連載コラム:「スローガンの実現に向かって」第29回

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第29回
「歌は最高の祈り、音楽は聖霊の湧き出るオアシスの泉」
私の信仰告白として

稲城地区 小俣 浩之

 聖霊降臨の祝日を迎える頃の季節が大好きです。
 瑞々しい若葉が生い茂り、優しい日の光がきらきらと輝いて、新しい息吹に満ち溢れ、まさに聖霊が天から降り注いでくるようです。そんなとき、天上で奏でられる優しい音楽に包み込まれるような気持ちになります。
 そして多摩教会というオアシスに近づけば、噴水のように飛び散る聖霊の飛沫をいっぱい浴びることになります。

 元来怠慢な私は、ときどきいろんなことがものすごく億劫になったり、煩わしくなったりもします。
 「このところ仕事、決して暇ではないしね、仕方ないよ」とか自分で言い訳を勝手に作りながら、ときには重い足を引きずりながらも、なんとか多摩教会にたどり着く。
 マリア様の前で挨拶をし、ミサにあずかり、次第に心が軽やかになっていく。ミサの後には教会学校の子供たちに囲まれて、一緒に歌を歌う。教会学校の子供たち、目をきらきら輝かせながら座っている。子供たちのすぐそばにイエス様がいらっしゃるのを感じる。聖霊に満たされる瞬間。
 そして疲れていた私はいつしか再生している。

 歌は祈り。
 祈る心とともに歌を歌うと、ものすごく透明な気持ちで神様の前に立てます。
 そんな心を子供たちの中にも育みたい。音楽を通して子供たちの感性も磨きたい。人々を柔らかく包み込む音楽のような優しい心を持ち続けて欲しい。
 そんな想いもあって、もう10年以上、多摩教会の聖劇を子供たちと一緒に作ってきました。

 新しい曲を作ろうとして恵み豊かな歌詞の言葉を前にしたとき、突如として優しい旋律が聖霊とともに天から降りてきます。
 天が開き、天上の音楽が微かに聞こえてくるようなその一瞬が訪れるまで、ピアノの前で悶々とする。聖劇の練習開始が迫っている。けっこう苦しい時間となります。しかし、この作業は召命だと思い、聖霊とともに運ばれてきた旋律、どこかに飛んで行ってしまう前に、なんとか音符というかたちに置き換えていく...。
 「ああ、この旋律、この歌は教会学校のあの子の声にぴったりだ」、
 「このメロディを教会学校の子供たちが全員で合唱したら、イエス様もきっと喜んでくれるだろう」、
 そんなことを思いながら、聖霊が耳元まで運んでくださった旋律をひたすら楽譜に書き留める。
 聖霊の湧き出る泉となる音楽の力、信じています。

 先日、多摩教会で洗礼を受けたばかりの旧友が、初めてミサで答唱詩編を独唱しました。たまたまその日は私がオルガンを担当。
 数十年前、高校時代に彼と始めたささやかな聖歌隊。いまは建て替えられてしまった昔の校舎の片隅にあった小さな聖堂での練習のことがよみがえる。あのときも私はオルガンを弾いて、彼の伴奏をしていた。
 私は自分の信仰を見つけ出す苦労を知らない幼児洗礼。彼は長い間探し続け、悩み続けていた。
 長い長い道のりを経て、その彼がいまや洗礼を受け、ミサで答唱詩編を歌っている。多摩教会の聖堂全体に彼の声が響き渡る。満を持して洗礼を受けた彼の歌声、祈りと信仰の証しに聞こえました。

 歌は最高の祈り。神に感謝。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 「光と、ことばと、水と、パン」

光と、ことばと、水と、パン

主任司祭 晴佐久 昌英

 ご復活おめでとうございます。新受洗者のみなさん、本当におめでとう。そしてすでに洗礼を受けられたすべての信者のみなさんに、改めて受洗おめでとうと申し上げたい。もうだいじょうぶです。みなさんは、神に救われました。
 
