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大震災の犠牲者のために捧げるレクイエム

井上 信一

 私たちの共同体には色々なタレントを持っておられる方がおられますが、その中で作曲家として活躍されている方を二人ご紹介しましょう。しかもこのお二人が昨年の大震災の犠牲者に捧げるレクイエムを作曲されたお話です。

その1
 昨年の復活祭で奥様と一緒に受洗された石島 正博さんです。石島さんは桐朋音楽大学作曲科の主任教授をされています。生まれ育った石巻の町と自然が震災で跡形もなく流され沢山の人たちが犠牲となりました。その深い悲しみを《REQUIEM for piano》という曲に込めて作曲されました。そして、この曲は日本だけでなく、海外でも演奏され、世界的に有名な作曲家からも高い評価を受けています。私は昨年の8月21日八王子で開催されたピアノ・コンサートでこの曲を聴く機会を得ました。ヨーロッパを中心に第一線で活躍されているハン・カヤさんとうピアニストの演奏でこのレクイエムが紹介されました。演奏の後、石島さんはステージに上り、この曲についての思いを次のように語られました。
 「2011.3.11は特別な日でした。地震と津波によって壊滅的な被害を被った東北の小さな、美しい海辺の町、石巻は私の父の故郷、私自身も多感な少年時代を過ごした場所だったからです。
 自らが流木になったような気持ちをどこかに繋ぎ止めなければならない必然を感じて、私は《REQUIEM》を書きました。それは、異常な緊張と押しつぶされるような情感の海に漂った1週間でした。目の前で無くなっていくものをどうにかしてとどめたい、しかしそれは叶わない。ならば、私自身の記憶をせめて音にとどめよう、そう強く思いました。
 だから、という訳ではないのですが、第1曲目にはishinomakiを音列化(アルファベットを音変換)して全曲の統一モティーフを作り、第2曲にはわらべ歌をデフォルメしたモティーフを用いました。続く第3曲の最終小節の音は、実は楽音ではなくノイズによって表現されるのですがその音に私は dolorosamente「悲痛に」という発想記号を書き込みました。 悲痛な雑音! 第4曲は私自身の精神のある錯乱を presto(極めて速い)と pesante(重々しい)な時間の対比を表現しています。そして第5曲は嬰へ音のオスティナートで貫かれた《死の行列》です。その列の向こうから「嘆きの鐘」が聴こえてきて、やがて、その鐘の音に《子守唄》が重ねられますそして、曲は閉じられることなく終曲第6曲へと受け継がれます。
 《波にさらわれた子供たちの霊》を慰める。その一念の子守唄。
 しかし、その唄は最後まで唄われることなく虚空に消え去ります。」

その2
 もう一人の作曲家はやはり10年ほど前に私たちの教会で洗礼を受けられた藤田 玄播さんです。特に吹奏楽の分野で数々の名曲を生み出し、その中には吹奏楽コンクールの課題曲として取り上げられたものもいくつかあります。洗足学園音楽大学で教鞭もとられていた方です。奥様は“ブドウの木”のグループで聖歌の奉仕をされています。藤田さんはこの数年来、厳しい闘病生活を余儀なくされていますが、そんな状況にあるにも拘わらず、昨年、宮城県気仙沼校の吹奏楽部の依頼で、震災の犠牲者へのレクイエムを作曲されました。曲名は「復活への道」ですが、「東北大震災のためのレクイエム」という副題がついています。
 昨年末から練習を始めたこの部員たちによる演奏会は気仙沼市内のホールで4月8日、すなわちご復活の主日に開催されました。
 大地震と津波の災害の荒々しさを表す序盤の演奏。そこでチューバを吹いた3年生の部は、「初めて演奏した時には、がれきだらけの自宅の前で立ちつくしたことを思い出した」と語り、犠牲者を悼むトランペットの独奏をした生徒は、犠牲になった親族の笑顔を思い浮かべながら、「音色がみんなの悲しみを癒せれば」と話しました。そして最後は復興に起ち上がる人の姿を思わせる闇から光への終盤につながります。この吹奏楽部の全員がそれぞれの苦い、そして悲しい体験を思い浮かべながらも、「聴く人にとっても新たな一歩を踏み出すきっかになれば」と思い、この曲を演奏したとのことです。(4月8日付読売新聞の記事に基づく)

