洗礼を受けて

多田 久子(仮名)

 多摩教会の入門講座に通いはじめたのは、2011年6月からでした。
 晴佐久神父様からたくさんお話を聴きました。どのお話からも「あなたは神様から愛されています」というメッセージが伝わってきました。
 それでも私の心の中には洗礼を受けることに迷いがありました。晴佐久神父様との面談、入門講座でのお話、ミサの中でのお説教、ミサで出会った人のお話。たくさんのお話を聴くうちに、私の心の中の迷いはいつの間にかなくなっていました。

 ここまで導いてくださった神様、私にいつも寄り添ってくださった人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
 洗礼を受けたということは信仰のスタートラインだと思っています。一歩ずつ歩んで行けたらと思っています。
 そして私に寄り添ってくださった人たちのように、私も私を必要としてくださる人に寄り添っていきたいと思っています。

心緩やかに生きる

松原 晴子(仮名)

 こわごわと緊張しながら、教会に足を踏み入れたのは昨年7月10日でした。
 最初に出会った方の優しさが、まるで魔法のように緊張感でいっぱいの私の背中をそっと押してくれてホッとしたのを忘れることができません。当時、独居老人の私は東日本大震災以後の不安感で身も心も砂漠のようにカラカラの干物状態になっていました。
 「いいのよ・・・。ご飯一緒に食べましょう」 
 その方のひと言は、もしかしたら人生のすべてを解決してしまうほどの特効薬! 教会の専売特許ですね。カラカラ干物の私はじんわりと潤い、この日以降の私はもう地震の不安感なんかそっちのけ、まるっきり忘れていました。
 教会での音楽と説教は私にはまるでコンサートそのもの。そしてご飯も私を強くひきつけました。
 独り住まいの私は、人と一緒にご飯を食べられることは、無上の喜び!! 
 それからは、すっかり教会に入り浸り!! 「神様」に最も遠い存在の私が、じわり、じわり、と何やら思考停止のまま引きつけられてその気になって・・・「洗礼」にゴールイン!! 
 実は今も、夢か幻かの状態です。

 この数カ月間学んだことは、「私は!」と意地を張らないで、肩の力を抜いて、周りの人や、環境をそのまま受け入れて緩やかに生きる。
 いままで「私は」とありもしない幻想の私を左右する「価値判断」にとらわれていました。教会のコミュニティーは、「私は」と息巻く「価値判断」から「事実判断」へと変えて理屈抜きで生きている事実を、味わうことでした。自分が生きている事実を事実として強く味わうことは、畏敬の心を持ち感謝の心を持つことにつながりました。
 心緩やかに生きる。こんなたやすいことにどうして背を向けて人生を醜く生きていたのか。自らのとんがった行動をしみじみ振り返る日々でした。まだまだですけどね。

 洗礼後は、あっけないほど自由に羽ばたいている?
 そして、人生の晩秋を赤く、情熱的に、意欲的に、の気持ちはふつふつと心の底で出番を持っています。このやる気満々の気持ちに「神様」が後ろ盾になってくれたら…。
 これからは、人生最終章に向けて、レッツゴーですね。まだまだ、人生何があるか分からない。これからが楽しみになりました。どうぞよろしく。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英神父

