巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

病床も聖堂

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 来週、ドン・ボスコ社から「病めるときも」という小冊子が発行されます。「病と向き合うすべての人へ」というサブタイトルからも分かるとおり、病気の人を力づけ、大切な信仰を支え、つらい思いにそっと寄り添うために編集されたものです。ご病人へのお見舞いとして差しあげたり、ご病人のために祈るときなどに最適ですので、ぜひご一読ください。受付にて、百円で販売します。
 巻頭に、「夜の病室のあなたに」という文章を載せました。「こんばんは。晴佐久神父です。」という一行に始まり、自分の病気の体験に触れ、病のときは神の愛に目覚める恵みのときだと語り、「今夜はぐっすり眠れますように。おやすみなさい。」で終わるという内容です。何故そのような、「わたしが、あなたに」語りかける文体にしたかというと、それが病気の時最も必要なことだからです。
 病気の時、人は孤独です。痛みも不安も、ひとりで背負っている気持ちになります。病状が悪化する中で、時に神に見捨てられたような思いにとらわれることだってあります。ですから、病気の時にありがたいのは、その苦しみを一緒に背負ってくれる家族であり、そのつらさが分かるよとそばにいてくれる友人であり、「わたしはあなたを愛している。いつもあなたと共にいて、その苦しみを共に背負っている」と語りかけてくださるイエス・キリストの存在なのです。一冊の小冊子で語りかけることで、孤独なご病人がそんな救い主の語りかけを聞き取ってくれればと思ったのです。

 今月から、多摩教会の病床訪問チームを発足させました。まだ始まったばかりですから、関心のある方はぜひチームに加わってください。教会は、キリストの家族です。家族の病床を訪問し、ご聖体をお届けするのは当然のことです。キリストの家族として最も大切なことは家族の食事であるミサを共にすることですが、だれよりもミサで力づけられる必要のある病気の人が、そのミサに来ることができません。部屋で寝ている病気の子どもの枕元にお母さんがお粥を運ぶように、ご聖体をお運びするキリストの家族が必要です。
 もちろんお運びする第一人者は司祭ですし、現にお運びしていますが、教会家族みんながもっと普通に、もっと足しげくお運びするならば、教会はいっそう暖かい家族になっていくことでしょう。ご聖体は「聖体奉仕者」でなければ運べないと思っている方も多いようですが、主任司祭が任命すればだれでも運ぶことができます。たとえばご主人が病気になってミサにこられなくなった時に奥様が、あるいはお母様が高齢で外出できなくなった時に息子さんが、予め許可をもらって聖体奉仕者となることが可能です。毎週、主日のミサで聖体拝領の時にご病人の分も預かり、ミサ後にご自宅でお授けすればいいのです。
 そのようなご家族がいない場合やお一人で入院している場合などは、教会のお友達や地区会など近隣の教会家族がお運びしたらいいでしょう。それらをみんな含めて、病床訪問チームです。

 元気な時は当たり前のようにミサに通っていた人でも、ひとたび病気になると、聖堂で共に礼拝できることがどれほどありがたいことかを思い知ります。ミサに行けないことを申し訳なく思う人もいるし、教会を引退してしまったかのようなさみしさを感じる人もいます。聖堂に集れた元気な人たちが、そんなさみしい思いを抱えている大勢の家族のことを忘れてミサを捧げているのでは、おなかをすかせている病気のわが子に運ぶお粥を忘れているようなもの。明日は我が身なのですから、身近にそんな教会家族がいないか、お互いに心を配ることにしましょう。教会は、神の愛のしるしなのですから。
 病床であっても、主日の午前十時に、聖堂のミサに心を合わせてミサに連なることができます。「聖書と典礼」を広げ、十字を切り、集会祈願を祈り、答唱詩篇を歌い、聖書を朗読し、信仰宣言をし、共同祈願を捧げ、奉献文を読み、主の祈りを唱えて静かに待つ。やがて、昼過ぎには聖体奉仕者が午前中のミサの熱気を帯びたままやってきます。出来たてほやほやのご聖体を携えて。そして、今日のお説教はこんなでしたよと話し、ご聖体を授けてくれる。「わたしは、あなたを救う」と、枕元へキリストご自身が来られたのです。何と幸いなことでしょう。その時、病床はもはや立派な聖堂です。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