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

さあその日をめざしてがんばろう

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 
  もう十年も前に生まれたぼく。
  学校にはりきって入学したぼく。
  そんなぼくは、今日もいろいろなことでしかられている。
  そのたびに決心しては、次にまたしかられる。
  こんなことではだめだ。
  よしこんどこそやるぞ。
  だめかもしれないけれどやってみよう。
  そしていつかできるようになったら
  先生やおとうさん、おかあさんにむねをはってやろう。
  さあその日をめざしてがんばろう。

 母が亡くなる数年前だったと思います。ある日、母が「これ、ずっと仕舞ってあったんだけど、返すね」と言って、黄ばんだ一枚の紙を渡してくれました。そこには、鉛筆書きのていねいな字で10行ほどの詩が書いてあり、作者名は晴佐久昌英とありました。最初の一行から類推するに10歳の時の作品のようですが、本人は全く覚えていなかったので、突然昔の自分と出会ったような、何とも不思議な気持ちになりました。
 上掲の詩が、それです。内容からして、たぶん国語の授業で「心で思っていることを素直に書きましょう」などと言われて書いたものではないでしょうか。まさに、毎日叱られて生きていたあの頃の正直な気持ちが書かれていて、いじらしいというか、切ないというか、思わず「がんばれ、自分!」と言いたくなるような詩です。たぶん、このけなげな詩を読んだ母も同じように思ったであろうことは、40年近くこの詩を捨てずに持ち続けていたことからもわかります。おかげさまで、詩人晴佐久昌英の処女作は、ちゃんとこの世に残された、というわけです。よく読むと体言止めや決意の独白、二行ずつの脚韻などのレトリックが施されてあり、独特のリズム感もあってなかなかの技巧派です。
 今はこの詩は額に入れて、トイレに飾ってあります。毎日座るたびにこの詩を読んでは「だいじょうぶだ、晴佐久君、君はがんばってるよ。だれも君をしかったりしない、もうむねをはっていいんだよ!」と自らに言い聞かせるのですが、人の思いというものはそう簡単に変わるものではありません。結局は、10歳の思いからちっとも変わらずに、「でもまあ、そうは言っても、こんなんじゃまだまだだよね・・・もう少しがんばらなくっちゃ」という気になるのです。

 このたび、晴佐久昌英の第2詩集「天国の窓」が発行されました。帯には「18刷、4万2千部のベストセラー『だいじょうぶだよ』から10年、待望の第2詩集」とあります。確かに詩集で4万部というのは立派なベストセラーでしょうし、ちゃんと第2詩集も発行されるなんて、詩人晴佐久君、できるようになったじゃないですか。むねをはってやろうじゃないですか。
 この詩集は、言うなれば「写真詩集」とでも言うべきもので、見開きの片方のページに菅井日人氏の美しい写真、もう片方に詩を載せました。よく、「これ、写真が先なの? 詩が先なの?」と聞かれますが、思わずそう聞きたくなるほどに写真と詩が寄り添って一つの世界をつくりだしているところに、他とはちょっと違う面白さがあります。実際には、写真からインスピレーションを得て詩を書きました。それを並べると、写真と詩、つまり光とことばが絶妙に響きあって、心に深くしみこむ詩集になりました。
 「だいじょうぶだよ」のときもそうでしたが、いつも詩を書くときには、特定のだれかを思い浮かべながら書きます。特に、今つらい気持ちでいる人や、困難の中にいる人のために、励ましとなり希望となるように書いているので、全体に癒しと慰めの香り溢れる詩集になりました。ぜひ、闇の中にいる人、救いを求めている人にプレゼントしてください。ひとつの詩を生み、育て、納得いくものに実らせるためには、大変な苦労と工夫、強い信念と忍耐が必要ですが、苦しんでいる人の気持ちがほんの少しでも和らいでくれるなら、がんばった甲斐があるというものです。
 しかし、ここでいい気になってはいけません。まだまだむねをはったりしてはいけません。こんなことではだめだ。よしこんどこそやるぞ。だめかもしれないけれどやってみよう。さあその日をめざしてがんばろう(涙)。

