4月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は6/2・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 多摩教会脇を流れる乞田川沿いの桜花が爛漫と咲き誇った、四旬節第5金曜日の4月7日、豊島神父様はごミサの説教で「私のことば、私の差し出す手、私の祈りに、愛がこもっているでしょうか。今日のヨハネによる福音にあるように、様々な人の恨み、痛み、誤解、ねたみがイエス様を十字架に追いやったのです。御父が今、私たちを愛しておられることを感謝し、私の言葉が、家族に対して、人に対して、愛があるかどうか、いつも心に留めることが大切です」と話されました。

 続いての「初金家族の会」では、久々に一品持ち寄りのお鍋料理を囲みながら歓談のひと時を過ごしました。集まった心づくしの旬の食品数々は奥様方パワーで温かいうどん汁に変身、楽しく賞味しながら、初顔合わせの方々とも話がはずみ、信仰家族の絆を深めましました。

 5月5日には、初金ごミサはありますが、家族の会はお休みで、次回は6月2日に開催の予定です。
 「みんな違って、みんないい」、気楽な雰囲気の中で、諸先輩の貴重な体験談も聞ける1時間の「初金家族の会」です。どうぞ、どなたさまも初金ごミサのあと、信徒館にお立ち寄りください。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「桜 咲きます」

桜 咲きます

主任司祭 豊島 治

 現在多摩教会信徒館は外壁塗装をはじめとする修繕工事をしています。
 周囲は足場で囲まれ、復活祭までの完了にむけて朝から夕方まで作業が進められているのです。
 夜は時々多摩教会駐車場を我が家にしている白い猫たちが運動不足を解消するように作業足場をつかって上り下りする光景となります。かなり真剣です。

 外壁の工事と併せるかのように、教会の暦も四旬節にはいりました。復活祭までの四旬節の最中、洗礼志願者とともに過ごすのと同じく、愛の献金がよびかけられ、献金袋・箱、趣意書を含めたよびかけの文書がキャンペーンとして皆さんに渡されます。特に復活祭にむかう聖週間、木曜夕に教会で行われる(今年は13日19時から)「主の晩餐の夕べのミサ」奉納の式文朱書きには以下のように記され、典礼とのつながりも感じます。

 『感謝の典礼のはじめに、信者は(供え物といっしょに)貧しい人を助けるために集めたものを行列して運ぶことができる。その間「愛といつくしみのあるところ」を歌うことができる』

 この愛の献金は毎年12月の司教総会で採択され教会の皆さんにつたえられます。カリタスジャパン担当者会議において趣旨を定め、全司教の決議をもって実施されるのです。カリタスジャパンのベテラン委員さんは「昔、償いの献金といわれて長く続いている四旬節の愛の行為だよ」と教えてくださいました。私は子どものころからあのデザインの献金箱に記憶がありますが、そこまでとは知りませんでした。
 4月2日にカリタスジャパン援助部会秘書の瀬戸神父さまにいらしていただいて、具体的な四旬節の過ごし方や、カリタスジャパンについて教えてもらえる機会、そして黙想につながる講話をお願いしています。午前中聞き逃した方、確認したい方のために午後「補講」という時間を設定しています。カリタスジャパンは共催という形で協力し、他のサポートもしてくださるでしょう。ご参加ください。

 復活祭が近くなると桜の開花が期待されます。
 「桜の時期に多摩教会にいってみたくなる」と多摩教会を知っている人は、よく話してくださいます。もっとも期間限定しなくても、いらしてほしいのですが。

 多摩センター駅から歩き始めて乞田川(こったがわ)沿いの桜並木をながめて多摩教会のミサにいらしてはいかがでしょうか。聖橋までの乞田川両脇約3キロにわたり、500本以上の桜が咲き誇ります。並木道のおよその終点が多摩教会なので、いわば折り返し点として考えられます。反対側の道をつかえばミサ行きと帰り道では別の眺めが楽しめます。川面の様子もオススメです。日頃、運動不足の方は片道3キロコース所要時間約一時間の散歩となります。普段使う交通手段をかえて遠回りもいいものです。桜のつぼみを愛(め)でながら、春の喜びを祝う準備を大事にしましょう。

201703jyokai-M2017年3月20日 東京教区司祭叙階式 : 新司祭に按手する豊島神父(中央)〕

連載コラム:「あなたのいきを」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第75回
「あなたのいきを」

マグダラの聖マリア 優 (ペンネーム)