天国の入門講座

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 今月から、入門講座を始めました。金曜夜、土曜昼、日曜ミサ後です。すでに様々な人が集まっていますし、お世話する入門係チームも出来つつあります。ただ、この「入門講座」という名称は、誤解を招くこともあるかもしれません。
 「入門」というとこれからがんばって練習して上達しようというニュアンスですし、「講座」というとしっかり講義を聴いて学ぶというイメージです。そういう要素がないとは言いませんが、この集いで第一に目指しているのは、まずは直接福音を聞いてうれしくなり、実際に神の愛を体験して喜んでもらいたいということなのです。よく車のセールスで「今度の土日は体験試乗会」とか宣伝していますが、まさにそんな感じ。あれは別に、車の乗り方を練習するのでもなければ、エンジンの仕組みを勉強するのでもなく、ともかく乗ってもらいさえすればその良さを分かってくれるはず、というものでしょう。教会も同じです。ともかく福音を聞いてほしい、一度でも味わってもらいたい、イエスに出会ってくれればきっと分かってくれるはず、という思いです。言うなれば「福音体験会」なわけですが、それじゃ何だか分からないので、やむなく入門講座と呼んでいるに過ぎません。

 ですから、ぜひ、そのような集いであると、そのような集いを求めている人に知らせてほしいのです。一度だけでも構わないし、都合に合わせて来るのでもいい。講座の内容は、それこそお客に合わせてカタログを出すセールスマンのように、一人ひとりが求めているものを察しながら接しますので、どんな事情の人にでも対応できます。苦難の中で救いを求めている人、単にキリスト教に興味がある人、孤独の中で居場所を探している人などなど、理由はともかくだれでもが参加出来ることに意味があります。それこそ神が集めてくれた集いですから、必ずだれもが本物の福音に触れることができると、信じています。
 その意味でも、入門講座を、洗礼の勉強会としてだけ捉えてほしくありません。もちろん、洗礼がどれほど素晴らしい恵みであるかを知っているものとして、洗礼について話し、洗礼の恵みにお招きしますけれども、まずはあくまでも神の愛を知るという福音体験です。洗礼は、そのように福音をしっかりと受け止めた者が、やがて神に導かれて自然と受けるものなのであって、始めに洗礼ありきでは、かえって講座に来にくくなる事もあるからです。
 求道者のみならず、最近受洗したけれど引き続き福音を学んで行きたい、という人もどうぞ。きっと改めて、良い気づきや発見があるでしょう。さらには、信者暦は長いけれどここらでもう一度という人も参加できます。ただし、その場合はぜひ一緒にだれか求道者を連れてくるようにお願いします。福音は、それをもう一人の誰かに伝えるお手伝いをしたときこそ、真に受け止められるものだからです。

 いつも思うのですが、入門講座は本当に恵みの場です。そこには常に新たな出会いの喜びがあり、信頼関係が育っていく楽しみがあり、福音に救われる感動があり、やがて洗礼へと実る聖霊の働きが溢れているからです。ですから、講座のお手伝いをする入門係は、そこにいるだけで神の働きを実感できる、まことに恵み多い体験だと言えます。時には、去年洗礼を受けた人が今年は入門係をするということもあります。それこそ、教会の本質をあらわす美しい姿です。
 イエスは、ペトロに教会を託して、宣言しました。
 「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16・19)。
 教会は、天国の門なのです。その意味でいうならば「入門講座」という名称は、文字通りの講座としてふさわしいと言えるのかもしれません。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