投稿記事

祈り

福井 英夫

 皆さまは毎日どんなお祈りをしていますか?
 私は、朝起床時に「今日もいち日何事もなく過ごす事が出来ますように」。朝食と夕食前、夫婦で祈りを唱えてから食事に入ります。寝る前は今日いち日の反省感謝のお祈りをしています。

【 朝の祈り 】

新しい朝を迎えさせてくださった神よ、きょう一日わたしを照らし、導いてください。

いつもほがらかに、すこやかに過ごせますように。
物事がうまくいかない時も、ほほえみを忘れず、いつも物事の明るい面を見、
最悪のときにも、感謝すべきものがあることを、悟らせてください。

自分のしたいことばかりではなく、あなたの望まれることを行い、
まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを見い出させてください。

アーメン。


 2000年9月。“長崎・平戸・生月巡礼団”に参加した折に団長のカトリック瀬教会主任司祭(当時)のケンズパリ神父さまから、この朝の祈り、夕べの祈りカードをプレゼントされて、巡礼中、朝食前と夕食前にはツアー参加者全員で唱えてから食事に入りました。私達夫婦は毎日朝食前と夕食前には、この祈りを唱えてから食事のお恵みを頂きます。

【 夕の祈り 】

一日の働きを終えたわたしに、やすらかな憩いの時を与えてくださる神よ、
あなたに祈り、感謝します。

きょう一日、わたしを支えてくれた多くの人たちにたくさんのお恵みをお与えください。

わたしの思い、ことば、おこない、おこたりによって、あなたを悲しませたことがあれば、
どうかおゆるしください。

明日はもっとよく生きることができますように。

悲しみや苦しみの中にある人たちを助けてください。
わたしが幸福の中にあっても、困っている人たちのことを忘れることがありませんように。

アーメン。


今日いち日ありがとうございました。神様に感謝”

いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。

(テサロニケの信徒への手紙)

                   

2012年 3月号 No.463

2012年 3月号 No.463

発行 : 2012年3月24日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 神父 】


そういうことだよね

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 大西 勇史神学生の助祭叙階式が、3月18日高円寺教会にて行われました。
 大西神学生は、私が高円寺教会の主任司祭だった時に、私が推薦して神学校に入学したので、出身教会は高円寺教会、召命の上での親代わりとなる推薦司祭は晴佐久神父ということになります。それで、叙階式では新助祭に助祭のストラと祭服を着せる役を仰せつかり、当日、今まさに助祭の秘跡を受けたばかりのわが子に祭服を着せることができました。上気した顔のわが子の祭服姿はふしぎにまぶしくて、なるほど親心というものはこういうものかと感無量でした。
 残念ながら、自分の助祭叙階式のときはだれが祭服を着せてくれたのか覚えていません。着せてくれるはずの推薦司祭小林五郎神父は、その3年前に亡くなっていたのです。叙階式が行われたのは、私の出身教会である小平教会ですが、そこはその7年前に私の父親の葬儀ミサがあり、3年前には親代わりの神父の通夜式のあったところでもありました。
 1986年の3月23日の自分の助祭叙階式は、十字架のイメージがくっきりと残る叙階式でした。なにしろ、受難の主日に行われたのです。その年は珍しく5人の助祭叙階式があったので、復活祭前の主日に順番にやっていくと、その日しか残っていなかったのです。当然、式は枝の行列で始まり、受難の朗読が行われ、会衆は前に亡くなっていたので、どなたかが代役をしたからです。叙階式が行われたのは私の出声を合わせて叫びます。「十字架につけろ、十字架につけろ」。その声をわが身に受け止めながら、「そういうことだよね」と、身の引き締まる思いをしたものです。
 さらにその日は、記録的な豪雪だったのです。朝方から降り始めた雪はみるみるうちに積もり、教会へ向かう私の乗った車は交差点の真ん中でストップ、参列者もタクシーで駆けつけるなど何とか来れたものの、式が終わるころには見たこともないほどの積雪となって交通機関がすべて止まり、お祝いもそこそこにみんなあわてて帰ったけれど、中にはその日はついに教会に泊まった人も出るという騒ぎとなりました。また、西武線が積雪によるポイント故障の事故を起こして、それに乗っていたシスターが怪我をするということもあり、まさに受難の主日の受難の叙階式でありました。でも、十字架から復活へ向かう主の後を慕うのですから、まさに「そういうことだよね」ということでしょう。
 大西新助祭の叙階式は何事もなく無事に終わり、これからの活躍に大いに期待ですが、あれから26年たった親代わりとしては、心から祈るばかりです。
 「神さま、すべてはあなたの恵みのうちにあります。どうか新助祭が、どこまでも秘跡の恵みを信じ、ひたすらに秘跡に奉仕し、秘跡そのものとなりますように。すべての十字架は復活に向かうという、真の希望の証し人となれますように」