 原っぱの真ん中にその教会は建っていました。教会の庭で色とりどりの玉子を探した幼い日を今でも鮮明に覚えています。
 私は小さい頃から日曜学校に通っていました。讃美歌が大好きでした。意味もよくわからずに覚えた使徒信条と主の祈りは、いつでもそらんじることができました。母からの進学祝い、夫の両親から贈られた結婚のお祝いも聖書。母も義父母もキリスト教徒でした。
 しかし、いろいろな出来事があり、私はもう二度と教会に行くことはないだろうと思っていました。

 あれから四半世紀・・・。生きる自信を失くして自暴自棄になっていた私に、友人が教会に行くことを勧めてくれました。
 桜が満開のある朝、私は友人に連れられて、初めてカトリック多摩教会を訪れました。友人は、まずマリア様の前で立ち止まり祈りました。私はとても不思議な気持ちで、その姿を見ていました。階段の上の大きな扉は開いていて、その奥のガラス扉の先にまだ人影も疎らなお御堂がありました。その日は復活祭。私はミサの始まりを待たずにお御堂を後にしました。
 それから一週間後、私は何かに導かれるように再び教会を訪れます。そして初めてカトリックの御ミサに与ったのでした。大好きだった讃美歌が一曲もない。覚えていた主の祈りも異なっていました。十字を切る人、ベールを被る女性信徒、会衆一人ひとりに渡されるご聖体。初めてのことばかりで私は大きな戸惑いの中にいました。しかし翌週もその次の週も・・・と私はいつしか教会に通うようになっていました。
 お御堂はオアシス。神様と私の二人だけの時間と対話がそこにはあります。自分自身と向き合う厳しさの中に、穏やかで心温まる時をいつも神様は与えてくださいます。祭壇の十字架とイエスさま。ひざまずいて祈る人の美しい姿。多摩教会の天井シェードの隙間から射し込む一筋の光や、ステンドグラスを通して入る柔らかい夕陽に、どれだけ心癒されたことでしょう。お御堂に響き渡る典礼聖歌は優しく私を包みこんでくれます。
 あなたのいきを おくってください
 すべてがあらたになるように

 初めてこの聖歌を歌った時は涙がとめどなく溢れました。神様は全てをあらたにしてくださる。生まれ変わって新しい自分になりたいと切に願いました。たくさんの素晴らしい出会いと励まし、お導きにより翌年、私は洗礼を授かりました。
空、光、風、木々の緑、花、水の音、私の大好きなものたち・・・。この世の全ての物をお造りになられた神様に、私は幼い頃から、そして教会から離れていた日々も賛美と感謝を捧げてきたことに改めて気づきました。

 今、神様はいつも私のそばにいてくださいます。神様に『おゆだね』することも教わりました。
 私は介護施設で歌わせていただいています。無表情だったお年寄りと目が合い、そして口元が動いた瞬間。暗く沈んだ顔に笑みがこぼれる瞬間。私の歌に涙する人に出会えた瞬間。『ありがとう』の言葉。こんな素晴らしい一瞬を神様は何度も示してくださいます。
 歌を通して神様のみ旨にかなう人となれますように。
 神に感謝。

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     〔写真はご本人提供〕

3月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は4/7・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 春まだ浅い3月3日初金の日、豊島神父様は、3月1日の灰の水曜日に因んでの教訓として、本当の意味の断食とは今日のイザヤの預言にあるように、「つぐないの断食を苦行としてでなく、愛のために、愛の行いとして行うこと、それが主の悲しみ、主の苦しみをわが身に受け止めることになるのです」と話されました。

 続いての初金家族の会では、「現代に生きる私たちにとって、殉教とは・・・」という奥の深いテーマでのわかちあいをしました。中嶋 誠さんがキリシタン時代の西欧社会の信仰、思想の背景、宣教、布教の歴史の概要、国内外の様々な立場の人たちの心の葛藤、日本では圧政の下、多くの庶民が真剣に天国での救いを求めていた事実の数々などについて話され、参加者からも様々な感想をはじめ、話題の遠藤周作原作の映画「沈黙」の感想あれこれも出ました。

 豊島神父様は、「時代は移り変わっています。往年の、搾取され、極端な貧困にあえいでいた時代の人たちの姿に思いを馳せ、神様、私を今、この時、悲しみ、苦しみから救ってください、栄光を現してくださいという願いを学び、信仰を守り抜いてきたことで命を捧げた人たち、異なる道で信仰を後世に伝えた人たちすべては神様の慈しみの温かいみ手にあることを信じましょう」と話され、50人近くの参加者それぞれに様々な思いが深く心に残るひとときでした。

 次回、4月7日(金)、花や緑の季節の初金家族の会では、一品持ち寄りの楽しいお鍋を囲んで皆さんで歓談しましょう。午前11時前から会場は信徒館です。
 どうぞお気軽にご参加ください。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「き ま す」