天国の受付

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 着任してひと月が過ぎました。ひとことで言って、至福のひと月でした。新緑滴る多摩の自然に包まれて、ゆったり過ぎる時間。優しい信者たちに囲まれて、さわやかにミサを捧げる日々。ああ、教会っていいなあと改めてしみじみしています。前の教会がいささかあわただしかったので、しばらくは自分のペースを大事にしながらのびのびと福音を宣言していくとしましょう。
 とは言っても、福音を語るには、語る相手がいなくては文字通り話になりません。信徒のみなさんはもちろん、近隣の方々にいたるまでの一つひとつの出会いを大切にすることが始めの一歩です。通りすがりに何気なく立ち寄ってみた人も、救いを求めて勇気を振り絞って電話をかけてきた人も、みんな神様が出会わせてくれた神の子なのですから、ちゃんと出会えばちゃんと聖霊が働いて素晴らしいことが起こります。
 そもそも私たちはみんな、その素晴らしいことによって信仰に導かれたはず。福音を語ることは、恩返しでもあるのではないでしょうか。かつてこの私を福音に出会わせてくれたあの人この人への、さらにはその人を出会わせてくれた、神さまへの。

 このたび、まずは教会の受付を充実させましょうと呼びかけて閉じていた受付を再開してもらったのも、そんな出会いの素晴らしさを教会全体で味わってほしかったからです。教会の受付はとても大切な機能ですし、大きな喜びを秘めています。それは単なる司祭の留守番や戸締りのお手伝いのことではなく、まさに福音への奉仕であり、キリストの教会の使命の本質に関わることだからです。
 心の傷ついた人が恐る恐る教会に電話をかけたとき、受付の人が明るい声で親切に対応してくれたら、どれほど救われた気持ちになるでしょう。興味を持って訪ねた教会で、受付の人が淹れてくれたお茶がきっかけで洗礼を受けたという人も、実際にいます。
 そうなってくると、これはもはやただの電話番などではありません。教会の受付は、そのまま天国の受付なのです。であれば、そこで人々を受け付けているのは実はキリストご自身なわけで、私たちはそれさえ信じてお茶を出していればいいのです。「あとはイエスさまよろしく」って感じで。お茶一杯で人を救うなんて、さすがはキリストの教会の受付というべきでしょう。

 これを書いている今日の午前中、呼びかけに応えて二人のご婦人が受付の奉仕に来てくれました。そこへ、当教会以外の方が別々に三名訪れました。一人は今年洗礼を受けた男性、もう一人は信者暦の長い女性。そのままならそれぞれお祈りして帰ってしまうところを受付が呼び止めて、台所で即席のお茶会となりました。
 ふと外を見ると、また一人たたずんでいます。声をかけると、すぐご近所の女性で散歩中とのこと。立ち話をしているうちに「お手洗いを貸してほしい」と言うので、「どうぞ、どうぞ、うちの教会のトイレは素晴らしいんですよ」と答えたとか。ついでにどうぞと台所に招きいれたところへ、用事を終えた神父が人数分のカステラを持って現れ、にぎやかなお茶会となって話が弾みました。
 話はやがて信仰の話となり、信者たちがそれぞれ抱えている悩みを語り出し、神父がそれに答えて福音を語っていると、突然、そのご近所の女性が感動して涙をぽろりとこぼしました。神父はミサにお誘いし、説教集をお貸しして、ぜひまたいらしてくださいと申しあげました。お貸ししたのは、また会うための作戦ですが。
 受付がいなかったら、このお茶会は永遠に存在しませんでした。

 教会の台所でなくとも信仰さえあればどこでもお茶会は実現できますし、そこで必ず、キリストご自身が福音を語ってくれるでしょう。キリスト者はみんな、天国の受付なのです。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「はじめまして」