 洗礼式を含む復活徹夜祭は、4つの美しいシンボルで飾られています。
 一つ目は、光。
 光のない世界は考えられません。神は永遠の恩寵として光を創造し、限りない愛を持ってキリストを輝かせました。人を閉ざしているあらゆる闇を吹き飛ばすためです。
 司祭は復活のろうそくに新しい火をともすとき、高らかに宣言します。
 「輝かしく復活したキリストの光が、心の闇を照らしますように」
 みなさんの心にともった復活の光は、決して消えることなく輝き続けます。

 二つ目は、ことば。
 世界は神のみことばによってつくられました。そのみことばは、すべての神の子に「おまえを愛しているよ」と語りかけています。みことばであるキリストは、聖書を通して「おまえを永遠に愛しているよ」と語りかけています。
 神の救いの歴史と、主の復活の出来事が聖書で読まれたあと、司祭は説教において宣言します。
 「この救いの歴史は、みなさんにおいて完成しました。この主キリストは、みなさんのうちに復活しました」
 みなさんはみことばによってつくられ、みことばにおいて救われているのです。

 三つ目は、水。
 いのちの水、誕生の水、清めの水です。神から流れ出て、人を満たし、生きるものとする水です。みなさんは、「だれでも渇いているものはわたしのもとに来なさい」というキリストのもとに来て、この水に沈められ、この水から新たに生まれたのです。
 司祭は受洗者一人ひとりの名を呼び、水を注ぎながら宣言します。
 「わたしは、父と、子と、聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます」
 みなさんはその時、ほんとうの意味で生きるものとなりました。

 そして四つ目は、パン。
 神の愛の目に見えるしるし、キリストのからだであるパンです。受洗者にとっては初聖体拝領となるこのパンを食べることこそ、神の子の生きる意味であり、キリストの家族の一致の実現です。まさに「このパンを食べる者は永遠に生きる」のです。
 司祭は一人ひとりにパンを示し、「いままでつらかったね、ほんとうに、ほんとうによかったね」という思いを込めて宣言します。
 「キリストの、からだ」
 みなさんはこのパンを食べ、ついに神とひとつになりました。

 繰り返し、万感の思いで申しあげます。
 「洗礼おめでとう!」
 これ以上におめでたいことは、この世界には存在しません。

連載コラム:「スローガンの実現に向かって」第28回

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第28回

「帰国中年が出会ったオアシス」

日野・野猿地区 渡邉 顕彦

 「帰国子女」という言葉がありますが、日本国籍ながらも外国で生まれ育ち、齢40近くなった最近ようやく帰って来た私は、「帰国中年」というのがよりふさわしいでしょう。その帰国中年がどのようにして多摩カトリック教会に辿りついたのか、以下書かせていただきます。

 私が帰国したのは震災直前ですが、洗礼はその1年ほど前、カリフォルニアにあるプロテスタントのバプテスト系教会で受けておりました。カトリックではありませんでしたが、この南部バプテストの教会でも霊的に成長させていただいたと感じているので、帰国後も当然プロテスタントの教会に所属すると思い込んでいました。

 ただ社会全体の宗教に対する見方、そして教会内の空気も、日本と米国では相当違います。最近、米国で日本人クリスチャンの支援にあたっている方から残念な話を聞きました。米国でプロテスタント教会に入った日本人は帰国するとそのほとんど、約8割が所属教会を見つけられず、信徒の集いから離れてしまうそうです。昨年初めの私も帰国後一年経っても所属教会が決められず、あせっていました。

 そこで、教会を離れるくらいだったらせめてカトリックも見ておこうと、(おかしな言い方で申し訳ありませんが)当時の私としては一大決心に至ったのです。幼少時私がカトリック信者が大多数の国、フィリピンにいたということと、成人してから幾人かのカトリック信徒の方々との出会いがあったということもこの決断の後押しをしていたかとは思います。