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第21回

≪「荒れ野のオアシス教会」を目指して≫

中原 信一郎

 今回、このコラムを書いて欲しいとのお話を頂いた時は、ためらいを感じましたが、自分の心の内にいるイエス様、また父なる神様にさまざま問いかけた中、光栄に思い一筆書かせて頂くことにしました。
 人は生きている限り、心から『オアシス』を求めるものだと思っています。なぜなら、日々の生活において、渇きや苦しさを覚える時に『心の潤い・安らぎ』を求めることは自然なこと、少なくとも、私はそのように感じています。
 私自身にとって、「オアシス=心の潤い・安らぎ」とは、あるがままを受け入れてくれる「イエス様の愛の泉」、つまり「慈しみ」であると感じます。そういう意味で、私が両親の愛と神様の愛の「結晶」として生まれ、4歳の時に幼児洗礼を四谷のイグナチオ(麹町)教会で与かり、信仰生活を続けられることは大きな恵みです。これまでの信仰生活を振り返って見ると、幼児洗礼を授かってから、かれこれ40年近く経つなかで、私と関わってくださり、育ててくださった方々や出来事から、たくさんの影響を頂いたと深く感じています。中でも、私が通学していたプロテスタントの中学・高校のモットーである『敬神愛人』の精神が基盤となっていることも大きなことの一つと言えます。
 私は初聖体を7歳に受け2年後から侍者をし始めましたが、子供の頃は母親の命じるままに、いやいやしていたのを覚えています。でも、教会のお兄さんと一緒に侍者をし、神父さまにも可愛がってもらい(もちろん、なってないとかなり叱られました!)、愛情を持って接してくれたおかげで、居心地の良さを知らず知らずのうちに覚え、大人になってから、神様・イエス様のはかりしれない愛を意識して、感じることができました。姉の勧めでCLC(クリスチャン ライフ コミュニティ)と関わりを持ち、夫婦共に歩む日々は、「神に感謝」です。また、主なる神の御手に委ねながら、一時一時を大切にしていこうと思います。
 さて、東日本大震災から1年経ち、被災された方々が求める「オアシス」、またその方々に「オアシス」を与えたいと様々な形で、支援をされている方々がおられます。私自身も妻と共に、3日ほど釜石ベースにてボランティアとして参加してきました。被災された方々に「心のオアシス」を・・・という思いはあるものの、私達にできたことはほんの僅かにすぎません。しかし、少しでも力になりたいという思いの中で各地から来られていたボランティアの存在は大きくたくましいものでした。   
 教会での奉仕では、憂い・患いの中でもがき苦しみ教会に助けを求める方々のためにも、祭壇奉仕や祈りを通して「心のオアシス」という恵みが与えられるように、聖霊の働きと共に助けになれればと願っています。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

