9月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 台風の前の暑い晴れ間となった初金の日の神父さまの説教です。キリスト教の歴史に関する話の後、福音にある新しい革袋に新しいぶどう酒の話がありました。
 「新しいとは、そのときの真理を示すものです。今重要なのは、被造物に対する考えを改め、神様により与えられた被造物を大切にすることです。これは台風、地震など自然災害と関連する人災の軽減につながる事です」
 また、教皇による被造物を大切にする祈りのキーワードの解説がありました。

 初金家族の会は、ミサの後、信徒館で開催。初金家族の会の今後の進め方について話合った結果、今後は「少人数グループに分かれ、静かな環境で、話し合い、分かち合う」ことを中心に運営し、従来の卓話を全員で聴く方式は、卓話の提供者が出た時に柔軟に実施することとなりました。
 今の教会で、「静かな場所で、ゆっくり話す環境がほしい」「少人数グループにしないと、各個人レベルで発言機会が少なくなり、十分な話し合いができない」など、指摘要望があり、実施方法の変更となりました。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「意識もちます」

意識もちます

主任司祭 豊島 治

 記録的な猛暑と災害に見まわれた令和最初の夏が終わろうとしています。平日も扉を開け祈りの場となっている多摩教会聖堂ですが、この夏は一時室内温度40度を記録しました。祈りに来られた方の安全のために、風通しをよくする施工を計画することになるほどの状況でした。予報では、これから秋雨前線が活動し始めるとのことですので過ごしやすくなるのでしょう。令和元年も、あと4カ月を残すのみとなりました。2カ月後には待降節、季節は冬です。時の流れに溺れないで、しっかり時の徴(しるし)を感じていきましょう。

 今年9月1日から10月4日(アシジのフランシスコの記念日)において、教皇フランシスコが教皇庁に新しく設けた部署、「人間開発のための部署」(Dicastery for Promoting Integral Human Development)は、「被造物の季節」への参加を呼びかけています。神さまがお造りになられた被造物が共存している家(common home)を想い、祈りましょうという呼びかけととれます。内容の検討&実践については、これから教会の委員会に委ねますので、次号のニューズでの報告となります。

 教皇フランシスコは、「共存している家」という表現で、私たちの生きている地球規模の視点を提唱しています。2015年5月回勅「Laudato si (あなたを称えます)」は、地球温暖化や環境問題に警鐘を鳴らし、「大胆な文化的革命(CNNニュース訳)」の必要性を訴えています。
 日本の場合、頻発する局地的短時間豪雨は、1970年代と比べて2018年は回数にして約20回増であり、降雨量はおよそ2倍に増えています(気象庁アメダス)。21世紀は災害の世紀、主原因は温暖化、すなわち化石燃料の消費と森林の消滅といえます。大気中の1カ月の二酸化炭素平均濃度は、18世紀末は280PPMでしたが、現在は400PPMで、これにより宇宙空間に逃げるべき熱線を吸収し、気温が上昇、温暖化→豪雨、土砂災害や氾濫へと至ることが多くなりました。
 地球上の酸素の三分の一を供給し、「地球の肺」といわれる南米アマゾン森林が延焼し続けているのは、政府の森林伐採の無計画さが原因とされており、現状は過去10年で最悪と報道されています(日経BP)。漢検協会が出した2018年の今年の漢字が「災」であったことから、状況は私たちの共通認識といえます。

 では、私たちは、いかにして、この現実を生きるのか? ゴミ削減やリサイクルが一案です。そして、阪神・淡路大震災のときから啓発されたのは、「災害時の備え(備蓄&行動方法)」の呼びかけです。
 1995年の阪神淡路大震災のとき、発生時刻は1月17日5時46分で、延焼していました。兵庫県庁には当直制度はなく、職員や家族が被災され緊急招集できず、役所の機能はアンコントロール状態にありました。そこから事前の防災対策と災害発生時の応急対応が全国民的な備えとして必要であり、啓発と養成が必要ということになりました。これが2002年の閣議決定、「民でできることは民で」、「法人の活躍」の内容です。東京都は、これに加えて小池都知事から各宗教施設も協力を呼びかけられています(2017年9月21日)。公官庁の経費削減も進んでいるので、避難所を役所の職員無しで互いに設立し、運営し合い、危険を回避する能力を持ち、協力して助け合いながら生きるのだという意識と訓練の呼びかけです。