き ま す

主任司祭 豊島 治

 寒い日々、私が修道院のミサから帰るとオアシス広場に雀(スズメ)がいます。
 まだ人の往来の時間ではない静かな空間で元気に鳴いています。
 空が青くなり道路の往来がにぎやかになってきたころ、鶇(つぐみ)が舞い降ります。雀はその場をゆずり飛び立ち、鶇はオアシス広場の主(あるじ)となります。これが、今年「春一番」までの多摩教会・朝の風景です。

 「復活祭が遅い年は春がくるのも遅い。」といわれます。
 どうりで毎年多摩西部では復活祭の前に桜が満開になっているような気がします。
 3月1日から四旬節を迎えるにあたって、私たちは季節の「春」より上の「喜びの春」の体験を迎えるようになろうではありませんか。

 2月の25日の土曜日は黙想会をします。「多摩教会黙想会は初ではないか」とおっしゃった方がおられました。新しい人を招き常に宣教の熱意をもって歩んだ教会は一旦振り返ることが必要です。個人としても共同体としても。
 14時から17時半まで行います。その後ゆるしの秘跡があり、ミサへと続きます。

 2月26日には「列福記念特別講話」があります。福者ユスト高山右近が2月7日に列福されました。私たちにとって殉教はどんなふうにとらえているのか、30分くらいの短い講話をきいて今の私になにができるか身につけましょう。

 その一カ月後、4月2日にカリタスジャパンの瀬戸神父さまをお招きして四旬節特別講話があります。四旬節の期間中「愛の献金」がおこなわれます。四旬節メッセージに即して過ごすことをミサ後30分くらいの講話をきいて役立てましょう。喜びの春を体感するために。

連載コラム:「見返りを期待しない他者とのかかわり」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第74回
「見返りを期待しない他者とのかかわり」

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 南部 憲克

 飛行場を出ると外は真っ暗だった。深夜の暑さと車のクラクションに排気ガス、私はインドに初めて降り立った。ここはムンバイ。後ろからほんのかすかに袖を引く者がいる。必ず振り向かせるとの強い意志を感じる。意志に振り向けば、腰骨に1歳ほどの子を乗せた母親が、すでに右手を差し出している。子は、じっと私を見つめて、まばたきもしない。明らかに母親に協力している。これが母子の職業。紙幣を握った右手は素早くサリーの中へ。言葉はない。高い方から低い方へ水が流れるのは当たり前なのだ。
 「見返りを期待しない他者との関わり!」これがインドの最初だった。

 もう27年も前になる。NGOの主宰者とインドやバングラディシュを訪問することになった。
 小さなビニール片を重ねた屋根のスラム街。たくさんの子どもたち。恐る恐る1人が寄ってきて、私の受け入れを見るとたちまちとり巻く。元気が私をとり巻く。貧しさには負けていない。失礼がないように大声で叱る父親、母親は、土間の片隅で夕食の支度をしている。これが家族。
 ささくれた黒板でチョークの授業が進む。40人ほどの教室。中学生のような女の子のそばには1年生のような男の子もいる。それだけではない。ガラスのない窓から重なるように顔、また顔、顔がのぞいている。外の子どもたちは、仕事をしていて、学校には行けないのだ。
 生まれてから死ぬまで固定化された格差社会。だが、子どもたちには屈託がない。NGOはこの壁を取り崩そうと子どもたちに「教育」を贈り、学校を建設し、井戸も掘り、病気の子を救うこともしてきた。

 私の里子の1人は、南インド・チェンナイにある「マルコホーム」の少女だ。デカン高原の南端、大きな岩に小さな灌木の不毛の地。5人のシスターが、大きなマンゴーの木の下で、鍬を振り上げて、井戸を掘り、学校を作ってきた。25人ほどの子どもたちは、玄関先で勉強の最中だった。「ホールへ集まりなさい」シスターの声。誰も立ち上がらない。だけど動き出している・・・。皆手で体を引きずって移動している。誰も手助けしない。マルコホームは、ポリオなどで親から捨てられた子どもたちが暮している。
 NGOが、毎年手術費を届け、順に手術を受けて歩けるようになった。中には麻酔を断った子もいた。麻酔代を他の子の手術費に充てたのだ。
 数年後、女の子に再会した。しきりに目をこすった。親と呼べる人を持たない。親に会えたうれしさに涙が出て止まらないのだ。女の子は、手術を受けても自分の足で立つことはできなかった。やがて女の子は17才になった。「私は弁護士になって、障害を持った人や貧しい人や女性のために闘いたい」と表明した。少女は、飛び抜けて成績が良く、六年制の大学へ入学した。しかし、その先は難関らしい。女の子は銀行員になった。眼鏡の奥には柔和な目があり、動作は落ち着き払っている。きっと人の苦しみや悲しみに寄り添うように生きているに違いない。

