2010年バックナンバー

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2010年


12月号

(No.448)

2010.12.18

アヴェ・マリアの祈り晴佐久 昌英 神父
チャンスはゼロ・パーセントでも!井上 信一


11月号

(No.447)

2010.11.27

イエナカクリスマス晴佐久 昌英 神父
カンボジアのオアシスにて再洗礼長島 毅
多摩教会墓地への墓参松原 睦


10月号

(No.446)

2010.10.23

みんなの教会 みんなの委員長晴佐久 昌英 神父
耳のオアシス増田 尚司
教会バザーを終えて郷原 晴子
「信仰と光」の巡礼について加藤 幸子
多摩教会墓参のお知らせ 


9月号

(No.445)

2010.9.25

あぶう ばぶう晴佐久 昌英 神父
荒野のオアシスとなる教会をめざして北村 司郎
聖 書 輪 読 会工藤 扶磨子


8月号

(No.444)

2010.8.21

教会縁日へどうぞおいでください晴佐久 昌英 神父
分かち合い2 『私のオアシス』李 承烈
大島 莉紗 ヴァイオリン・リサイタル加藤 泰彦
教会学校の合宿に参加して塚本 清
合宿の感想文 
カフェ・オアシス 雑観小田切 真知子


7月号

(No.443)

2010.7.17

あなたの居場所が、わたしの居場所晴佐久 昌英 神父
分かち合い2 『主とともに』シスター 林 恵
初聖体の感想 
多摩教会信徒の皆様へのお願い広報部 
教会へ車で来られる方にお願い多摩教会司牧評議会


6月号

(No.442)

2010.6.26

「多摩教会からのお誘い」をご活用ください晴佐久 昌英 神父
分かち合い1 『主とともに』シスター 林 恵
堅信式の感想志賀 康彦
楽しい初聖体安部 実紅子
どんな子に加勇田 修士
お知らせ竹内 秀弥


5月号

(No.441)

2010.5.22

オアシス広場晴佐久 昌英 神父
オアシスである教会下津 ひとみ
献堂10周年記念行事北村 司郎


4月号

(No.440)

2010.4.24

赤ちゃんは家族を元気にする晴佐久 昌英 神父
僕と天使祝詞鈴木 真一
人に出会う加藤 泰彦
ガリラヤの風かおる丘で長島 毅


3月号

(No.439)

2010.3.27

あなたも同じようにしなさい晴佐久 昌英 神父
我が故郷の上杉鷹山に習って竹内 秀弥
第1回セントマキシミリアンズカップ黒田 憲二


2月号

(No.438)

2010.2.20

わたしがオアシス晴佐久 昌英 神父
感謝海野 滋子


1月号

(No.437)

2010.1.23

荒れ野で福音宣言晴佐久 昌英 神父
白柳枢機卿様の思い出北村 司郎
子供たちの聖劇加藤 泰彦
コルベ会とはどんなグループでしょう!井上 毬子

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

アヴェ・マリアの祈り

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 わたしは子どものころ、歌うことの大好きなボーイソプラノで、東京少年少女合唱団のメンバーでした。春に入団して一通りの発声練習を終え、最初に練習したのがアルカデルトのアヴェマリアだったことをよく覚えています。ほかのみんなは初めて聞く曲なので一から練習を始めたわけですが、わたしは心の中で叫んでいたからです。「そんなの、いつも教会で歌ってるよ。カトリック聖歌集に載ってるじゃん!」
 おかげで、発音がいいとほめられたものです。アヴェマリアの「ヴェ」とか、グラツィアの「ツィ」とか。当たり前と言えば当たり前。こっちは小学校一年の時からラテン語で侍者をしていたのですから。ともかく、いつもの教会の歌が一般の世の中でも大切に歌われていることがうれしかったし、誇らしくも感じたものです。

 このたび、日本司教協議会の決定により、いわゆる「聖母マリアへの祈り」の改定案として「アヴェ・マリアの祈り」が作成され、公表されました。これはまだ案ですが、半年の試用を経て、2011年6月には正式に決定されることになります。内容について何かご意見があれば申し出てください。
 「えーっ、また変わるの?」と思われる方も多いと思いますが、よりよいものにしていくために忍耐強く微調整を続けていくのはカトリックの美しい伝統です。全文は以下の通りです。ぜひ早めに親しむことにいたしましょう。

  アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、
  主はあなたとともにおられます。
  あなたは女のうちで祝福され、
  ご胎内の御子イエスも祝福されています。
  神の母聖マリア、
  罪深いわたしたちのために
  今も、死を迎える時も祈ってください。
  アーメン。

 ちなみにわたしはこの改定案に、大満足です。
 今までの「恵みあふれる」では、神からのみ溢れ来るはずの恩寵がマリアからも溢れているかのようにもとれる点や、「あなたの胎の実」という詩的なことばが「あなたの子」という敬意に欠けた乱暴な表現だったことなどが気になっていたからです。
 しかし、なんと言っても大きな特徴は「アヴェ・マリア」というラテン語がそのまま使われている点でしょう。「アヴェ」とは、天使ガブリエルが聖母マリアに挨拶した時の「おめでとう」のことで、かつての文語体では「めでたし」と翻訳されていました。大切なこの祝詞が口語訳の「恵みあふれる聖マリア」では抜け落ちてしまっていたことは、早くから大きな欠陥として指摘されてきました。だからと言って「おめでとうマリア」を祈りの冒頭に置くのは、繰り返し唱える日本語の祈りとして違和感があります。通夜の席などで「おめでとう」では一般の参列者がギョッとするでしょう。だったら、何も無理に翻訳しなくとも「アヴェ・マリア」でいいじゃん、というのがわたしの持論でありました。「アーメン」だって、「アレルヤ」だってそのまま使っているわけですし。
 なにしろ、外来語を母国語にしてしまうのは日本人のお家芸です。というか、すでにアヴェ・マリアは知らない日本人はいないと言っていいほどに認知されたことばです。もちろんそれはグノーやシューベルトのおかげでもありますが、今回「アヴェ・マリアの祈り」となったことで、これがいっそう広く「カトリック教会の祈り」として認知されるようになることでしょう。

 
 火葬場で献花するとき、いつもロザリオの祈りを唱えています。隣の一団ではお坊さんがお経を唱えていたりするわけですが、そちらの参列者は「あら、めずらしい。キリスト教のお経だわ」という顔でこちらを見てたりします。そんなとき、大きな声で「アヴェ・マリア」と唱えていれば、「まあ、アヴェ・マリアって、キリスト教のお祈りだったのね」となります。これは大きな印象を残すのではないでしょうか。それに、そもそもカトリックはラテン語を共通語としていたという比類のない財産を持っているのですから、それを生かさない理由は何ひとつないでしょう。海外でひとこと「アヴェ・マリア」と唱えれば、見知らぬ国の人が声をかけてくるに違いありません。「カトリックですか?」。

 後半部分は以前のままとはいえ、17年間唱え続けてやっと口になじんだと思っていた祈りを覚え直すのは少々面倒ではありますが、これから170年も1700年も唱え続けるのですから、さっそく覚えることといたしましょう。新しい年をアヴェ・マリア元年として、これからは今までにもまして、いつでもどこでもアヴェ・マリアを唱えるならば、聖母はどれほどお喜びになるでしょう。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いなものというでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」(ルカ1・48)
 アヴェ・マリア!