そういうことだよね

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 大西 勇史神学生の助祭叙階式が、3月18日高円寺教会にて行われました。
 大西神学生は、私が高円寺教会の主任司祭だった時に、私が推薦して神学校に入学したので、出身教会は高円寺教会、召命の上での親代わりとなる推薦司祭は晴佐久神父ということになります。それで、叙階式では新助祭に助祭のストラと祭服を着せる役を仰せつかり、当日、今まさに助祭の秘跡を受けたばかりのわが子に祭服を着せることができました。上気した顔のわが子の祭服姿はふしぎにまぶしくて、なるほど親心というものはこういうものかと感無量でした。
 残念ながら、自分の助祭叙階式のときはだれが祭服を着せてくれたのか覚えていません。着せてくれるはずの推薦司祭小林五郎神父は、その3年前に亡くなっていたのです。叙階式が行われたのは、私の出身教会である小平教会ですが、そこはその7年前に私の父親の葬儀ミサがあり、3年前には親代わりの神父の通夜式のあったところでもありました。
 1986年の3月23日の自分の助祭叙階式は、十字架のイメージがくっきりと残る叙階式でした。なにしろ、受難の主日に行われたのです。その年は珍しく5人の助祭叙階式があったので、復活祭前の主日に順番にやっていくと、その日しか残っていなかったのです。当然、式は枝の行列で始まり、受難の朗読が行われ、会衆は前に亡くなっていたので、どなたかが代役をしたからです。叙階式が行われたのは私の出声を合わせて叫びます。「十字架につけろ、十字架につけろ」。その声をわが身に受け止めながら、「そういうことだよね」と、身の引き締まる思いをしたものです。
 さらにその日は、記録的な豪雪だったのです。朝方から降り始めた雪はみるみるうちに積もり、教会へ向かう私の乗った車は交差点の真ん中でストップ、参列者もタクシーで駆けつけるなど何とか来れたものの、式が終わるころには見たこともないほどの積雪となって交通機関がすべて止まり、お祝いもそこそこにみんなあわてて帰ったけれど、中にはその日はついに教会に泊まった人も出るという騒ぎとなりました。また、西武線が積雪によるポイント故障の事故を起こして、それに乗っていたシスターが怪我をするということもあり、まさに受難の主日の受難の叙階式でありました。でも、十字架から復活へ向かう主の後を慕うのですから、まさに「そういうことだよね」ということでしょう。
 大西新助祭の叙階式は何事もなく無事に終わり、これからの活躍に大いに期待ですが、あれから26年たった親代わりとしては、心から祈るばかりです。
 「神さま、すべてはあなたの恵みのうちにあります。どうか新助祭が、どこまでも秘跡の恵みを信じ、ひたすらに秘跡に奉仕し、秘跡そのものとなりますように。すべての十字架は復活に向かうという、真の希望の証し人となれますように」

連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第21回

≪「荒れ野のオアシス教会」を目指して≫

中原 信一郎

 今回、このコラムを書いて欲しいとのお話を頂いた時は、ためらいを感じましたが、自分の心の内にいるイエス様、また父なる神様にさまざま問いかけた中、光栄に思い一筆書かせて頂くことにしました。
 人は生きている限り、心から『オアシス』を求めるものだと思っています。なぜなら、日々の生活において、渇きや苦しさを覚える時に『心の潤い・安らぎ』を求めることは自然なこと、少なくとも、私はそのように感じています。
 私自身にとって、「オアシス=心の潤い・安らぎ」とは、あるがままを受け入れてくれる「イエス様の愛の泉」、つまり「慈しみ」であると感じます。そういう意味で、私が両親の愛と神様の愛の「結晶」として生まれ、4歳の時に幼児洗礼を四谷のイグナチオ(麹町)教会で与かり、信仰生活を続けられることは大きな恵みです。これまでの信仰生活を振り返って見ると、幼児洗礼を授かってから、かれこれ40年近く経つなかで、私と関わってくださり、育ててくださった方々や出来事から、たくさんの影響を頂いたと深く感じています。中でも、私が通学していたプロテスタントの中学・高校のモットーである『敬神愛人』の精神が基盤となっていることも大きなことの一つと言えます。
 私は初聖体を7歳に受け2年後から侍者をし始めましたが、子供の頃は母親の命じるままに、いやいやしていたのを覚えています。でも、教会のお兄さんと一緒に侍者をし、神父さまにも可愛がってもらい(もちろん、なってないとかなり叱られました!)、愛情を持って接してくれたおかげで、居心地の良さを知らず知らずのうちに覚え、大人になってから、神様・イエス様のはかりしれない愛を意識して、感じることができました。姉の勧めでCLC(クリスチャン ライフ コミュニティ)と関わりを持ち、夫婦共に歩む日々は、「神に感謝」です。また、主なる神の御手に委ねながら、一時一時を大切にしていこうと思います。
 さて、東日本大震災から1年経ち、被災された方々が求める「オアシス」、またその方々に「オアシス」を与えたいと様々な形で、支援をされている方々がおられます。私自身も妻と共に、3日ほど釜石ベースにてボランティアとして参加してきました。被災された方々に「心のオアシス」を・・・という思いはあるものの、私達にできたことはほんの僅かにすぎません。しかし、少しでも力になりたいという思いの中で各地から来られていたボランティアの存在は大きくたくましいものでした。   
 教会での奉仕では、憂い・患いの中でもがき苦しみ教会に助けを求める方々のためにも、祭壇奉仕や祈りを通して「心のオアシス」という恵みが与えられるように、聖霊の働きと共に助けになれればと願っています。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