では、教会として、クリスチャンとしてどうしていくのか?まず、諦めないことです。焦らないことです。そして動転しないこと。どんな状況においても識別を仰ぐことです。自分には「もうこれしかできない」ということは、自分にも「まだこれならできる」という余地が残されている、ということであるはずです。
 そのような前向きの姿勢を保って生きるために、 十字架に心を向けましょう。あの十字架の上で、手足を釘づけにされた私たちの救い主は、もはや何もできないように思えます。「さあ、その十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやる。」 人々はこのようにはやし立てたのです。それは私たちの「あきらめの正当化」の象徴です。これは打破しなければなりません。そして打ち砕くことができるのです。なぜなら根拠がしっかりキリストの生涯にあります。
 十字架の死によって、私たちに、そのいのちを与え尽してくださった方を信じるとは、どんなときも「わたしに従いなさい」との十字架の主の呼びかけに従うということです。そのような信仰に立つことができれば、「自分にはもう何もできない、自分にできることはもう何もない」とは言えないはずなのです。

 私は、今年1月に災害対応チームリーダーとして東京大司教から任命を受け、今まで準備をしてきましたが、9月初旬に今後の東京教区の方向性を提案するプレゼンを、大司教様の前で一人ですることになっています。具体的な呼びかけが皆さんにきたときは、「なぜ教会がするの?」ではなく、クリスチャンであるからの強みでいていただきたいとおもいます。9月1日、東京都は防災の日。地域では、防災&災害対応行事が行われています。意識の一端を提供ください。

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201907-1

【 豊島神父が資格講習受講中、鶴巻神父さまが長崎からサポートに来てくださいました。神父さまは、「また2月に来ます」とおっしゃっていましたが、お知り合いの結婚ミサのための上京かたがた、多摩教会にお寄りくださるということです。(8月16日講座の一コマ)】

連載コラム:「大川小学校の衝撃」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第101回
「大川小学校の衝撃」

南大沢地区 加藤 泰彦

 夏休みを利用して、2年ぶりに東北の震災被災地を訪れました。福島県内は、帰還困難区域とそれ以外の地域の差が、より鮮明になっていました。人の気配のまったくない、雑草が生い茂り放題の土地と、除染がおこなわれ人々が住めるようになったところに、ぴかぴかの公共施設が新たに建てられた土地。その差の深まりが、どうにもやり切れない思いを残しました。
 今回はこの福島県に加えて宮城、岩手まで足を伸ばしました。常磐道を北へ、仙台を過ぎて三陸自動車道に入り50kmほど走ったところにある河北(かほく)インターでおりました。一般道に入りしばらく走ると、北上川に沿った道となり、下流に向けてさらに行くと河口まで3.8キロの地点に、宮城県石巻市立大川小学校(跡地)が現れます。周囲にあったであろう集落は、今は殺風景な更地になり、ただ小学校の廃墟だけが大きな傷跡をとどめてそこにありました。
 人間の力をはるかに超えた圧倒的な力の爪あとがそこにはっきりと残されていました。1985年に建てられたモダンな2階建て校舎は、無残な姿でそこにありました。ニュースなどで映像としては何度も目にしていたものの、いざその現物の前に立つと、言い知れぬ衝撃が襲い、思わず足がとまりただ目を閉じて頭を下げるしかありませんでした。
 全校児童108名、教職員13名。地震発生直後、子供達は校庭に集められ避難先の決定をめぐって議論している大人たちを待っていました。まだ雪の残る肌寒い時期に。大人たちの議論はなかなかまとまりません。学校の背後には小高い裏山があります。しかし、そこは雪でぬかるんでいる上、新たな地震で崩落が起きるかもしれない。河口から4キロ近く離れているここまでは、まさか津波は来るはずがない。
 結局避難先に選ばれたのは、学校の西200mくらいにある、北上川に掛かる新北上大橋のたもとの小高くなった場所(三角地帯と呼ばれる。標高は6~7m)。地震発生からこの時点ですでに40分余りが過ぎていました。移動が開始された直後、河口から北上川を遡行してきた津波が襲いました。地震発生から約50分過ぎた15時36分ごろのことです。子供たち74名、教職員10名が亡くなりました。

 石巻市の小学校のほとんどは、子供たちを高台に避難させて犠牲者はありませんでした。なぜ、この小学校だけが全児童の三分の二の犠牲者を出したのか・・・。学校側の責任をめぐって現在も民事裁判が続いています。
 この土地に立って、さまざま思いが頭をよぎりました。この建物をこのような形に破壊してしまった、どす黒い巨大な怪物に出会った子供たちは何を思ったのだろうか。今年の暑い夏の炎天下、そばを流れる北上川は何事もなかったかのように悠々と流れていました。雪の残る3月11日、何が人間の判断を誤らせてしまったのか。止め処のない問いがつぎつぎにわいてきました。考えあぐね、敷地をさまよい、おろおろしていた時、「出発するのでクルマに戻ってください!」の声にはっと我にかえりました。