はじめまして

主任司祭 晴佐久 昌英

 はじめまして。
 多摩教会のみなさんに、そんな心躍るご挨拶をさせていただきます。
 すべてはこの「はじめまして」から始まることに、私はいつも感動しています。
 生まれたばかりの赤ちゃんを抱きしめて、「はじめまして」。
 かけがえのない親友になるとも知らずに、「はじめまして」。
 数年後に神のみ前で愛を誓い合う二人が、「はじめまして」。
 いつの日か神の国の完成の日に、天の父のみもとで共に感謝と賛美を捧げることになる信徒と司祭が、「はじめまして」。
 あらゆるすばらしい未来が、この「はじめまして」のうちに秘められています。すべての「はじめまして」は、神の結んだ神のわざだからです。

 神は、神の国の完成の日に向けて、今もいつも創造のわざを続けておられます。人間は、その創造のわざの大切な協力者として造られました。神はある特別な力を人間に与え、人間がそれを用いて創造のわざに参与するようにお定めになったのです。
 その特別な力とは、互いに愛し合う力です。
 私たちが愛し合い、赦し合い、祈り合い、助け合うとき、私たちは神の創造のわざに奉仕しているということです。神が私たちを出会わせるのは、ひたすらそれを願ってのことにほかなりません。
 だれかと出会い、「はじめまして」と挨拶するとき、それは単に人と人が初めて顔をあわせているだけのことではなく、その二人の出会いのうちに今まさに神の国が始まっているという、心躍る瞬間なのです。

 前任の高円寺教会でも、本当にすばらしい「はじめまして」が溢れていました。司祭、信徒、信徒の家族、求道者、様々な人同士の様々な出会いによって様々な「はじめまして」が生まれ、それはある人にとっては神との「はじめまして」ともなり、やがてその人が復活祭に洗礼を受けるなんてことも、たくさんあったのです。
 ある大学生は、たまたま高円寺教会の前を通りかかったとき、にぎやかな音が聞こえてきたのでなんだろうと立ち止まったら、入り口の売店にいた入門係に声をかけられて、ちょうどホールで開かれていた青年たちのライヴコンサートへ案内され、次々と「はじめまして」と紹介されてみんなと友達になり、その日は打ち上げにまで参加して神父から福音を語ってもらい、その後教会へ通い始めました。悩みを抱えて苦しんでいたその彼は少しずつ元気を取り戻し、入門講座にも出るようになり、今年の復活祭に洗礼を受けました。受洗を決心して司祭面接をしたとき、彼は言いました。「あの時声をかけてもらえなかったら、ぼくはどうなっていただろう」。
 私の在任中の六年間に、高円寺教会で洗礼を受けた人は、五百四十一人です。その全員と、私はある日出会ったのです。「はじめまして」、と。ある日偶然のように出会った人と「はじめまして」と挨拶するとき、思わず感動してしまう理由が分かっていただけるでしょうか。

 このたび、多摩教会に受け入れてくださり、本当に感謝しています。これからどんな「はじめまして」が待っているのか、わくわくしています。私はみなさんとの出会いを、神のはからいと信じています。みなさんも、一人の司祭との出会いを神のみこころと全面的に信頼して、共に創造のみわざに協力していきましょう。たくさんの「はじめまして」が溢れる、心躍る教会になりますように。

 

加藤 豊 神父 巻頭言集

2003年5月号〜2009年3月号

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2009年

3月号主イエスと出会い、再び会うために〔二〕
2月号神殿の境内で
1月号 主イエスと出会い、再び出会うために

2008年

12月号どちらがいいですか?
11月号殉教者の列福式を前に(二)
10月号殉教者の列福式を前に
9月号十字架賞賛
8月号遠くへ
7月号「靴」
心の押し問答
6月号「真の自己愛」
5月号聖霊降臨と四十九日
幻想紀行(3)
4月号わたしたち人間の間で起きたこと
幻想紀行(2)
星野 正道 神父:ごきげんよう、多摩教会のみなさま
3月号星野 正道 神父:わたしたちの死と復活
幻想紀行
2月号感謝・敬意・恩義
1月号「生涯養成」「福音宣教」
星野 正道 神父:希 望