カトリックとプロテスタント

主任司祭 晴佐久 昌英 神父

 よく、「カトリックとプロテスタントって、どう違うんですか」と聞かれます。ひとことでは答えにくいので、「福音の本質においては、何も違いません」と答えることにしています。「どう違うのか」と言う質問ですから、これでは答えになっていないのですが、多くの場合あまりにも違いを強調しすぎるので、「福音」と言う最も本質的なところで共通しているキリストの家族であることをこそ、知ってほしいのです。
 天の父がすべての人を愛していること。イエス・キリストによってその愛が決定的に注がれたこと。神の愛の働きである聖霊によって教会が生まれたこと。今日もその教会が、この「父と子と聖霊」よる救いを宣言し続けていること。これらの福音は永遠であり、主の復活から今日にいたるまで、ともに福音を語り続けていることにおいては、カトリックもプロテスタントも何ら違いはありません。
 もちろん、秘跡の捉え方であるとか教皇制であるとか、教義上の差異は多くありますが、それにしても太陽の党と維新の会ほどには違いません。私たちはお互いにもっともっと知りあうべきですし、時間をかけてお付き合いすれば必ず一致できることを信じて、キリストの家族であることを喜ぶべきです。そのことは、個人的にここ数年、プロテスタント教会の多くの牧師や信徒と関わる機会を持つようになって、確信しています。

 司祭になってから、近隣のプロテスタント教会とごあいさつ程度のお付き合いをすることはありましたが、ここ数年プロテスタント教会に招かれて説教や講演、講話をするようになってからは、意識が全く変わりました。なにしろ、目の前の信徒たちに、福音を語るのです。違いだのなんだの言ってる場合ではありません。現実にキリストの福音を涙流して聞いている人たちを前にしていると、自分がカトリック司祭である以前にキリストの弟子、「福音宣教者」であることを強く意識させられるのです。
 そんな体験のもとに気づかされたことは、「教会一致は、まずは福音を語るということにおいて、最も現実的になる」ということです。
 5年ほど前の国際聖書フォーラムでの講演に始まり、FEBCでのラジオ放送やインターネットでの説教配信によってプロテスタント諸教会からの講演依頼が増え、日本基督教団の各地での信徒大会、聖公会の教区婦人大会、ナザレン教団の牧師の研修会、ルーテル神学大学での教話、青山学院での礼拝説教、各地の市民クリスマスでのメッセージ、被災地新生釜石教会でのお話しなどなど、時々こんな自分の存在自体が教会一致のひとつの証しになっていると感じるようにもなりました。来年は、聖公会の中高生大会でのお話なんてのもあります。ある友人はそんな私のことを、エキュメニズム(教会一致運動)にかけて、「エキュメン」と呼んでくれています。

 これを書いている2日前も、信州飯田のプロテスタント教会で近隣の教会の方たちを前にお話をしてきました。若い牧師夫妻と親しくなり、その苦労話を聞いて親近感を持ち、信者さんたちと分かち合って、「ああ、どこも一緒だなあ、出会いって素晴らしいな」と共感しました。翌日は同じく信州の、日本基督教団諏訪地区の教会連合の勉強会で講演をしました。多くの牧師たちと知り合い、その苦労や喜びを聞き、信徒の様々な悩みや質問に答え、「ああ、神さまの家族っていいなあ、聖霊の働きって素晴らしいな」と感動しました。
 カトリックの神父がこうしてプロテスタントの教会でごく普通に福音を語り、信徒がごく自然に救われるという事実は、大きな希望だと思います。ユーモアとして両者の「違い」の話が出ることはありますが、福音に感動してつながっている現実には全く違和感はありません。
 教会の一致は、まずは福音における共感から。出会いの霊である聖霊が働けば、すべてが可能です。教会は、聖霊によって生まれたのですから。


※ 参考 ※
カトリックとプロテスタントについては、晴佐久昌英神父の主日の説教集 『福音の村』 の2012年11月25日(「王であるキリスト」の祭日)説教、「今聞いているあなたに」でも触れています。宜しければご一読ください。>>> こちら 

