巻頭言:主任司祭 豊島 治「第二ステージへ」

第二ステージへ

主任司祭 豊島 治

 「あなたは私の愛する子、私の心にかなうもの」
 イエスがヨルダン川で洗礼を受けた瞬間、天からの声がきこえたとあります。
 いのちの源である父から、完全に愛されていると体感した宣言を、いまの私たちもよびかけられています。

  I love you. You are OK. この宣言を受け、洗礼をうけた私たちは、完全な自己肯定をうけました。あなたは幸せになっていい。という神による永遠の愛と絶対的な受け入れの宣言です。

 もちろん、日常生活の問題や、困難さがなくなるわけではないのですが、命をもつものに与えられる一日一日の現場を果たしていくことでこの神様の宣言を証ししていくことになります。

 この世にあって、目に見えない神の愛、恵み、慈しみ、ゆるしを私たちは世において目に見えるしるしとなる。

 秘跡を大切にしましょう。隣人愛を意識しましょう。ここからの恵みによって私たちは十字架を担って、奪い去られることがない最終的な幸せを目指して次なる歩みを持てればと思います。

連載コラム:「耳を傾ける」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第64回
耳を傾ける

南大沢 加藤 泰彦

 復活祭が終わり、そろそろひと月が過ぎようとしているこの時期は、毎年のごとくちょっと忙しくなってきます。復活徹夜祭で洗礼を受けられた方々の記念文集の編集が始まるからです。2010年から作り始め、今年で7冊目になります。『受洗者記念文集』作製は多摩教会広報部の大切な仕事です。
 入門係の文集担当者から毎日のようにメールで新しい原稿が送られてきます。さまざまな年齢、境遇の方々の、洗礼にいたるドラマが書き込まれた原稿が届きます。長文もあれば短くまとめられたもの、散文もあれば、論文風のものも。書き手の個性を反映させた色とりどりの原稿が集まってきます。
 光栄なことに、この沢山の原稿の第一番目の読者の役割をさせていただいています。第一行目を読み始めたときハッとさせられる原稿に出会うこともしばしばです。それもそのはずで、人生の一大転換点を通り抜けられた方々の証言は読み手をグッと立ち止まらせる迫力があります。文章を丹念にたどってゆくと、行間に深い絶望や挫折、恐れが見かくれすることもあります。また、その苦しみを乗り越えた喜び、賛美も語られます。
 これらはまぎれも無い、生きた証言です。わたしたちはそれに素直に耳を傾けたいと思います。
 復活節第6主日(今年は5月1日)は「世界広報の日」にあたります。この日のために教皇メッセージが出されますが、今年は「いつくしみの特別聖年」にもあたり、フランシスコ教皇は「耳を傾ける」ということを強調されます。

 「人間社会を、見知らぬ人々が競い合い、優位に立とうとする場としてではなく、互いに受け入れ合い、扉がいつも開かれている家や家庭として考えるよう私は皆さんにお勧めしたいと思います。そのためには、まず耳を傾けなければなりません。(中略)耳を傾けることは決して容易ではありません。多くの場合、耳をふさいでいるほうがずっと楽です。耳を傾けることは,注目すること、理解しようとすること、他の人の言葉を評価し,尊重し,大切にしようとすることを意味します。(中略)耳を傾けるすべを知ることは,計り知れない恵みです。それはわたしたちが願い求め、実践すべきたまものなのです。」

(第50回「世界広報の日」メッセージより)

 文集の中にさまざまに語られるそれぞれの人生に、そっと耳を傾けましょう。闇から光りへ、新たな命への誕生の声を聞きましょう。新たに私達とともに歩む仲間となられた方々を喜んで受け入れましょう。
 時間をかけてゆっくり読んでいただければ幸いです。筆者の原文には極力手を入れないようにしておりますので、読みづらかったり、一言一言考えながら文章をたどる必要も出てきます。しかしその作業は「計り知れない恵み」なのです。オアシスを必死に探し求めて来られた方々の旅路の同伴者になりましょう。
 受洗者の皆さんからの原稿もあと少しですべて集まりそうで、このペースでいけば5月中にはなんとか完成の予定です。もうしばらくお待ちください。

