連載コラム:「生後三日目の洗礼」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第73回
「生後三日目の洗礼」

落合・鶴牧・唐木田・町田地区 日野 美津子

 去年の10月、私はふるさとの平戸に行ってきました。年老いた兄夫婦が元気なうちにという思いと、懐かしさで、長崎で行われた研修会を終えて、バスと車で3時間もかかる平戸に向かいました。親はもういなくて、家もありませんが、まず自分が育った家の跡地だけでも見たくて、目的の兄の家より先に行きました。
 私が育ったところは、左前方に生月島(いきつきしま)、右前方に度島(たくしま)が見える平戸島の最北端です。この2つの島を毎日見て育ち、行くことなど考えたことがありませんでした。ところが、だいぶ前に平戸と生月を結ぶ橋が出来ていたことは聞いていたので、今回チャンスと思い、私は初めて、何回か行ったことのある兄夫婦と、ワクワクして出かけました。私は、過去の生月での出来事は何も知りませんでした。

 初めて見る水色で塗られた橋は、空と海と大自然に溶け込んだ美しい橋でした。丘の上の教会の庭に設置されたファティマの聖母と牧童たちが私たちを迎えてくれました。お御堂の中は、左右と後ろの壁はステンドグラスを思わせるような南米から取り寄せたという色とりどりのちょうちょの羽で飾られていました。毎日見慣れていた島は、教会も庭も聖堂内も、また島全体もオアシスでした。
 この教会の出身者の中に、毎年、9月28日に祝われる聖トマス西がいます。1634年11月11日に処刑された69人の中に、二人の神父様がいました。その中の一人です。この69人の殉教者たちは、26聖人たちと同じ西坂の丘で斬首、火あぶりで殉教し、二人の神父様は穴吊りにされて殉教しました。教会の近くには、「黒瀬の辻殉教地」があり、神父様のお父様が殉教したところでした。目の前には、海と無人島が見え、この島で大勢の人の拷問、処刑が行われたそうです。
 何も知らずに、この島に来た私は、恵みとショックを同時に受けて、生月を後にしました。やがて、見慣れた平戸の無人島の前を通るとき兄が指さして、この島でも大勢の人たちが拷問処刑されたと教えてくれました。私の生家の近くの浜でも、殉教者の血で海が染まったといわれている場所があります。

 久しぶりのふるさとにワクワクしながら旅立った私は、一週間後には、多摩の自宅で400年前に起こっていた出来事に深い感銘を受け、殉教者の苦難と受難を思い、祈りのうちに、涙と恵みに浸されました。ましてや、私たちがキリストの受難を思うとき、どれほどの恵みが注がれてくることでしょう。
 主が聖ファウスティナにおっしゃった言葉が思い出されます。「私の受難を1時間黙想する方が、血を流す鞭打ちを1年間行うより、もっと多くの功徳がある」。

 私の田舎では、赤ちゃんが生まれると、洗礼はいつ授けていただくかと、まず洗礼のことを心配していました。私は生後3日目にその恵みをいただきました。第一に信仰、死ぬも生きるも、主のためとの先祖の思いの行動だったのだと感謝しています。
 この世のものにはとらわれず、主と聖母を愛した殉教者、聖人たちにならい、この世で最高のオアシスである主と聖母の二つのみ心の中にいつもとどまり、養い育てていただきたいと思います。

      

カトリック山田教会(蝶の装飾画)
生月島「カトリック山田教会」(蝶の装飾画)
   
生月島「黒瀬の辻殉教地」
生月島「黒瀬の辻殉教地」(ガスパル様)