連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第25回

「荒れ野のオアシス教会」を目指して

加藤 由美子

 昨年の少し秋が深まる頃でした。多摩教会を見せてくださいと、訪れた写真家の方がいました。
 ヨーロツパ各地の教会を、撮り続けているそうです。
 聖堂を案内しながら、撮影旅行の話しを聞かせていただきました。
 ピレネーを超えスペインに行ったとき、途中の山間の教会で見も知らない彼に、やさしく、ほほえみながらスープを出して下さり、家族のように一緒に食事をしてくださったそうです。
 「よくいらっしやいました」という感じよりは、「お帰りなさい。 暖かいスープでも飲んでゆっくり休んでください」と感じたそうです。
 「撮影旅行はいつも車で移動します。借りた車がボンコツで、山道で動かなくなり、言葉も分からないで 困っていると、通りがかりの人が、麓まで行って自動車修理屋を連れてきてくれ、ほっとした」 ことなど話してくれました。
 旅行をしていると色んなことが起こり、途方に暮れることも多々あったようです。
 そのようにして、各地の教会を訪ね歩いているうちに、その教会から出てくる人の顔を見ていると、その教会がどんな 教会か分かるようになったそうです。
 多摩教会はどのようにうつったのでしようか。
多摩教会を訪れる方々に対して、私たちも写真家の方がピレネーの山間の教会で 出会ったように、おだやかに、ほほえみながら、「お帰りなさい」と 心から曖かく迎えることができますように。 祈りのうちに。

典礼講演会要旨について

カトリック多摩教会では、第二バチカン公会議開会50年「信仰年」にあたり、『聖書と典礼』の編集責任者で上智大学講師の石井祥裕(よしひろ)先生をお招きし、11月11日のミサ後に、「公会議による典礼刷新の意義と典礼奉仕、特に聖書朗読について」というテーマで約1時間の講演会を開催しました。参考までに講演会で配布された資料を下記のとおり掲載いたします。

2012年11月11日
カトリック多摩教会

『聖書と典礼』編集長 : 石井 祥裕 氏


第二バチカン公会議開会50年「信仰年」によせて
 <公会議による典礼刷新の意義と典礼奉仕、特に聖書朗読について>

はじめに

 第2バチカン公会議 (1962-65)から50年、その最初の課題に取り上げられたのは典礼刷新。
『典礼憲章』(1963)から現在のわたしたちの典礼生活は始まる。
しかし、この公会議による抜本的な典礼刷新の背景には、遠くには19世紀半ばからの、近くは20世紀初めからの典礼運動の歴史がある。近くからでも100 年。わたしたちが取り組んでいる課題には長い教会の歩みがあることを思い出しておきたい。

1.20世紀初めの呼びかけ

 19世紀半ばからヨーロッパのベネディクト会修道院では、古典的なローマ典礼のミサや聖務日課を柱とした修道生活を(それに結びついたグレゴリオ聖歌)を復興する運動が始まっていた。やがて、それは典礼の中に信徒の参加を積極的に呼びかけようとする方向に向かう。これらを受けて、教皇ピウス10世 (在位1903-14)は『教会音楽に関する自発教令』(1903)の中で次のような呼びかけを行い、典礼への「行動的参加」という言葉を初めて使った。

「神の家は、信者がキリスト教精神をその第一の、かつ不可欠な源泉から汲むために集まるところです。
この源泉とは、聖なる秘義と教会の公的祭儀的祈りへの行動的参加のことです」 (⇒典礼憲章14)