2007年

12月号 神事の介入
11月号星野 正道 神父:死者の月によせて
10月号「振り返り」
9月号星野 正道 神父:新たな難民
8月号平和を実現(しようと)する人々は幸い
7月号「祭」
6月号生きようとする意志
5月号星野 正道 神父:しあわせとは?
4月号復活節だからこそ
3月号「回心」から「快心」へ
2月号星野 正道 神父:ごらん空の鳥、野の白百合を
それぞれの召命
1月号見果てぬ夢の彼方へと

2006年

12月号神様の自己紹介
11月号星野 正道 神父:終末の時
10月号「感謝」が「孤独」を打ち砕く
町田教会主任司祭 高木 賢一 神父:ロザリオの月に寄せて
9月号星野 正道 神父:聖変化
8月号察する文化のなかにあって
7月号インスタント
6月号星野 正道 神父:アイデンティティーを生かす
5月号良心
4月号永遠性への憧憬
3月号星野 正道 神父:洗礼のめぐみ
2月号「願う=行う」
1月号「夢」

2005年

12月号光と闇のはざまで
11月号ゆっくり、じっくり、根気よく
10月号「ロザリオ」について思うこと
9月号「時間」、この不思議な観念
8月号「共感能力」
7月号「ナンクルナイサ」
6月号「慣れる」こと、「親しくなる」こと
5月号揺らぐ司祭像
4月号教皇ヨハネ・パウロ二世追悼
3月号「善い人だから」ですか?
2月号「小教区」というもの
1月号「仁」

2004年

12月号「酒が不味くなる」はなし
11月号移動時間
10月号あるとき教会は・・・
9月号「仕方無い」、それは新たな出発点
8月号すべての前提は神さまだった
7月号「善さ」の発見と神の国
6月号ケルン訪問を終えて
5月号目立たない花
4月号季節のなかで
岡田大司教様 受難ミサでのお話
3月号新司祭誕生のお祝い
2月号信徒総会を終えて
1月号わたしは罪人です

2003年

12月号クリスマスにまつわる懸念
11月号感謝の祭儀(エウカリステイア)
10月号神無月
9月号シニアの日に寄せて
8月号人はパンだけで生きるものではなく
7月号地域協力体から宣教協力体へ
6月号「あなたがたは世の光である」というみことばを巡って
5月号よろしくお願いします!気持ちは前向きです!

 

2008年バックナンバー

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2008年


12月号

(No.424)

2008.12.19

どちらがいいですか?加藤 豊 神父
ペトロ岐部と187人殉教者列福式に参加して斉藤 ハルノ
カスイ岐部と187人列福式に参加して本江 敏子
小教区のあり方を考える北村 司郎


11月号

(No.423)

2008.11.15

殉教者の列福式を前に(二)加藤 豊 神父
信徒セミナー森司教の講話要約 
御岳山で金祝の祝い加藤 泰彦


10月号

(No.422)

2008.10.25

殉教者の列福式を前に加藤 豊 神父
洗礼式を終えて若宮 直子
バザーが終わって小田切 真知子
教区こどものミサに参加して塚本 清
「信仰と光」東地区軽井沢合宿に参加して増田 尚司
コルベ会からのお願い澤江 秀美


9月号

(No.421)

2008.9.20

十字架賞賛加藤 豊 神父
多摩東青年会大島キャンプやどり
大島レポート清水 優
私設・明窓学林・いしい児童図書館石井 省三
中高生合宿に参加して増島 亮
小俣 真菜
宿里 春奈
三教会合同壮年交流会が開催された石塚 時雄


8月号

(No.420)