寄稿:「巡 礼」

= 寄 稿 =
巡 礼

加勇田 明子

 きっかけは、昨年、巡礼で八王子教会を目指した方が誤って多摩教会に来てしまい、「八王子教会への行き方教えて」と声をかけられたことでした。その時初めて、平成28年が巡礼の年であること、指定された教会がいくつかあることを知り、是非行ってみたいと思いました。昨年3月のことです。
 それから半年以上たった11月16日、TさんとUさんと3人で出かけました。3人で出かけるのは初めてでしたが、電車に乗った途端おしゃべりが始まりました。各々の信仰との出会いとか、通っていた教会のこととか、とりとめなく話は尽きませんでした。昼食は築地でお寿司と決めていましたが、お店がなかなか見つからず困りました。でも一番の楽しみだったので執念で見つけました。とっても美味しかったです。
 築地教会は3人とも初めてでした。立派な聖路加病院の傍らにひっそりと建っている姿、ギリシャ建築のような4本の柱が印象的でした。
 16、19日と2日間、カテドラル、イグナチオ教会の納骨堂、神田教会の強烈なステンドグラス、歴史を感じる八王子教会の聖堂。ミサに出席するのではない見学は新鮮でした。
 昨年夏、夫と巡礼教会のひとつである西千葉教会を訪ねました。久しぶりに会う旧知の小林神父様からお話を伺いました。「今年は、50年に1度の巡礼の年で、巡礼に行くとすべての罪が消えるの。素晴らしいでしょ」。まったく意味が分かりませんでした。帰る途中、夫に聞きました。「あれってどういうこと?」「そういうこと。誰でも罪があるから。罪のない人はいないから」やっぱりわかりませんでした。
 11月の巡礼が終わって2、3日して、ふわっと浮かびました。「リセット」、このことかな? 神父様の言われたことって。「これだ!」と思いました。
 新しい自分。過去に執着しない日々。巡礼ってこういうことかと思いました。行かなかったらわからないことでした。
 数日後、私たちが巡礼の計画をしていた時に、そばで聞いていた人に会いました。「巡礼に行ってきたのよ」と話したら、「お寿司美味しかった?」と言われました。楽しい教会です。

1月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は2/3・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 新年1月6日(金)初金ごミサのお説教で豊島神父様は、「身体の痛み、不調など、人生で出会う不快なことを私たちはどのように受け止めたらいいのでしょうか。神様のご計画は、『永遠』という尺度のもとにあります。『永遠の命』をいただいている私たちは、一日一日、永遠を見つめて過ごしましょう」とお話になりました。

 続いての初金家族の会は正月休みの予定でしたが、特に豊島神父様が去年4月の熊本大地震災害後のカリタス福岡・熊本支援センターの援助活動について、信徒会館でスライド上映をしながら報告してくださいました。

 ボランティア活動は山のような瓦礫やごみの処理、おにぎり作りなどの炊き出し、風呂場作り、トイレの清掃、農業支援など多方面にわたり、若者たちは日頃の夜回り体験などを生かして大活躍、被災者との会話を交えての作業ぶりで、安心感、励ましを届けました。多くの皆さんから物心両面の支援もあり、カリタスの活躍が地元からも大きく評価されたというご報告でした。

 次回、2月3日(金)のごミサのあと、午前11時前頃からお昼までの初金家族の会では、国連や在日の外国政府機関で30年以上にわたり広報業務を担当なさっている信徒の方が、ご自身の貴重な体験談を披露してくださる予定です。どうぞご参加ください。

2016年「多摩カトリックニューズ」バックナンバー

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2016年


12月号

(No.520)

2016.12.17

愛のあるところ、それがクリスマス 豊島 治 神父
光り続ける一粒の真珠 桜ヶ丘地区
佐倉 リン子
「初金家族の会」からのお知らせ


11月号

(No.519)

2016.11.26

次、いきます 豊島 治 神父
「全ては御手のなかに」 -婚姻の秘跡の更新- 関戸・一宮・府中・日野・野猿地区
バルトロメオ 岩藤 大和
「初金家族の会」からのお知らせ


10月号

(No.518)

2016.10.22

おわりにあたって、はじめます 豊島 治 神父
日々のオアシス A・W(ペンネーム)
「初金家族の会」からのお知らせ


9月号

(No.517)

2016.9.17

① 猫。います
② カリタス・ジャパンについて回答します
豊島 治 神父
オアシスの出発点諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区
渡辺 悠(ペンネーム)
「初金家族の会」からのお知らせ


8月号

(No.516)