これに呼応して、信徒の典礼参加を全般的に推進しようという典礼運動が始まる。
「典礼はすべての信者の祈りである」との発見を軸として。

2.両大戦間の典礼運動の発展と深化呼びかけ

 第一次世界対戦後、典礼運動は共唱ミサの試みとともにドイツ・オーストリアで大きく発展。
 それらを通じて、典礼の意味が深く考えられていくようになった。

 a) 典礼によって教会共同体は建てられていく。

 b) 典礼参加をとおして、キリスト者個々人の全人的育成がなされる。

 c) 典礼は秘跡を中心とするが、ことばとしるしをとおして歴史的な神の救いの神秘を具現する。

 d) キリストの現存は聖体のみならず、あらゆる典礼行為に及んでいる。歌、祈り、聖書朗読……

 e) 典礼は、神のことばとの生きた交わり。信者が聖書をとおして神のことばと触れる現場は典礼

 f) 典礼は、教会生活のあらゆる活動と結びついている。それらの頂点にして源泉。

 h) 歴史的研究が示すように、典礼には変わらない本質的なものと変遷してきた要素とがある。

3.第2次世界大戦後、典礼改革と典礼生活の促進への歩み

 教皇ピウス12世(在位1939-58)は、これらの典礼運動や典礼の歴史的研究や神学的思索の展開を受け1947年の典礼に関する回勅『メディアトル・デイ』を発布し、典礼運動の基本的意図を認め、前進させた。
 今日につながる典礼改革は1950年代の聖週間典礼の改革から始まる。ただし、本格的に、教会刷新全般とのつながりの中で、抜本的な典礼刷新(典礼改革)と典礼生活の促進を全教会の優先課題としたのは第2バチカン公会議である。

4.典礼参加のさまざまな側面

 『典礼憲章』は、20世紀初めからの典礼参加というテーマを三つの側面から語る:

 1) 行動的参加   2) 意識的参加   3) 充実した参加

 これらを狙いとして上記2のポイントを考慮してすべての典礼祭儀が改められていった。

 教会共同体のメンバーは典礼奉仕のそれぞれの役割を果たすように ⇒ 行動的参加

 典礼における国語使用を原則とするように ⇒ 意識的参加

 これらを通じて、教会は神の民すべての典礼への「充実した参加」を目指す。

5.典礼における聖書を豊かにしたことと朗読奉仕の意義

1)典礼刷新の決定的な意義:聖書朗読と聖書に基づく歌がだんぜん豊かにされた。

  a) 主日には三つの朗読を基本 : 第1朗読 / 第2朗読 / 福音朗読
      (※第1朗読は大体、旧約聖書 / 復活節は使徒言行録)

  b) 聖書朗読の周期的配分(主日A・B・C年 / 週日2周年)

  c) 典礼暦年と聖書朗読の展開を改め、キリストの秘義の1年として明確化した。

    待降節・降誕節と年間のつながり

    四旬節・復活節のより教育的配分 (入信準備・回心の導き)
        聖書が告げる神の救いの計画、神賛美の伝統の中に一人ひとりが参加
        国語化は、聖書朗読の宣教的、教育的意義も強化した

  d) ことばの典礼と感謝の典礼とのつながりが明確化された。

    「二つの食卓によって教会は霊的に養われ、さらに教え導かれるとともに、ますます聖なるものとなっていく。
    神のことばにおいて神の契約が告げ知らされ、
    感謝の典礼において新しい永遠の契約そのものが更新される」 (朗読聖書の緒言10)

2)聖書朗読の意義

  a) 神が語る、キリストが語る
    「書かれたものとして伝えられた神のことばそのものによって、今もなお『神はその民に語る』」 (同12)
    「聖書が教会で読まれるとき、キリスト自身が語る」 (典礼憲章7)

  b) 神のことばを聞くこと
    「教会は神のことばを聞くことによって建てられ、成長していく」 (緒言7)

  c) キリスト者の神のことばへの任務
    「すべてのキリスト信者は、霊による洗礼と堅信によって神のことばの使者となる」 (同 7)

  d) 聖書朗読のしかた
    「聞き取れる声で、はっきりと、味わえるように読む朗読者の読み方が、何より、
    朗読によって神のことばを集会に正しく伝えることになる」
 (同14)

3)留意点

  a) 文字を音声にするだけの「読む」ではない「今語られる神のことばを告げる奉仕」

  b) 聞く奉仕 (『聖書と典礼』などの効果的使用法)

  c) 日本の教会の現状と課題:朗読後の対話句、朗読福音書など

洗礼を受けて

草野 久美(仮名)