(画像はスライドショーになっています)

8月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 酷暑が続き、夏祭りの時季となりました。神父様の説教では、カトリック教会における祝祭日の意義について、次のような話がありました。
 「祭日には神様に触れ、その計画の中で祝福されていることを感じ取ることが大切です。私たちはともすれば『せっかち』に結論を出したがります。コヘレトの言葉は何事もその『時』があることを示しています。人の時計の感覚では無く、自然の移ろいと共にある神様目線で見る『時』には、また異なるものが見えてきます。神様が良しとし、導こうとする方向が見えてきて、明日への希望となります。」

 9月の初金家族の会は、ミサの後11時頃より信徒会館で開催予定です。今回は「7月初金家族の会からのお知らせ」でご案内しました「会の趣旨の再確認と見直し、拡充」「会に対するニーズの変化への対応」「対応する卓話など具体的実施事項に関する提言」などについて話し合う予定です。この結果をもとに、「今後の運営の方向、実施事項」をまとめて行く予定です。

 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。今回より広く皆様の意見をくみ入れ、ご参加の幅を広めたく、ご協力をお願いします。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「見つめます」

見つめます

主任司祭 豊島 治

 急激な暑さ&梅雨冷えの繰り返し、体調を崩されている方の話も伝わり聞いています。各方面からの情報や警報には敏感になっておきましょう。こんなときだからこそです。
 警報に注意と申しましたが、5日金曜日は、多摩教会聖堂の熱感知器があまりの暑さに火事と勘違いし、警報器が誤作動警報音を出しました。対応しましたので、ご安心ください。

 6月30日は、猪熊太郎神父様の叙階25年のお祝いでした。多摩教会の皆様にとって、仲間のうちから神学校に入り、司祭として活躍されているという現実の祝いと、神さまの導きのお祝いの場でありました。当日、私は共同司式される寺西神父様のお迎え役をいたしましたが、道中二人きりで話すことができました。こんなに長く会話する機会は初めてです。寺西神父様は、私が司祭への憧れを抱いたとき(1985年)の高円寺教会主任司祭でした。猪熊太郎神父様は、私が神学校へ行く決心をしたときの助任司祭でしたし、神学生1年目と2年目は、猪熊神父様のいらっしゃる教会でお手伝いをしました。この偶然ともいえる計らいに驚愕しています。
 私は2005年叙階ですから、叙階の年を1年目として数えると、15年目となるようです。そのなかで、いろいろな場に身をおいていましたが、およそ10年間、全生園(ぜんしょうえん)との関わりがありました。はじめの2年間は神学生として、後半8年間は主任司祭としてです。以下、ハンセン病の療養所の概要について、資料館にある内容を含めて一部紹介します。

日本のハンセン病の歴史:
 ① ハンセン病は古代から世界的に罹患者がおり、差別と偏見の対象だった

 日本の中世期において、ハンセン病患者は「業病(ごうびょう)」として差別され、村落共同体から追放されるなど、過酷な運命が待ち受けていたとされています。
 ちなみに日本ではじめて中世期のハンセン病患者を描いたアニメ作品に、ジブリの「もののけ姫」(1997年)があります。劇中では説明ありませんが、たたら場(砂鉄を集めて鉄をつくるところ。炉に空気を送る(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたというところから、その名が付いた)が出てきます。登場するエボシ様という人物が、「私の秘密の庭園を見せよう」と話し、アシタカに、鍛冶、鉄砲をつくる患者の姿を見せます。ここが、村落から追放されてきた所なのです。そこで、アシタカがエボシ様を殺そうとしますが、そのハンセン病患者の村長が、「その人(エボシ)を殺さないでくれ、この人は我々を人間として扱ってくださった」という台詞があるのです。監督の宮崎駿氏が後に述べていますし、私は宮崎氏と全生園内のお墓で度々お目にかかりました。

