私は“歌って”いた。うまく歌おうとしていた。もちろん人前で演奏する以上、技術を磨くことは必要だが、一番大切なことは、歌は祈りであること。

 きっと、音楽への感性は研ぎ澄ませるものだろう。でも、それだけではない。柔らかく満たされていく祈りでもある。それが、これからも教会で私たちが歌い続ける意味だと思う。
 バルナベのような生き方はできないかもしれない。でも、私は私の“ひとしずく”を捧げよう。大河のほんの一滴にすぎないけれど。それでも、いつかきっと大海に注ぎ、恵みあふれるその一滴になれる、そう信じて。

※ 最後になりましたが、「祈りと聖劇の夕べ」の出演者やスタッフの皆さん、会場にお越しいただいた皆さん、そして支えてくださったすべての皆さんに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。