 水をかけられて以来、私の心は満たされています。喜びと平安に満ちています。今までの人生に感謝し、まったく新しい人生を始めようと思います。「Child of the Light」(光の子)としてこの人生を。
 ああ、これが「秘跡」というものなのか、と思います。水をかけられながら、原初キリスト教のヨルダン川で、ザバーッと頭から水を潜る情景が浮かんできて、私の中で何かが、確かに変化しました。二千年もの間、秘跡は生き続けているのですね。
 これほどみずみずしく、生き生きしたイエス様のエネルギーが、連綿と続いてきたことに、心から驚嘆します。そして、それを守ってきた本当にたくさんの方々、教皇様・司教様・司祭様、聖人聖女の方々、殉教者の方々、修道士・修道女の方々、信者の皆さんに、心からの敬意と称賛を捧げたいです。そして、この大きなコミュニティーの一員にならせていただいたことに、喜びと感謝と誇りを感じます。

 私が多摩教会に初めて伺ったのは、昨年の11月末のことでした。マザー・テレサの修道会のシスターから、晴佐久神父様のことを教えていただき、この神父様からイエス様の教えを学ぼう、と思ったからです。
 訪れた多摩教会は、私にとってまさしく「荒れ野の中のオアシス」でした。ミサにあずかるたびに心が満たされました。そして教会の皆さんの言葉の端々から、立ち居振る舞いのすべてから、存在の有り様から、信仰を持ち続けることがどういうことなのかが、言葉を超えて伝わり、どんなに癒されたことでしょう。ああ、ここには本当の誠実さがある、欺瞞に満ちた社会の中で、ここだけは愛に基づいて生きる方たちがいる。私ももう一度、人を信じ、神を信じて生きてみよう、と思うことができました。
 晴佐久神父様のCDも毎日聞きました。電車の中でも、買物中も寝る前も。まるで渇きを癒すように聞き続け、3カ月たった頃、ふと気づくと、心の痛みが消えていたのです。思い出すと心がチクチク痛んだ事々を、もう思い出しても痛くない。心の傷がピッタリふさがって、すっかり癒されていました。私にとっては奇跡でした。

 この4カ月間は、神に近づきたくても、心のどこかで近づけなかった私が癒され、神と和解し、親しく神と出会えた、神へ帰還する4カ月でした。
 そして洗礼を受け、私は神によって満たされました。これからも何があっても、何がなくても、すべては神の御心の中で生きていくことができます。

 晴佐久神父様、代母様、入門係の皆様、教会の皆様、お導きいただきまして、本当にありがとうございました。言葉に尽くせぬ感謝で一杯です。これから、さらに信仰を深め、皆様にご恩返しができるよう、歩み続けたいと思います。

これまでとこれから

佐々木 佳子(仮名)

 1年前の今頃は、まさか自分が洗礼を受けるとは、夢にも思っていませんでした。けれど、こうして洗礼式を終えた今、振り返ってみれば、過去に起こったひとつひとつの出来事には意味があり、すべてはつながっていたのだなという不思議な感慨があります。

 「風向きに翻弄されない強さを、貫ける信念を、呼吸するみたいに自然に身に付けたい。そういうふうに、生きたい・・・」5年ほど前、当時の自分には受け止めきれない出来事が起こったとき、心底そう願いました。世界の見え方が一瞬にして変わってしまったようで、けれどこのまま暗く閉ざされた場所に倒れ込んでしまいたくはなくて、必死にもがいていました。それからずっと、無意識に、けれど切実に、どこにあるのか知れない答えのようなものを探し求めてきたように思います。
 そして昨年の震災後、祈りの場所を求めて教会を訪ねるようになり、その後インターネットで偶然目にした晴佐久神父さまの本の引用をきっかけに、カトリック多摩教会にも出合いました。それまでキリスト教についてほとんどなにも知らなかったけれど、そんなわたしにすら深く沁み入る言葉が、ミサや入門講座ではたくさん語られていました。自分が信仰を持つことを想像したことはなかったけれど、何か大きな流れに導かれているような気がして、洗礼を受けることにしました。