 ② 明治期には感染者を国立療養所に隔離することで、ハンセン病を根絶できると考えた
 近世期、幕藩体制の下で、ハンセン病患者は別個の存在として被差別民の中に組み込まれ、支配層からの統制、管理下にありました。近代になると、明治政府は、ハンセン病患者を社会から隔離して絶滅・根絶させる方針を出し、法を定めました。東村山市にある全生園は、東日本の中核の療養所です。患者を見つけると、貨物列車で東村山の駅に連れていかれ、そこから荷台に載せられ、園に入ります。そこから一生出ることは叶いませんでした。しかし明治期には、ある医師が隔離せず共存は可能としていたのですが、黙殺された事実もあります。戦後、治療薬が出て、安心できることになっても、隔離政策は根本的に変わらず、らい予防法(1953年)が1996年に廃止されるまで続き、ハンセン病患者は、優生保護法により「断種(優勢手術)」の対象にもなり、1万6千件行われたとあります。平成の時代までも政策は続き、1996年にやっと廃止されるのです。
 ①、②の事例によって、今は回復者とされている方々の家族が分断されたとあります。私も園内で一緒に食事したり、親しくなって会話をしたりして、いろいろ報道されていないこと、社会運動している方でも知らない事情をたくさん伺うことができ、バチカンにも説明したことがあります。私たちの家族が抱えている課題がそれぞれ違うように、回復者の皆さんも、抱えていることはいろいろあるようです。
 2019年7月10日付けで、日本の司教団は、隔離しなくていいと分かっていても、対応を取ってこなかったことを謝罪する声明を出しました。ある視点で見れば、仲間として、人として、関わる意識を持って関わってきたのは事実です。でも、もっと広く考える視野からくる援助が現代では要求されています。私たちも考えて行動する促しを受けています。

 先日の7月7日には、主任司祭霊名の祝いで霊的花束など贈り物を頂き、ありがとうございます。祈りの内容を見ては、その捧げてくださった一つひとつの言葉を、神さまは具体的にどうお示しになるのか楽しみにしています。世の中を善くしようというやり方には、社会運動などあるかと思いますが、私は自分の霊名のパウロから学びながらやってみたいと思っています。

連載コラム:「今の貴方のためのオアシス – 中高生会復活 -」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第100回
「今の貴方のためのオアシス – 中高生会復活 -」

濱野 洋一郎

 ついこの前、私は縁があって「中国ブロック高校生大会」というものに参加してきました。これは広島教区のイベントで、信者やカトリック系の学校へ行ってる15歳から18歳の人が集まって3泊4日の合宿をするものです。
 同年代が集まり、共に祈り、一緒にご飯を食べ、語り合うのです。とても楽しかったですが、ふと思い出すことがあります。それは、初代教会のことです。
 「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」(使徒言行録2・44-47)
 つまり、大会なんて言っていますが、教会なんです。建物ではない本物の教会。とても美しいし、憧れます。
 私はそのことを多摩教会の皆さんに知ってもらいたいので、中高生会を復活させました。中高生の若い時に本当の教会、本当の仲間を知ってほしいのです。いつだって信じられるから、人を信じることができるのです。
 10代は他の人が思っているよりも悩み、不安を持っています。だから、本当の仲間が必要なんです。かくいう私も青年会の仲間に信じられ、救われました。より多くの人に、特に10代の人にこの素晴らしい体験をしてもらいたいです。そのために何かが必要ならば、周りの人が命をかけて与えましょうよ。それが、福音ですし、キリストの教会がやるべきことです。
 しかし、大勢の人はそんなことは知っていると、そう言うでしょう。
 昔から言われているし、少し考えればわかることです。
 でも、だったら一緒にやっていこうよ。
 良きサマリア人の例えでも言われていますが、やればいいのです。実際どう思ってても、行動し、印を残せば、それは素晴らしいものになります。
 中高生会もみんながどう思っているのかわかりませんし、不安でいっぱいですが、それでも、一歩を踏み出し、やっていきます。
 その先に素晴らしいものがあると信じて、少しずつ歩み出していきましょう。

7月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 梅雨時の豪雨の被害が報じられる中での7月初金の日となりました。神父さまの説教は、秘跡に関するものでした。ゆるしの秘跡の意義と大切さの話があり、ついで病者の塗油の秘跡に関連し、病床訪問で出会った人々の病気の受け止め方について、「病気を嘆き、恨み、のろい、絶望する人も多い。でも、今日の創世記の福音で、アブラハムの生涯は人の生涯を象徴し、病気などもその通過点で、神の声を聞き成長する。マタイの福音は、困難な病気の時こそ神が現れ、癒やしてくださることを示している」と話してくださいました。

 ミサ後の初金家族の会では、中嶋誠さんが、「故松原陸さんと歩んだキリシタン史探求」というテーマで話されました。五島、長崎、豊後にキリスト教を根付かせたド・ロ神父、アルメイダの業績、足跡についての紹介がありました。信仰の伝承の過程で、隠れキリシタンの中に日本的キリスト教の芽生えともいえるものが見られることを示されました。信仰の起源を暗示するものとも感じられます。資料は40ページ強と量が多く、後で熟読すれば多くの気付くところがあり、さらに理解が深まりそうです。中嶋さんのあふれ出る信仰を分かちあうことができたと思います。