2008.8.16

遠くへ加藤 豊 神父
教会学校の合宿に参加して塚本 清
合宿の思い出教会学校小学生クラス
洗礼式を終えて田中 都生乃


7月号

(No.419)

2008.7.19

「靴」加藤 豊 神父
心の押し問答加藤 豊 神父
調布教会献堂式吉田 雨衣夫
調布教会献堂式に侍者として参加川原 星悟
洗礼式を終えて柴田 慶子
じじバカのよろこび松原 睦
修道者のいないカトリック学校で北村 司郎


6月号

(No.418)

2008.6.21

「真の自己愛」加藤 豊 神父
寺西師の金祝加藤 泰彦
堅信を受けて金子 彩乃
合同堅信式に参列して下津 秀則
マリア像完成までの出来事石塚 時雄


5月号

(No.417)

2008.5.10

聖霊降臨と四十九日加藤 豊 神父
幻想紀行(3)加藤 豊 神父
  


4月号

(No.416)

2008.4.19

わたしたち人間の間で起きたこと加藤 豊 神父
幻想紀行(2)加藤 豊 神父
ごきげんよう、多摩教会のみなさま星野 正道 神父
洗 礼片山 大輔
洗礼式を受けて富山恵崔 世羅・せりん
洗礼式を終えて若林 知子・ゆり
若林知子さんの代母として才所 良江


3月号

(No.415)

2008.3.15

わたしたちの死と復活星野 正道 神父
幻想紀行加藤 豊 神父
ポーランド・チェコの四旬節巡礼岩藤 大和
ポーランドとチェコ巡礼10日間藤田 令容


2月号

(No.414)

2008.2.23

感謝・敬意・恩義加藤 豊 神父
洗礼式をあげて洗川 一茂・里絵
洗礼式を終えて七田 耕一・美穂
2008年を迎えて吉田 雨衣夫
マリア像設置中間報告プロジェクトチ
マリア像は、上智の聖母像に決定シスター・フローラ 畑田


1月号

(No.413)

2008.1.19

「生涯養成」「福音宣教」加藤 豊 神父
希 望星野 正道 神父
心の質疑応答加藤 豊 神父
マリア像の設置にあたりシスター・フローラ 畑田
故濱尾枢機卿様の思い出遠藤 和輔

2007年バックナンバー

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2007年


12月号

(No.412)

2007.12.22

神事の介入加藤 豊 神父
歌、それは賛美のいけにえ吉田 雨衣夫
雑感 Nさんのこと増田 尚司


11月号

(No.411)

2007.11.24

死者の月によせて星野 正道 神父
「秋」に想う藤田 照子 
毎年お米をありがとうございます石塚 時雄


10月号

(No.410)

2007.10.27

「振り返り」加藤 豊 神父
私設児童図書館の創設のことなど石井 省三  
せんれいをうけてかなざわきれん
洗礼を受けて金沢 成美
“信仰と光”の初ミサ加藤 幸子


9月号

(No.409)

2007.9.15

新たな難民星野 正道 神父
もう一回…!塚本 清  
中高生キャンプ阿部 風紗子


8月号

(No.408)

2007.8.11

平和を実現(しようと)する人々は幸い加藤 豊 神父
東星学園中学校の共学化スタート加勇田 修士
教会学校の合宿に参加して塚本 清


7月号

(No.407)

2007.7.14

「祭」加藤 豊 神父
桜ケ丘地区集会報告岩井 和子
  


6月号

(No.406)

2007.6.16

生きようとする意志加藤 豊 神父
花を美しい・きれいだと思う「人」石井 由利子
洗礼を受けてペトロ 豊嶋 健太


5月号

(No.405)

2007.5.19

しあわせとは?星野 正道 神父
赤ちゃんの目猪熊 葉子
神学院の現状について岩藤 大和
南大沢・堀の内、地区集会報告藤本 正典


4月号

(No.404)