特別寄稿:「釜石と福島に行ってきました」

特別寄稿
釜石と福島に行ってきました

司牧評議会委員長 塚本 清

 3月19日から21日に釜石と福島に行ってきました。
 これは、私の息子が高校生の時、東日本大震災のボランティアで釜石に行ってきた関係で、震災から5年経って、「釜石のこれまでと、これから」というイベントがあるので、来ませんかというお誘いを受け、一緒にでかけたものです。

 釜石に着いてまず、カリタス釜石に行きました。カトリック釜石教会の隣にあり、事務局長の今村さんに多摩教会の献金20万円をお渡ししました。震災直後は、教会に寝泊まりして活動を始めましたが、今では自分たちの建物もできていました。釜石の復興は進んでいますが、カリタス釜石では、様々な地域の仮設住宅から復興公営住宅へ移られた方々と、復興公営住宅が建設された地域の方々との交流に力を入れているとのことでした。
 「釜石のこれまでと、これから」では市内外の復興協働団体の発表があり、カリタス釜石からもこの5年間の活動報告がありました。釜石の町を歩いていると、いたるところに震災の後に来た津波の高さの表示がありました。町の中心部では2メートルくらいの高さまで津波が来たようでした。
 翌日は、福島に行きました。福島駅近くの野田町教会には、多摩教会から贈られたマリア像がありました。また野田町教会では、多摩教会のステンドグラスを作られたカルペンティール神父様の作られた十字架の道行のステンドグラスがありました。福島では町は普通のにぎわいでしたが、テレビの天気予報を見ていると、最後に県内各地の放射能の線量が報告されていました。

 今回行けたのは、釜石と福島だけでしたが東北では震災の後の復興がまだまだのところもあるようです。多摩教会でも、これからもカリタス釜石への支援を続けていかねばならないと思いました。

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①                 ②                ③                 ④

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(画像はクリックで拡大表示)

① カリタス釜石(左上の、十字架が立つ建物はカトリック釜石教会)
② カトリック野田町教会(外観)
③ 「多摩教会から贈られたマリア像」
④ カトリック野田町教会(聖堂)

4月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は5/6・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 教会脇、乞田(こった)川沿いの道が満開の桜で彩られた去る4月1日の初金ミサは、転任まぢかの晴佐久神父様と新任の豊島神父様の共同司式で捧げられました。
 当教会での最後の初金ミサ司式となった晴佐久神父様は、「初めて来られた方、いろいろと辛い思いをしている方も喜んで受け入れ、みんなで福音宣教に励んで神の国の宴を先取りしましょう」と熱心に呼びかけられました。

 ミサ後、信徒会館に数十人が集まり初金家族の会持ち寄り食材のお惣菜鍋を賞味しながら和やかに歓談のひとときを過ごしました。
 次回5月6日の初金家族の会は豊島神父様を囲んで懇談会を予定しています。

 初金家族の会は、初金ミサのあとお昼までの1時間、信徒会館で信仰共同体のお仲間同士、楽しくおしゃべりしながらお互いの絆を深める自由な集いです。
 『みんな違って、みんないい』 どなた様も、どうぞお気軽にご参加下さい。

「熊本地震」への支援と募金:4/22更新

(2016.4.22 更新

 すでにご存じのとおり、14日夜からの熊本県中部を中心とした地震により、多くの方々が犠牲になり、負傷され、避難生活を余儀なくされるなど、大変な事態になっております。
 現在も困難な状況におかれている被災した方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 ここ多摩の地でも、いつくしみ深い御父により頼み、心を合わせて祈り、協力させていただきます。

 被災地への募金は、カトリック中央協議会でもお知らせがあったとおり、熊本県を管轄区域に含む「カトリック福岡司教区」、また、「カリタスジャパン」で受け付けています。
 振込先は、以下のとおりです。皆さまのご協力を、お願い申し上げます。



※カトリック福岡司教区※
 
        (参照: カトリック福岡教区ニュース>詳細 4/21更新:「募金受付郵便口座を開設しました(PDFファイル)」)
 郵便振替番号:01760-6-20729
 加入者名:カトリック福岡司教区
 ◎ 通信欄に「熊本地震支援金」と書いてください。