2016.8.20

ささげます 豊島 治 神父
オアシスの水辺にたたずむ稲城・川崎地区
水野 めぐみ(ペンネーム)


7月号

(No.515)

2016.7.16

まねかれます 豊島 治 神父
私の求める場所はここだった稲城・川崎地区
Monica 下田 尊子
「初金家族の会」からのお知らせ


6月号

(No.514)

2016.6.18

つながります 豊島 治 神父
ピクシス( PYXIS )で思うこと諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区
マリア・クララ(ペンネーム)
メイラン神父様について塚本 清
「初金家族の会」からのお知らせ


5月号

(No.513)

2016.5.28

やりとげます 豊島 治 神父
来週も頑張ろう!南大沢・堀の内地区
山本 保子
「初金家族の会」からのお知らせ


4月号

(No.512)

2016.4.30

第二ステージへ 豊島 治 神父
耳を傾ける南大沢地区
加藤 泰彦
釜石と福島に行ってきました司牧評議会委員長
塚本 清
「初金家族の会」からのお知らせ


3月号

(No.511)

2016.3.19

日本一の教会においでください晴佐久 昌英 神父
神父さま、ありがとうございました!入門係一同
晴佐久神父様、ありがとうございました司牧評議会委員長
塚本 清
「初金家族の会」からのお知らせ


2月号

(No.510)

2016.2.20

7年間の巻頭言晴佐久 昌英 神父
福音を語るとは落合・鶴牧・唐木田・町田地区
北村 司郎
「初金家族の会」からのお知らせ


1月号

(No.509)

2016.1.23

二つの「みんなの家」晴佐久 昌英 神父
青年会と聖劇関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区
森 友昭

12月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は’17/2/3・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

  待降節第一金曜日、12月2日のごミサのお説教で豊島神父様は、「イザヤの預言やマタイによる福音は、人間として人間の気持ちがわかる者としてお生まれになった主のお恵みを、不自由な体の人々が喜び、祝い、希望に輝いたと伝えています。こんな私に対しても、人間としての誇りを知らせてくださる偉大な慈しみに感謝して今年も主を待ち望み、クリスマスを迎えましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会は、クリスマスを迎えるのに相応しい音楽を聴く集いでした。コーラス・グループ、フォルティシシモ・シンガーズの皆さんの素晴らしい歌声、波多野直子さんの見事なオルガンと電子ピアノの調べに、年末を控えてのあわただしさを忘れて聞き入る楽しいひとときでした。

  2017年1月6日、初金ミサが捧げられますが、初金家族の会はお休みで、次回は2月3日(金)のミサ後、午前11時頃から開催の予定です。
 初金家族の会は経験豊かな方々から貴重なお話が次々と披露され、出席者同士の楽しい会話で信仰を深めあう機会です。どうぞお気軽にご参加ください。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「愛のあるところ、それがクリスマス」

愛のあるところ、それがクリスマス

主任司祭 豊島 治

 「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。」(旧約聖書民数記6章)

 この素敵な祝福のことばをもって、神様の力がこの私に注がれていることを祝いたいとおもいます。

 クリスマスの祝いは、キリスト教の他のどんなことよりも日本で市民権をもっています。経済的効果でいえば、コンビニもおもちゃ屋さんも活発です。それぞれいろいろな形で街のクリスマスが行われ、特別な何かをしようとしたり、してあげようとしたり、そういう参加する機会があったかと拝察します。

 しかし、わたしたちはこの時節、街のクリスマスではなく教会として主の降誕を祝います。街と教会の違いはなんでしょうか。いろんな事が言えると思いますが、一点を今年挙げるとしたら、街のクリスマスというのはいわば過去のクリスマス、過去形のクリスマスの感覚。そして教会は「いま」を祝います。

 キリストがおよそ二千年前に生まれたということは歴史的事実で、キリストが30数年生きて、そして十字架で死んだ。そこからキリスト教がはじまった。それは歴史的な事実です。でも、キリストの誕生を、キリストの誕生のみを記念するならば、それは過去のクリスマス。しかし、教会はそれを前提としていますけれど、歴史的なそのときをただ降誕〇〇年として記念して祝っているのではありません。
 「今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそキリストである」