 まずネット検索すると多摩教会がカトリックでは一番自宅に近いとわかりました。そして多摩カトリック教会ホームページを見ると、入門講座を週に何度も開いているということで、外部への福音宣教も熱心に行っているということが伝わってきました。ただ最初に来た日には、洗礼式の直後で入門講座は開かれてなかったのですが、突然おじゃましたお祝いの席でも神父様や信徒の方々にも温かく迎えていただいて、カトリック教会は敷居が高いという今までの認識を改めさせられました。

 その後入門講座に通い、改宗(転会)もすませました。多摩教会は私にとってはオアシスでありますし、別なたとえだと温かいオアシス、つまり温泉でもあります。日本に帰って、寒い中とぼとぼと歩いていたら突然賑やかな温泉宿が目の前に現れてびっくりしたという感じです。日本的な良さがあり、でも決して閉鎖的にならず常に外部に開かれて成長している、そのような共同体が今の多摩カトリック教会だと思います。

【目次】 2012年 受洗者記念文集

カトリック多摩教会では、2012年復活徹夜祭に29名の方が受洗されました。
受洗を記念して作成された文集のうち、ご本人から掲載許可が得られた26名の方の文章を、
ホームページで紹介させていただきます。(2013年3月27日に26名分掲載完了)
ひとりでも多くの方と福音の喜びを分かち合うことができますように。

なお、無断でのコピー、転載は固くご遠慮ください。

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主任司祭巻頭言

更新日主任司祭巻 頭 言
2013年7月 26日晴佐久 昌英 神父洗礼こそは神の愛の表れ

新受洗者(2013年復活徹夜祭)のことば

更新日新受洗者氏名(仮名を含む)タイトル
3月10日富山 博子(仮名)「お命じになるものを与えてください」
3月27日本多 美佐(仮名)「これから・・・」
3月26日音無 のぞみ(仮名)洗礼に寄せて
3月26日原田 昌美(仮名)何でもイエスさまと一緒に
3月22日平田 和美(仮名)受洗に寄せて
3月22日安田 光二(仮名) 神の御心に感謝
3月18日吉村 征哉習字教室
3月5日香山 奈々子(仮名)「多摩教会に来てみませんか?」
3月5日田島 優作(仮名)神様に呼ばれて
2月13日神谷 良美(仮名)私は幸せです
1月29日浅田 千恵子(仮名)洗礼をうけて
1月11日宮本 華絵(仮名)洗礼のあと
1月11日宮本 欄(仮名)ここから始まる
1月4日小島 美栄(仮名)2012.4.7 洗礼を受けて
2013年1月4日香川 瞳(仮名)受洗によせて
12月 22日晴野 百合子(仮名)愛の中で今を生きる
12月 15日長居 正英(仮名)受洗までの不思議な歩み
12月 15日加留部 隆(仮名)洗礼を受けて
11月 28日多田 久子(仮名)洗礼を受けて
11月 28日松原 晴子(仮名)心緩やかに生きる
11月 21日草野 久美(仮名)洗礼を受けて
11月 21日佐々木 佳子(仮名)これまでとこれから
11月 14日鴨田 英子(仮名)人間は宇宙の愛
11月 14日春野 優子(仮名)祈られて
11月 8日伊藤 英美(仮名)十字を切る
11月 8日吉良 元裕(きら げんゆう)受洗を終えて

 

「お命じになるものを与えてください」

富山 博子(仮名)

 受洗から2週間たった今、そのままの気持ちは「楽になった」です。それと自分があるべきところにあるという安堵。
 私には自分が選ばれたという気づきがあります。ただ単に、「選ばれた」のです。
 もちろん主の御心は到底はかりしれませんが、「この人はいつまでも門のあたりをフラフラウロウロしていて目障りだから」と、エイッと引き入れてくださったのではと、勝手に想像しています。