 
 ネット振り込みの場合は、お手数ですが、①ご住所 ②お名前 ③振り込み金額 ④振込み日を
 FAX(092-523-2152)でお知らせください。

 
 ☆ 振り込みに関するお問い合わせは、
         カトリック福岡教区本部事務局(092-522-5139)まで。

 ☆ その他、熊本地震の支援に関するお問合せは、
         カトリック福岡教区熊本地震被災者支援室(080-1761-4150)まで。

※カリタスジャパン※
        (参照: カリタスジャパン公式サイト>詳細 4/22更新:「緊急募金 よびかけのお願い(PDFファイル)」)
 郵便振替番号:00170-5-95979
 加入者名:宗教法人カトリック中央協議会
       カリタスジャパン
 ◎ 通信欄に、「熊本地震」と書いてください。b_simple_51_0L
※カトリック中央協議会※(参照: 「カトリック中央協議会」公式サイト>詳細:「お知らせ」)b_simple_51_0L  ※多摩教会では、お振り込みによる募金は受け付けておりません。ご了承ください※


【 注意!】(東京教区本部より)
 個人宅に直接、教会関係と思われる名前で電話やメールがあり、献金の振り込みを促されるという事例がありました。
 東京教区では、このようなかたちでの献金を募っておりません。ご注意ください。
 なお、このような電話やメールを受けた方は、お手数ですが、東京教区本部(03-3943-2301)までご一報ください。

【目次】2015年 受洗者記念文集(2016/4/5更新完了)

カトリック多摩教会では、2015年復活徹夜祭に26名の方が受洗されました。
受洗を記念して作成された文集のうち、
ホームページに掲載を許可してくださった方の文章をご紹介いたします。
ひとりでも多くの方と、福音の喜びを分かち合うことができますように。

なお、無断でのコピーや転載は、
いかなるメディアにおいてもご遠慮くださいますよう、お願いいたします。

ご覧になりたいタイトルをクリックしてください

主任司祭巻頭言

更新日主任司祭巻 頭 言
2015年10月31日晴佐久 昌英 神父新受洗者を大切にする真の教会として

新受洗者(2015年復活徹夜祭)のことば

更新日新受洗者氏名(仮名を含む)タイトル
2016年4月5日増田 賢二(仮名)「トマスのようですね」
2016年4月5日松嶋 信夫(仮名)神様に近づきたい
2016年4月5日筒井 旬(仮名)あたたかなまなざし
2016年4月5日奥山 美怜(仮名)導かれて
2016年4月5日越川 麗花(仮名)御心を信じて生きる
2015年12月2日月丘 はるか(仮名)洗礼
2015年12月2日クララ・エスペランサ 山本 紗也導かれて
2015年11月24日天野 ひかり(仮名)信じることの大切さ
2015年11月24日天野 まりあ(仮名)せんれいをうけてかわったとおもうこと
2015年11月17日ペトロ ゆうし(仮名)私の十字架
2015年11月17日ヒバ(仮名)ただただ存在しているという事実
2015年11月10日セシリア 水口玲子(仮名)神さまのお導き
2015年11月10日和田 深雪(仮名)「救い」を信じて
2015年11月 3日島 聖一(仮名)教会は 神の愛の サービスステーション
2015年11月 3日和田 まどか(仮名)ありがとうございました
2015年10月31日三国 紀夫(仮名)エクレシア

 

「トマスのようですね」(受洗者記念文集)

増田 賢二(仮名)

 去年の復活祭に初めて多摩教会のミサを訪れました。その日が復活の主日であることも知らずに来たのですが、聖堂を埋め尽くす信徒の方々の熱気に圧倒されたことを覚えています。神様は、この教会で豊かな出会いを私に用意してくださいました。晴佐久神父様がおられるからこそ多摩教会に通い始めたのですが、今では、もし神父様が別の教会に移られても、ずっとこの教会に通い続けたいと思うようになりました。本当に神様の働きは計り知れません。

 入門講座の最初の日、これまで理性を頼りとして信仰を顧みて来なかった、と告白したところ、神父様は「トマスのようですね」と仰いました。およそ一年後、最後の入門講座で、どうしてイエス様は「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのか、愛する我が子を決して見捨てない父なる神の御心をイエス様は揺るぎなく信じておられたはずなのに、と質問しましたところ、神父様は「人間側の考えだけで頭がいっぱいになっているから理解できないのです」と仰いました。そう言われても、引っかかるものは引っかかります。要するに、まだまだ私は入門講座を卒業してはいけない、ということなのでしょう。