 目に見えるイエスという人の誕生とその生涯、その十字架の出来事。それは目に見えない神様が、目に見えない神様の救いのわざが、神様の私たちの限りない愛が、現れたということ。イエスにおいて神はわたしたちの中にこられたというのは過去ではない、神様がいつも共におられるということなのです。

 生活の格差や不安定な「いま」の状況をもってでも、ささやかな愛をもって生きるそんな大切なものをもって迎えましょう。

連載コラム:「光り続ける一粒の真珠」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第72回
「光り続ける一粒の真珠」

桜ヶ丘地区 佐倉 リン子

 80歳も半ばに達して、生かされてきた年月の中に、つまっている出来事は沢山あるのに、その中に、海辺の砂の中に光る真珠の粒にも例えられるような風景が、失せることなく光を放ち続けているのに気が付きだした。その光が美しくて安らかなので、これこそが、神が人間に光を当てられた瞬間だったのでは、と思えてきた。
 その一粒の真珠のもたらす風景の中心には特異な容姿の小学生時代の旧友がいる。名前を「ツツさん」としよう。ツツさんは、この頃、マスコミで取り上げられることの多い、生物的に両性同一体だったのだ、と後年私は理解した。

 私がツツさんに出会ったのは、小学校入学間もないとき。もの心つく頃の記憶の中には、南京陥落の夜の提灯行列、ハワイ真珠湾攻撃、東京大空襲。東京の夜空が真っ赤に染まった1945年3月10日の午後、小学6年生だった私は、卒業式のために集団疎開先の茨城県から帰京したところだった。このような激変の時代の中でも、ずっと海辺の砂の中に埋もれていた心象風景、人間を人間たらしめるひとつながりの出来事が、私の中で生き続け、老いゆく心に活をいれてくれること、心のオアシスであることに、今、気づいたのである。

 この「オアシス」の中心人物ツツさんは、容姿の異様さが際立っていた。手足が長く、どちらかといえば、男性的な立ち居振る舞い。内臓に病があったのか肌の色が全体に濃く、くすんでいて、いつも教室の後ろの隅の席に周りの子供が近づかないので、特待生みたいに悠然と座っていた。でも、私は、ツツさんは明るく、人に意地悪をしない無害な人だと思っていた。
 お兄さんと弟がいて、運動場で誰かがツツさんをからかったりすると、悲しそうに心配そうにしていたのが印象的だった。髪結いをしているという優しげなお母さんが、ときどき学校に現れ、「何も悪いことしないでしょう。仲良くしてね」と子供たちに話しかけていた。今思うと、他のお母さんたちより、年をとって地味だった。
 軍国調の世の中にあっては、小学校には幸い、ツツさんのような子供を優しく包み込む空気があった。ツツさんは長期欠席もせず、学校に来ていた。ただ、少人数の子供がツツさんをいじめることがあり、ある日、下校時刻のベルで皆が校門近くに並んでいるとき、一人の子供がツツさんの足を蹴飛ばした。担任の山田先生がすぐに、そのいじめっ子の脚を手で叩いた。いじめっ子は大声で泣き、家に帰るとその母親が血相を変えて怒鳴り込んできた。若い山田先生は、青い顔をしていらした。

 戦後何年か経って30歳くらいの頃、焼け残った古い家に住む母を訪ねるため、西武線に乗ると、すぐ斜め前の席に山田先生が座っていらっしゃる。少し年を取られたが、相変わらず、背筋はしゃんとしてハンサムな先生。「山田先生、3年生のとき、担任していただいたリン子です」と名乗り、先生の隣に座わった。下落合のホームに降り立つと先生が、中からしきりに手を振ってくださった。昔と同じあの柔和な明るい笑顔いっぱいで。先生がツツさんに親切になさったことが、私の心の中でこんなにいつまでも真珠の粒のように輝き続けているとはご存知ないと思うが、それこそが私にとっての「オアシス」、神が人間にくださった愛の証だと私には思える。