 初金家族の会を立ち上げ、運営の主体を担ってきた松原さんが帰天、志賀さんが高齢のため離れることとなり、会の趣旨である「スローガンの実現」のスローガンも変遷し、会へのニーズにも変化が見られます。この状況に鑑み、「初金家族の会に関するアンケート」を実施し、広く意見を募って、その結果を参考に、9月の会の運営について話し合う予定です。なお8月は初金家族の会は休みとなります。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「提出します」

提出します

主任司祭 豊島 治

 50日間の復活節が、聖霊降臨の祭日をもって終わりました。聖霊降臨は聖霊が与えられる日でもありますが、奇数年の今年は、司教座聖堂(カテドラル)での合同堅信式への参加の年でした。そこで、多摩教会復活徹夜祭での受洗者で準備ができた方や、幼児洗礼で規定の年齢に達した6名が堅信の秘跡を受けられました。このことで、今年度の入信の秘跡プログラムが結ばれたことになります。

 その合同堅信式には、東京・千葉の教会から170名ほどの受堅者が恵みを受けたのですが、その6月9日は、東京大司教が出された「宣教司牧方針の方向性」への答申締め切り日でもありました。多摩教会では、1月1日に発行した『2019年に向けて』(初日の出の光が多摩教会を照らしている表紙の冊子です)において、大司教さまからのお願いということで、この答申づくりを皆さんに投げかけました。多摩教会からは、四つのグループの参加をいただきました。事前に大司教さまからは、複数人で話し合うようにという要請もあり、個人で出された方には、教会家族委員会がその意を汲み取りながらまとめてくださり、五つの答申は、大聖堂内で大司教さまの面前にて本部事務局長に提出されました。
 多摩教会の他にも72の答申が提出されて、カトリック新聞には、2年後をめどに東京大司教からの宣教司牧方針となるとあります。この機会に少しずつ、多摩教会として出された内容について、少し解説も加えて報告します。

 ◎ なげかけその1 「 修道会の垣根を越えた、教区における司牧協力体制の充実 」
 「司牧協力体制」という言葉に具体性が見えなく返答に困ったようです。また、「修道会とは何か?」という質問もだされています。6月2日にはサレジオ会の北川大介神父さまが、その点について講話をしてくださっています。修道会の特性を、壁ではなくて多様性から来る力となるよう考えていければ、というような回答が多くありました。

 ◎ なげかけその2 「 滞日外国人司牧の方向性の明確化と見直し 」
 「滞日外国人と話していないからわからない」という回答もありました。「日本語でゆっくり話せば解決する」という意見も聞きましたが、多摩教会にもミサで共に祈っている仲間がいます。今やスマホで翻訳できる機能もついています。使ってみてはどうでしょうか。

 ◎ なげかけその3 「 継続信仰養成の整備と充実 」
 「日曜日の講座が必要」という意見が複数ありました。洗礼後の講座や、中高生向けの講座をという、強い要望もありました。通常の日曜日の入門講座でも配慮しています。また、誰でも聞くことができる拡大入門講座(専門的な分野で活躍している司祭&修道者が講師)や、特別入門講座(あるテーマに絞って解説する講話)を適時開催していますが、具体的な講座内容の提案もあり、ニーズは高いと感じました。司祭以外の講話も希望とありますが、講師の選定に難しいものがあります。継続信仰養成という題名ですから、次につなげなくてはなりません。多摩教会全体の雰囲気を加味して、スケジュールの組み立てをしなくてはならないからです。東京教区としては準備を進めているようです。

 紙面の都合で最初の三つしか挙げることができませんでした。また機会あれば、紹介できたらと思います。

 多摩教会では16日のシスター内海、30日猪熊神父様の講話以降は、しばらくゲストスピーカーがいないという通常のミサ、地区集会、講座、活動会となります。それは分かち合いを重ねながら、次へ向かう大事な期間ともいえます。教会の暦は、6月10日から年間に戻っています。王であるキリストの祭日に至る典礼歴の年間の季節は、主の復活と聖霊降臨によってこの世界の歴史の中に誕生した教会の、世の終わりまで続く「現在」を指し示しています。多摩教会という神さまの場で、時を過ごしていきましょう。それに、6月はイエスの聖心(みこころ)の月です。この月にわたしたちの心をイエスに向けるために、ミサや各自の時間で福音書をじっくり味わいましょう。福音書は、弟子達が知ることのできたイエスの心の中にある想いを伝えているのです。弟子たちが語り伝えずにはいられなかったイエスの心の想いを、私たちの心を開いて、受け止めなければなりません。