 そんな私ですが、神様は一人ひとりにそれぞれ果たすべき役割に必要なだけの力をきちんと用意してくださったのだから、与えられた以上の力が自分にないからといって、悩んだり恐れたりしなくても良い、そのことだけは信じられるようになりました。心が焦りにとらわれそうになるときは、すべて御心のままに、と思えるようになりました。それまでの気負いがすっと抜けていくようでした。

 教会に妻や娘を連れて通い始めた頃、私は、彼女たちの足となって奉仕しているような気分でいました。しかし、いまはむしろ逆に、そのようにして教会に導かれたのは私の方なのだと知っています。大学院時代の留学先で親しくなった友人夫妻が敬虔なカトリック信者であることも、幼い日に母が買い与えてくれた『聖書物語』を読んだことまでも、何もかもが、気の遠くなるほど長い道程で、神様がここへ呼んでくださったのだ、と感じています。息子が「いまはいい」と言って一緒に受洗しなかったのは残念ですが、そのことにもきっと何か素晴らしい神様のご計画があるのだろう、とわくわくしています。

 ところで、洗礼式のとき、不思議な体験をしました。水をかけられる直前までは、確かに昇天するイエス様がもっと斜め前方に傾いて、まるで十字架から離れたばかりのようにおられたはずなのに、タオルで顔をふいて、眼鏡をかけ直してみると、十字架と並行に、まっすぐ天をめざして昇っておられるのです。それまで曇っていた私の眼が、洗礼の水とともに清められ、それまでの歪みが正されたのでしょうか。信仰の光と理性の光をともに与えてくださる神様を信頼して、まっすぐ生きていきなさい、と言われた気がしました。

神様に近づきたい(受洗者記念文集)

松嶋 信夫(仮名)

 私は2001年2月に最愛の母を肝細胞がんで亡くしました。当時、大学一年生であった私は悲しんでいる暇もなく、昼は大学の附属図書館で働き、夜は大学の講義を受け、何とか4年間で卒業しました。しかし、当時は就職氷河期で、就職もできずに大学を卒業しました。何か仕事をしなきゃと思っていた時に、大学の先輩が保育士を目指しているのを聞き、子ども相手の仕事も楽しそうと思い、都内の保育園でアルバイトを始めました。
 その直後すぐに、神奈川県内の公立小学校での障がいをもったお子さんの指導の仕事が入り、がんばって勤めました。平日の日中は、小学校の指導員として働き、夕方から深夜までは、スーパーの品出しとレジのアルバイト、土曜日は都内の保育園の一日保育のアルバイト、日曜はまた、スーパーでアルバイトをして生計を立てていました。

 その頃から、体調に不調を感じ、近所の総合病院の精神科を受診したら、うつ状態ですねと医師の言葉がありました。その日から、何種類もの抗うつ薬、安定剤、睡眠薬を処方され、いわれるままに服用していましたが、何週間、何カ月たてども、症状が良くなりませんでした。
 母を亡くし、天涯孤独になったさびしさ、仕事の大変さ、唯一の親類であった叔父からの暴力と、私なりに大変きつい思いをしました。こんな人生だったら、いっそのこと生きるのをやめようと思い、何度も救急車で大学病院の救命救急センターに運ばれたことを覚えています。警察署に通報され、パトカーに乗せられて、神奈川県横浜市港南区にある県立精神医療センターに連れていかれ、医療保護入院(私の場合は横浜市長の同意のもと)も経験し、テレビも新聞も何もない部屋に鍵をかけられて入院しました。

 退院後、小学校の子どもたちの多くがかけよってきて、「死んじゃうんじゃないかと思った」と言いながら、涙目で近寄ってきてくれました。この頃から、いのちとは何か? 人生どのように生きるべきかを問うため、近所の教会に定期的に足を運びました。毎週ではなくても、ときどきは礼拝(プロテスタント教会なので)にも出ましたし、バザーなどではボランティアもしました。
 もっともっと神様に近づきたい、祈りを深いものとし、信仰を深めたいと思った私は牧師先生に受洗のお願いをしました。しかし、精神的な病をもっており、毎週の礼拝に出席が必ずしもできない私には、受洗の許可がおりませんでした。
 何年も何年も毎年のようにお願いしてきましたが、だめでした。そんな時、友人の神学生さんが多摩教会を紹介してくださり、今年、念願の受洗がかないました。晴佐久神父様をはじめ、受洗に導いてくださった多くの多摩教会の関係者の皆様に深く感謝いたします。今後ともひとつよろしくお願いいたします。