 しかし、そこからがまた新たな迷いの日々の始まりとなってしまいました。こんなに惹かれていながらも、キリストを信じるということがなかなか自分のこととして受け入れらなかったのです。信じたいという気持ちと、分からないという問いが、常に拮抗していたように思います。けれど、そんな気持ちを抱えたままでも、教会に行けばいつも、それまでの価値観や幸福観とは違う、そしてそれまでの価値観や幸福観よりもずっと美しい光景を目の当たりにしました。ちっぽけで頑なな自分の想像など遥か超えた体験が、そこにはありました。そんな出来事の連続の果て、今のわたしを縛っているのは自分自身の縄でしかないと思い知った時、ようやく一度は取り下げてしまった洗礼を、再び志願することができました。今はまだちゃんと信じられなくても、これまでと同じ道には戻りたくない、これから先はこういう生き方がしたいという思いからでした。

 洗礼式で額に水がかけられた時、確かに新しく生まれ出た感覚がありました。地球ではなく、もっと広い、どこか宇宙のような場所へ。周りが暗く、洗礼盤が青かったからでしょうか。(笑) 
 あの日、額に受けた冷たい水の感触は、これまでとこれからの確固とした分岐点のようで、きっといつまでも忘れられないと思います。そして自分でも驚いたことに、翌朝の主日のミサで、最前列の受洗者席から後ろを振り返った時に見えたたくさんの笑顔に、突然涙が止まらなくなりました。真っ暗な場所で光を探し求めていた長い日々は終わったんだ、これから先は楽しんでいいんだ、もうひとりじゃないんだ、そう思うと心底うれしく、また全身の力が抜けるほどほっとしました。

 洗礼を受けた今も、依然として間違い、迷うことは多々ありますが、そのたびに、こころの中に立ち戻る起点ができたようで、その恩恵の大きさを遅ればせながら実感し始めています。そして、祈りが日常になったことで、本当に大切なことに気付かされ、また随分楽にもなりました。悲しみや悔いを祈りに昇華して、御心のままにと神様に願うことは、自分の頭で必死に考え答えを探し続けてきたわたしにとっては、大きな解放でもありました。
 ぎりぎりの滑り込みではありましたが、今年、晴佐久神父さまから29人の同期の皆さんと一緒に洗礼を授かることができ、多摩教会の仲間になれたことを、今はただただ嬉しく思います。神父さまをはじめ、迷っていた時期にいろいろと声をかけてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 冒頭の、いつかのわたしの願いが洗礼という思いも寄らないかたちで、けれど最上のかたちで、叶えられたのだとしたら、あの人生で一番暗かった時期にこそ、神様は最も近くにいてくださったのだと思います。最後まで迷い、一時は離れかけたわたしですらそうであるならば、神様はきっとすべての人に、どんな時でも寄り添い導き続けてくださっているのだと今は信じています。
 これから続いてゆく日々が、キリストへの信仰を通して神様の愛のうちに生きる喜びを深め、その恵みを多くの人と分かち合ってゆくものでありますように。

人間は宇宙の愛

鴨田 英子(仮名)

 すべての明かりを消した真暗闇から突然天に突き抜けるような、神父様の力強く美しい祈りの声でスタートした洗礼の式典は、予想をはるかに超えた幻想的で厳粛なミサに感動しました。
 母の胎内にいる様な感じの温かさ、教会の皆様の心を尽くした最高のお世話、喜んでくださる微笑み、代親のシスターが折に触れ握り締めてくださる本当に温かい手の印象は忘れられない。何より10年も前に先に受洗し、家にあってもカトリックの話や、本の購入、教会への誘いと、陰の絶大な力添えをし続けた娘は、前夜に書いた喜びのカードを持参していて、式典後渡しながら抱きついてきた。
 そのカードの「大切なママ…」と始まる文章に、私は産んだ子どもに私が再び誕生させてもらった…という思いと、導きの方向に共に歩いてくれた10年の道のりを思い心からうれしかった。心から申し訳なく思った。