 この1年間は、身の回りに起こることがすべてといっていいくらいカトリック受洗に向かっており、「一体どういうことなのだろう」と押し流されながら、正直恐ろしくなりました。
 でも、今はもうすべてを委ねようという思いでいます。 

 15年も前にもらった言葉、それは英語と日本語の併記で断水のお知らせの裏に鉛筆で走り書きされたものです。

“Give what Thou commandest, and command what Thou pleasest.”
〜 お命じになるものを与えてください、そしてお望みになることをお命じください 〜

 茶色い染みがあちこちに浮き出ている、不思議と捨てずにとっておかれたこの紙片にある祈りは、今、私の中で生きはじめ、繰り返されています。
 (※私の葬儀のカードにはこれを、お願いします。)

「これから・・・」

本多 美佐(仮名)

 洗礼式が終わり夜空に光る美しい月を見ながら、私を初めて多摩教会に誘ってくれた友達と受洗の喜びをかみしめながら永山駅まで歩いた。透き通るような真白な月だった。

 去年の夏の終わりに友達に誘われて多摩教会に来た。初めてのミサに感動した。ミサ後信徒館で、皆さんの優しい笑顔に出会った。友達は自分の教会に戻り、私は神様に守られているような気持ちで、ひとり毎週のように多摩教会へ足を運んだ。とても自然な気持ちで…。
 9月…10月…11月が過ぎ…12月上旬、神父様と面談。洗礼を受けるには、まだまだ未熟であり、神様、イエス様のこと不勉強で、こんな自分が受洗して良いのか・・・という思いと、子供の頃クリスマスにもらったイエス様の絵本を見て「教会へ行きたい」という思いがやっとかなった幸せな気持ちが交差して決心できず、保留ということになった。(貴重なお時間を頂いたのにごめんなさい…)
 年が明けて元日、神父様に「受洗したい…」とお話しすると「良かったね、おめでとう。良い年の始まりだね」と笑顔で言ってくださいました。
 2月26日洗礼志願式、4月5日から7日の聖なる3日間の祭儀は厳かで心に残りました。

 私の母は他宗教者ですが、子供の頃イエス様の絵本をプレゼントしてくれたのは母でした。私を信じ「信仰を持つことは良いことよ」と言って、受洗に反対しなかった母にも感謝しています。

 無事に受洗し、幸せな気持ちが続いています。悩んだことがうそのようです。
 本当に「これから…」ですが受洗した喜びと洗礼式の帰りに見たあの美しい月を忘れずに、キリスト者として一歩ずつ歩んで行きたいと思っています。
 晴佐久神父様、シスター、代母のIさん、入門係の方々、励まし合った仲間の皆さん、多摩教会の皆さん、そしてKちゃんありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。

洗礼に寄せて

音無 のぞみ(仮名)

 先日4月7日に洗礼を受けさせていただき、本当に嬉しく、また感謝に思っています。
 私がカトリック多摩教会に初めて来たのは、今から1年半位前になります。その時の私はどうだったかを思い返してみると、まるで自分が悲劇のヒロインみたいに思えていたように思います。

 私は、現在もそうですが、主人と一緒に混声合唱団の一員としてやっていました。確か11月19日の日に定期演奏会を控えていたので、10月の初めの土・日を強化練習として泊まりでオケと合同でモーツァルトのレクイエムを中心に合宿になっていました。主人は体の弱い私を気にして、宿泊なしで、車で2日間とも往復をしてくれました。
 もちろん私も風邪を引かないように気を使いましたが、土曜日はひどい風と雨で寒い日でした。何とか二日間練習をこなしましたが、次の日の月曜日には私は喉が痛く、頭痛と気分の悪さで、(どうしよう風邪を引いたかも)と思っているうちに、夕方には38度近くまで熱が上がり、起き上がることもできない状態でした。
 帰ってきた主人に、「夕飯、熱でできない」と言うとイライラしたように、「だから気をつけろって言ったろ。普通に練習しただけなのになぜあなただけ具合悪くなるんだよ。どうかしてるんじゃないの? 本当イヤだ、バカヤロウ」そう言ったのです。
 あまりのことに、私はショックを受けました。どうしたらよいのかわからなくなったのです。
 気をつけていたことは確かです、でも、会場になったホールは、暖房で乾燥しているうえに結構ほこりっぽかったのです。
 熱の下がらない私は、薬を飲んで寝ているだけ。惨めで、なぜ「バカヤロウ」呼ばわりされなければならないのかわかりません。情けなくて涙しか出なかったのです。