 「日本の家族が幸せで健康でありますように!」里子たちは祈ってくれている。皆、毎日、早朝からのミサを欠かさない。期待しないのに届けられる見返り。オアシスはこんな人と人との関わり。
 NGOの名は、「エスナック」。主宰者独りで1人の里子から始めて35年、巣立った子は6000人を超える。主宰者はシスター藤田。私の代母だ。

2月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は3/3・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 北風の冷たかった節分の2月3日、初金ミサで豊島神父様は「世間的には損な生き方、茨(いばら)の道かもしれませんが、沢山のお恵みを受けている私たちです。 真っ直ぐな道を歩きましょう。神様はきちんと支えてくださいます」と話されました。

 続いての初金家族の会では、ニューヨークの国連日本政府代表部で7年間、そして、国連児童基金(ユニセフ)の南太平洋フィジー事務所で2年間、帰国後は東京の在日外国大使館で20年以上勤務されている多摩教会信徒の方がお話ししてくださいました。外国からの在日政府高官の間で、日本人そして、日本料理やテレビ番組などの日本文化に対し、いかに関心が強く人気があるかについて、また異文化のなかでのご自分の失敗談など、ユーモアを交えた貴重なお話を披露なさり、初参加の8名も交えて40数人が集まって盛会でした。

 初金家族の会、次回3月3日には、遠藤周作原作、スコセッシ監督が映画化した「沈黙」をめぐって、現代に生きる私たちにとって「殉教」とは・・・との問いかけをテーマに、信徒の中嶋 誠さんにお話ししていただき、ひき続き豊島神父様を交えてみんなで自由に意見交換、わかちあいをする予定です。
 映画をご覧になった方も、見ていない方も、この機会にどうぞご参加ください。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「チャンスに乗じます」

チャンスに乗じます

主任司祭 豊島 治

 皆様は、年末年始をどのようにお過ごしになられたことでしょうか。私は多摩教会で初めてのクリスマス。そして大晦日から元旦と皆様と祈りを共に出来ましたことを特にありがたく感じました。また、元日ミサの中で、皆様の幸いと平和をお祈りいたしました。 皆様方も、それぞれの場で一年のことを祈願なさったことでしょう。時間の流れは速いもので、今年ももうずいぶんと過ぎていってしまいました。

 ある日曜、主日のミサに観想修道会で過ごしている方が、北海道からわざわざ私に会いたいということで多摩教会にいらしてくださいました。彼は車の免許を取得せよという命令をうけたためしばらく東京にいて、その都内滞在先からわざわざ3時間もかけて10時のミサに間に合うようにいらしたのです。普段は北海道の山のなかで、祈りと労働の日々を過ごし、気分転換になる刺激的な出来事もあまりないところで生活しているのに、とても充実している表情をされていました。

 「幸せになりたい」という願いは、私たちに共通する根源的な欲求です。何を買うか、何を着るか、どこに住むか、どれを食べるか、誰と暮らすか。どれも「もっと幸せになるために」選び、決断します。多摩教会では今年結婚式が予定されていますが、結婚とは「幸せになるために」するとても大きな決断でしょう。結婚式というイベントでなくとも、私たちは毎日、いや毎瞬、毎瞬、幸せを願い、探し、選んでいると言えるかもしれません。では、「何が私を本当に幸せにしてくれるもの」なのでしょうか。社会や世間がもてはやしているものを手に入れることが、本当に私にとって価値ある幸せの保証なのでしょうか。それがないと不幸なのでしょうか。

 もし、神様に、「がんばっているあなたにご褒美として、幸せになるために三つの願いをかなえてあげよう」と言われたら、私は悩むでしょう。何を求めたらよいのかと。どうなったら幸せになれるかと。
 次のように即答できれば幸せです。「このままにしておいてください。いまある人との絆を大切にできれば」。それは世間から見たらちっぽけな、ささやかな幸せかもしれませんが、現状の自分を受け入れられることは本当に「幸せ」なことだと思います。

 自分は「幸せになってはいけない!」と決めてしまっている方がおられます。あんな事をした自分は、あんな否定的な扱われ方をした自分は幸せになる資格がないと決めてしまっている人がいます。
 神の赦しと慈しみから除外されている人はいません。救いの泉から外されてしまっている人は一人もいません。
 まずは、私を赦してくださっている神に自分で安堵することから始めましょう。そして自分を赦すこと、自分を認め受け入れることができたら、隣人へのまなざしが優しくなることでしょう。 そしてより多くの人を招きましょう。
 2月からはゆるしの秘跡や再認識のチャンスが多くあります。赦しと和解の恵みが皆さんのうえにありますように。