聖書を読んだことがありますか

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 「聖書を読んだことがありますか」と聞かれたら、何と答えますか。
 キリスト教信者ならば「もちろんあります」と答えるでしょう。しかし、「では、聖書には何が書いてあるんですか」と聞かれたら、どう答えるでしょう。自信をもって答えられる人は少ないのではないでしょうか。
 聖書は、一見ただの本です。そこには普通の日本語が並んでいて、大抵は総ルビで小学生でも読めますから、目で追えば読んでいるつもりになるかもしれません。
けれどもわたしたちは、本当に聖書を読んでいるのでしょうか。
 ある男子が、同じクラスの女子からラブレターをもらったとしましょう。以前から大好きだった子が、恥ずかしそうにそっと手渡してくれたのです。家に帰って開いてみると、「入学した時から、ずっとあなたが好きでした。こんなわたしでよかったら、つきあってくれませんか」と書いてあります。
 そのとき、もしも「この『あなた』って、だれだろう。ああ、うらやましい。あの子からこんなラブレターをもらうなんて、なんて幸せな奴だ。」と思うとしたら、よほど鈍感な人物だというしかありません。
 この場合、彼はこのラブレターを読んだといえるでしょうか。

 聖書の作者は、神です。「聖書は、それを書いた人に注がれる聖霊の働きによって神が書いた」というのは、キリスト教の信仰箇条です。そしてそこには、ただ一つのことが書いてあります。
 「わたしは、あなたを、愛している」
 聖書はわたしたちに、神の愛を語っています。ときに象徴的な神話で、あるいは掟と教訓の書として、また救いの歴史の記録として、そして美しい詩のことばで。ときに預言者の預言として、あるいは福音書という奇跡的文書で、また使徒たちの手紙として、そして神秘的な黙示のことばで。そこには、徹底してたったひとつのことが書き記されているのです。
 「わたしはあなたを、愛している。天地創造の初めから神の国の完成のその日まで、絶対に、完全に、永遠に、愛している」
 いうまでもなくその「あなた」とは、聖書を読んでいるあなたです。この神の愛のことばを、読んでいるわたしに対して語られていることばとして読めないのであれば、聖書を読んでいるとは言えません。