 熱でぼんやりしている時、小さかった私を、祖母がクリスマスミサに連れて行ってくれたことを思い出しました。そのとき神父様が私に、「神様はいつも君を見ているよ。でもつらいことがあったときは教会へおいで」、そう言われたことを思い出しました。
 気がつくとパソコンの前で多摩市の教会を探していました。パソコンは、教会の名前をいくつも出しました。でもカトリック教会はただ1カ所、場所は馬引沢・・・。数日悩みました。電話してみようか、しかし、なかなか電話できません、どうしたらよいのかわからなかったからです。(信者でもない私が電話したらきっと迷惑だよね)。
 でも私の重たい気持ちは晴れず、迷うたびに「つらいときは教会においで」と言われたことを思い出すのです。私は(それならば)と思い切って電話しましたが、カラカラの喉、ガクガク震える電話を持つ手・・・。
 電話に対応してくださったのは神父様でした。「何も心配しないでおいで。場所はね・・・」と行き方を丁寧に話してくださいましたが、私は方向オンチで、(大丈夫かなあ? )と心配になりました。

 「何も考えないでおいで、待っているから・・・」。その言葉で、私は本当に何も思わないまま教会に来ました。
 神父様とお話ししているうちに、私の心はいつしか本当に晴れやかに明るくなり、(最後は夕飯何を作ったら主人は喜んでくれるかな? )などと思っていました。夜になり、(そうだ、私のあの重い暗い気持ちはどうなったのだろう。もしかしたら教会へ置いてきた? )とさえ思ったほどです。
 こんなふうに晴れやかに明るい気持ちになれるなんて、最初は思ってもみなかった私です。神父様は「入門講座においで。ミサにおいで。みんなに触れ合ったらいいよ」。笑顔でそう話してくださり、私はその週の金曜日の講座に行きたいと思うようになりました。

 この優しくて大きくて深い気持ちがイエス様の心。
 講座へ最初に行ってとまどう私に、入門係の方や他の方は私に違和感なく話しかけてこられ、その中にいられる私は幸せだと思うようになっていきました。だから教会に行けることが楽しみになりました。
 そうするうちに、主人への気持ちも変化していきました。体調を崩した私に罵倒とも思える言葉を使った主人、普通ならばとても赦せるものではありません。
 でも、講座やミサへ行き、お話を聞いているうちに、主人はきっと、一生懸命私をかばって最大限のことをやったのに、それでも体調を崩した私に、きっと(こんなに心配しているのにまったく! )という、そんなため息をつきたくなる思いで、「バカ」と思わず言ってしまったのだ。それなのに、私は大げさに落ち込んで、今思うと恥ずかしいとも思えるのです。
 教会へ通うようになると、主人の態度も変わっていったように思います。
 車で仕事場近くまで送ってくれることもあり、以前はなかなか言えなかった「ありがとう」の言葉を言えるようになりました。

 今、洗礼を受けて思うことは、改めて合唱を主人とやれることや、私にピアノを弾くことを教えてくれた母、また私のことを親身になって心配してくださった入門係の方々、大きな愛情で導いてくださる神父様、本当に感謝だと思います。
 いつか主人と一緒に、ミサへ、講座へと行かれたら、こんなにうれしいことはないと思うのです。きっとそうなると願っています。