2007.4.20

復活節だからこそ加藤 豊 神父
洗礼萩原 和幸 
洗礼を受けて齊藤 信也
洗礼式を終えて金沢 もり子


3月号

(No.403)

2007.3.17

「回心」から「快心」へ加藤 豊 神父
2007年への希望吉田 雨衣夫
大きな力に支えられて岩藤 大和
ある宣教者の殉死井上 信一
叙階式4名の新司祭誕生神井 貢成
感謝後藤 昌子


2月号

(No.402)

2007.2.17

ごらん空の鳥、野の白百合を星野 正道 神父
それぞれの召命加藤 豊 神父
『07 新春聖地巡礼』のツアーに参加して中原 信一郎


1月号

(No.401)

2007.1.20

見果てぬ夢の彼方へと加藤 豊神父
或る体験新谷 ときわ  
  

2006年バックナンバー

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2006年


12月号

(No.400)

2006.12.16

神様の自己紹介加藤 豊 神父
カトリックニューズ400号を迎えて加藤 泰彦 
長男の洗礼松口 嘉之
斜に構えた信徒の独り言JMK


11月号

(No.399)

2006.11.25

終末の時星野 正道 神父
多摩教会の墓参をして来ました竹内 秀弥 
秋の遠足「神学院ザビエル祭」に参加して石塚 時雄
ザビエル祭をたずねて中村 秀美
斜に構えた信徒の独り言 クリスマスJMK


10月号

(No.398)

2006.10.21

「感謝」が「孤独」を打ち砕く加藤 豊 神父
ロザリオの月に寄せて町田教会主任司祭
高木 賢一 神父
聖書の通読を終えて井上 毬子
バザーの反省小島 幹生
かみさまの子になって山内 歩
インド・ケ-ララにて高橋 英海


9月号

(No.397)

2006.9.16

聖変化星野 正道 神父
司祭要請による地区集会に出席して松本 和子  
3教会合同キャンプに参加して塚本 博幸
中高生キャンプ大瀬良 誠
中高生会キャンプ手塚 薫
八巻信生さんとのこと  No.2北村 司郎


8月号

(No.396)

2006.8.19

察する文化のなかにあって加藤 豊 神父
八巻信生さんのこと北村 司郎
手招き福井 英夫
聖書に親しむ6神井 貢成
教会学校合宿に参加してくろだ けいか 他


7月号

(No.395)

2006.7.22

インスタント加藤 豊 神父
スペイン・ポルトガルの巡礼から大島 慶子
サッカー交流会に参加して李 吉 魯
聖書に親しむ神井 貢成


6月号

(No.394)

2006.6.17

アイデンティティーを生かす星野 正道 神父
司祭要請による地区集会に参加して鈴木 紀子  
「信仰と光」全国集会に参加して加藤 幸子
マリアさまを訪ねて石塚 時雄


5月号

(No.393)

2006.5.20

良心加藤 豊 神父
涙がでそうになったよ黒田 憲二、美佳子、渓日
洗礼式が終わって阿部 晴明
聖書に親しむ3神井 貢成
聖地巡礼から帰って参加者一同


4月号

(No.392)

2006.4.08

永遠性への憧憬加藤 豊 神父
『三尺三寸箸』 萩原 スミ子  
聖書に親しむ3神井 貢成 


3月号

(No.391)

2006.3.11

洗礼のめぐみ星野 正道 神父
“信仰と光”の魅力 加藤 幸子  
聖書に親しむ2神井 貢成 
教会学校のカルタ会下津 ひとみ


2月号

(No.390)

2006.2.18

「願う=行う」加藤 豊 神父
また1年、よろしくお願いいたします岩藤 大和
ふくろうの会のこと工藤 扶磨子
聖書に親しむ神井 貢成


1月号

(No.389)

2006.1.21

「夢」加藤 豊 神父
聖劇に参加して塚本 博幸 
長女の洗礼榊原 悟 
洗 礼郡司 あずさ
私たちの輪読会藤田 照子