 神父のところには、大勢の信者さんが相談に来ます。体のこと、心のこと、ときにお金のこと。夫のこと、子供のこと、ときに姑のこと。仕事のこと、人生のこと、ときに教会の中で不満に感じていること。
 神父は忍耐強いので、優しい顔でうなずきながら聞いていますが、その心の中で何を考えているかを、お教えしましょう。
 「聖書を読め」
 そう思っているのです。なぜなら、すべての答えは聖書に書いてあるし、それを信者であるあなたは、もうすでに読んでいるからです。いや、先ほどの言い方でいうなら、読んでいるのに読んでいないからです。本当に読んでいるなら、感銘と感謝と感動のあまり、愚痴も悩みも恐れも吹き飛ぶはずだからです。
 少なくとも、わたしはそのように読んできました。
 病気で悩んだとき、イエスさまから「天の父はあなたを生かしている。明日を思い煩うな」と言われて、ほんとにそうだと救われました。心が折れそうなとき、イエスさまから「世の終わりまで、わたしはいつもあなたと共にいる」と言われて、励まされました。恐れのあまり死にそうになったとき、イエスさまから「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と言われて、熱い涙をこぼしながら祈りました。「はい、あなたを信じます」と。
 救い主、イエス・キリストから「あなたを愛している」と言われたのに、あと何が必要なのでしょう。あとだれに愛されたら満足するのですか。あとどんな幸せを望むのですか。あとどんな不満があるというのですか。もしもほかにどうしても何か必要だ、まだ不満だ、悩みがつきないというなら、申しあげたい。
 「聖書を読め」

 とは言え、聖書は一人で読むのにはなじまない書物です。聖書はそのはじめから、大勢の仲間たちによって、大勢の仲間たちに向けて、大勢の仲間たちと読むために書かれているからです。
 その意味でも、聖書を読む最高の方法は、ミサに集うことです。ミサ自体が生きた聖書だからです。司祭が唱える言葉も会衆が唱えることばも聖書に由来していますし、とりわけ朗読台で朗読される聖書のことばは、いま、ここで、神がわたしに語りかけていることばなのです。その朗読を受けて語られる司祭の説教は、まさに「あなた方が耳にした聖書の言葉は、いま、実現した」という宣言であり、クライマックスの聖体拝領では、その聖書のことばがいまここで実現していることを、みことばであるイエス自身を食べて味わっているのです。
 ミサで聖書を読むということは、そのまま、神に愛されているということです。信じる仲間と共に聖書のみことばに触れ、真の平安を味わっているミサは、もはや天国です。
 そんな天国の準備として、金曜日午前十時より聖書講座を開いています。次の主日に読まれる聖書について、晴佐久神父がわかりやすくお話しています。難しい知識は一切必要ありません。聖書の一言ひとことが、まさにあなたへの愛のことばであることをゆっくりと味わう講座です。ミサをオペラにたとえるなら、幕が上がる前の前奏曲、といった感じです。信者歴の長い人も、洗礼前の求道者も、だれでも参加できます。
 聖書なくしてミサはありません。ミサなくして教会はありません。そして、教会なくして聖書はありません。聖書は、信仰の家族と共に教会で読め、ということです。

連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第20回

≪「荒れ野のオアシス教会」を目指して≫

石井 省三

 「荒れ野のオアシス教会」を目指して・・・というタイトルで何か一文を、とのご依頼に、拙文を一筆書くことにしました。
 私は、ほとんど日曜日にミサに来るとき、障害者仕様の車を運転して来ます。手足麻痺のため、電車バスの公共交通機関が原則的に使えないためです。決してノロノロ運転するでもなく、法定いっぱいの速度で走っているつもりです。うっかり制限を超えて走ってしまうと、獲物を狙う白い狼の餌食になってしまうことは、よく知られているところです。一方、尾根幹線でもニュータウン通りでも、少しでも前車との間隔を開けると、法定制限速度や何のその、猛然と追い抜き追い越していきます。そのことも含めて、ドライヴァーのマナーだけの問題ではなく、仕事の世界でも、一般の日常生活のあらゆる場面でも、人心の在り様の一端に過ぎないと思えます。
 教会外の一般社会、いわゆる世間が、あらゆる面からも、すさまじい“荒れ野”であることは、私だけの感じ方、見方ばかりとは思えません。
 教会に着き、聖堂に入ると、もう大丈夫、ほっとした安心感に浸ります。私にとって、教会の存在そのものが荒れ野のオアシスなのです。その緑滴るオアシスへ入ると、いろいろな案内人が、甘い水はこちらへどうぞと案内してくれます。それが各種当番等の役割分担だと思います。そうした居心地の良い場所を求めて、これからも、「荒れ野の中のオアシスをめざして」、通い続けようと思います。どうぞ、よろしくお願いします。