 後年、小学校の同期会で、ツツさんの近所に住んでいた男の子が、ツツさんの亡くなった頃の様子を報告してくれた。威厳をもって報告してくれたのが嬉しかった。彼自身ハンサムで優秀、女性徒に慕われる存在だった。山田先生にしろ、この男子にしろ、人間らしい人間はハンサムである。真珠の粒が光り続ける由縁でもある。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「次、いきます」

次、いきます

主任司祭 豊島 治

 「いつくしみ深く 御父のように」というフランシスコ教皇の呼びかけに応えて、ミサの中で聖歌を歌い、過ごしてきた特別聖年を結び、新しい教会の暦のはじまり待降節に入りました。

 多摩教会で聖年のしめくくりとして行った二つの講話の行事は、その「らしさ」を提示したように思います。

 鶴巻神父さまは病気による障碍を振り返って世の中を見つめ直してくださった貴重な視点を的確に話してくださいました。「ノンステップバスといえども、停留所で歩道に寄せて停止してくれないと、歩行困難者が道路におりねばならず、ステップが二つ自分の目の前に立ちふさがってしまう」など相手を思いやれない社会の態度があることなど。無関心の行動を是とする傾向がある一つひとつを挙げて「そこに、いつくしみはあるのでしょうか」。突きつめて「愛という漢字は心をまんなかに受け止めてできている、はたして私たちはどうか」をおっしゃったことで、普段の私たちで実践できる事柄に示唆を与えてくださいました。

 大阪からいらしてくださった荘保共子さんの講話は期待以上の内容でした。社会の雇用の仕組みの変化、昨今増大している一人親による子育て(父子家庭・母子家庭)。経済的なしんどさの広がり、とくに親のしんどさは子どもにつたわるので、本来の子どもの権利が奪われている。だからこの社会に無関心であってはならないというメッセージを膨大なデーターを用いて解説してくださいました。参加者からは、「うすうすかんじていたことが理論的につながりました」と力になった旨が伝えられていました。

 私のカトリック信者としての歩みはたったの40年強ですが、とりまく社会はとても変わったと感じています。
 1960年代は大物の神学者が何人もでてきていて教会にはダイナミズムがありました。1970年代はその流れをうけて日本でも「大バチカン展」や「教皇来日」もありキリスト教会が注目されていきました。1980年代は日本の教会がどうあるべきかを話合いはじめました(福音宣教推進全国会議)。新共同訳聖書が刊行され、聖書を読み分かち合うことが広まったかと思います。1990年代にはある宗教団体が起こした事件があり見直しがあり、2000年代から今では福音をもってする説教や講話が注目されていったような気がします。教会に集う皆さんもその時代その時代に教会と出会い、その雰囲気のなかで信仰生活をはじめられたのだと拝察します。今はネットをはじめメディアの利用が多岐にわたっていて便利になっています。

 でも、そのながれのなかで、何かが減ったような気がするのです、なにかを忘れてきたような感覚があるのです。教皇フランシスコは今回「いつくしみ」という言葉を示されました。彼は伝記を読むとわかるのですが、出身のアルゼンチンで政府や軍隊、暴力的な組織とも正面から対峙し、厳しい現場の中で、苦しみながら変革の道を歩んできた方です。いのちの輝きを意識している方でもあります。自ら実践してきたことを語っているので説得力があります。

 便利な技術が進み、国境を越えてモノや情報が行き来する世の中は、金銭の価値をはじめ社会のありようをかえていきました。そのなかで文化・思想のぶつかり合いがおこり、苦しむ人や不満をもって対立する構造も目立ってきました。さらにそれを刺激的に演説し民意を煽動する人が台頭しています。その過激さのハードルを上げていくなかで、特定の人を苦しみに追いやる政策を行おうとするポピュリズムとよばれる危機がある。そんな今。

 「静けき真夜中 貧しいうまや 神のひとり子は み母の胸に」の聖歌(カトリック聖歌集 111番「しずけき」)の言葉のとおり、愛の源泉にたちかえる準備の待降節に入りたいと思います。