 娘が大学時代、講師としていらしていた40代の神父様の書かれた授業用の1枚のプリントの文章に強烈に心引かれました。ここまで謙虚に勇気を持って恐れず書かれる心根の純粋さに、母として受け入れ難い価値観に、時として闘うこともある生き方へ勇気の共感を覚えたこと。これが今この洗礼へと導かれた根底にあります。
 「母になることは、ひとりのいのちを神様からあずかること」と確信させられた、当時港区にあった病院の高層の窓から、産まれた「いのち」の塊の娘を抱き、下を歩く人達を見て、この小さな重みこそ、すべての真実、嘘のない絶対の信頼そのもの!と何か天の国から下界を眺める心境だったことを、心の核心として実感したことを、はっきり思い出すことができます。
 この核心とカトリックの洗礼は、一直線で結ばれていることを感じます。

 毎月サンパウロ発行の「家庭の友」の1ページ目に欠かさず詩を掲載されておられる神父様の詩の中に「人間は宇宙の愛」という言葉があった。
 私は本当にワクワクとうれしい気分で、宇宙を飛んでいるようなさわやかさを感じ、この世の出来事、悩み、恐れは「宇宙の愛は、人間にとってほんの石ころよ!」と大胆に心が据わった。神の子として宇宙に、親にゆだねることの天才!赤ちゃんのように楽々とした自由感!
 5月から受講した入門講座でも、最初の2〜3回目の頃、心の中にサラサラと水の流れる音をはっきり認識したことを思い出します。とても不思議な感覚だったので神父様にその席で質問した。「それはカトリックの本質です」とおっしゃった。私のわからない感覚をこれほど明確に答えてくださり、正直スゴイ感性の人と思いました。目に見えないことを言葉で最高に納得できるように証明できる方だと。
 そして、またある時は講座の話が「人間としてのありようの、普通で当たり前のことを話していらっしゃる」と感じた時、私はこの普通のことを、こんなに感動して聴いている自分の心の中の汚染を感じ、悲しくてならない思いがした時も「その普通が大切なこと…」とまたも明確な応答。

 その後は自分の生きて来た道を振り返り、逆廻しにグルグル巻きになっているゼンマイが少しづつゆるむような、苦しいような気持ちの時もあった。
 講座を休みひとりになって心を顧み、思い込みや人の言葉に支配され苦しい悲鳴を無視した自分が思い出された。そして汚い言葉でなく、本当に愛に溢れた神の言葉を「ミサ」で「講座」で繰り返す日々を重ねる体験の尊さ、大切さがはっきりわかった。

 「ミサは完全!」とおっしゃる神父様のミサの時の気迫は、時に前列に座っていると切腹を思わせる責任を一身に引き受けた厳しい冷風(霊風)を感じる。
 普段のリラックスされている時の姿との振幅はあまりにも大きい。「現状維持は死!」と説教でおっしゃる内面を伺い知ることは難しいが、毎週金曜日の夜受けた、夜間学校に通ったような1年近い講座の内容は、「やさしいことを深く、深いことを面白く」現実の「今」の問題を題材に、毎回楽しみになった。

 叙階25周年の銀祝を迎えられた54才の神父様のことを初対面の人はほとんど30代〜40代と見間違う。20数年、毎夏、無人島(故郷とおっしゃる)で過ごされる古代人の生き残りのような感性の神父様。
 どうか金祝まで今のまま生き残り続けて、「多くの人、いやすべての人を僕は救う!!」とおっしゃる気概を持ち続けてくださるよう、洗礼を授かった感謝の気持ちを込め、心よりお祈りをいたしております。