巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

小さな天国

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 小学校5年の春、「2001年宇宙の旅」というSF映画が封切られ、クラスの友達と一緒に今はなき銀座のテアトル東京へ観に行きました。そのときの映像体験はその後の映画人生の原体験ともなる強烈なものでしたが、そのときの音楽体験もまた、その後のクラシック人生の原体験になりました。太陽と地球と月が一直線に並んだ瞬間に大音量で鳴り響くリヒャルトシュトラウスの「ツアラトゥストラはかく語りき」や、宇宙船が優雅に航行するバックに流れるヨハンシュトラウスの「美しき青きドナウ」は、若干10歳の魂に、どこか神話的な感動や官能的な喜びを呼び覚まし、それはある種の神秘体験でもあったのです。
 以来、クラシック音楽を聴くことはわたしにとってどこか神聖で特別な行為となりました。同じ年、音楽の時間に音楽室の大きなスピーカーでチャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」を聞いたときのあの言葉にならない感覚は、胸の奥の「きゅっ」とするところに今でもそのときのまま残っています。ああ、こうして書いていても鳴り出す、「花のワルツ」のハープのカデンツァ!

 若いころはレコードやラジオで聞いていたクラシック音楽でしたが、経験を積んでくるとさすがにナマのよさが分かってきて、次第にコンサート会場に足を運ぶことが多くなりました。自然とクラシック関係の友人も増え、知識も体験も積み重なり、かつての映画評論家が今ではすっかりクラシック評論家です。
 チケット代が高いのは難点ですが、ナマのクラシック音楽にはそれだけの価値があるのは事実です。様々な奇跡が絶妙に響き合って不意に訪れるあの幸福な一瞬はもはや小さな天国であり、どんな疲労も苦労も吹き飛ばす力を持っています。一番よく聴くのはピアノですが、お気に入りはピレシュ、ポリーニ、エマール、アンデルシェフスキ、ツィメルマン、ランランといったところです。彼らの研ぎ澄まされた演奏を聴いていると心が澄みわたっていくのを感じます。さらに最近はまっているのはオペラで、ランカトーレのルチアや、フリットリのボエーム、デセイの椿姫などなど、名だたる歌姫たちからどんなにパワーを分けてもらったことでしょう。

 さて、そんなこんなでナマの値打ちがわかってくるとさらに欲が出て、ついにはここ数年、クラシックコンサートの製作に手を染めはじめました。ただ受動的に聴きに行くのではなく、自ら小さな天国を作り出してしまおうというわけです。これが始めてみると中々奥が深く、困難も多いけれど実りの喜びも多いため、やめられなくなってしまいました。主に大好きなピアノと歌のコンサートです。今まで、お気に入りのフィリアホール、王子ホール、トッパンホールなどで開催してきましたが、ついにこのたび、憧れの紀尾井ホールで開催する運びになりました。
 タイトルは「第5回佐藤文雄と愉快な歌姫(なかま)たち」で、天才伴奏ピアニスト佐藤文雄と彼を尊敬する歌い手たちによる至福のひと時です。佐藤文雄はわたしが洗礼を授けた大切な友人であり、今回歌うソプラノの澤江衣里は高幡教会所属で、わたしは彼女が高校生のころから見守ってきました。このたび彼女が日本音楽コンクールで若くして二位になり、テレビでも紹介され、お祝いもかねてのコンサートとなりました。コンクールの本選を聞きに行きましたが、年々成長しているとはいえここまでかと心底驚かされましたし、これからの日本の音楽界を代表する歌い手になっていくことでしょう。ともかく、そのまろやかな声のツヤは比類ありません。聴いていただければわかります。
 また、同じくそのコンクールで前回二位だった首藤玲奈が出演してくれることになり、最強のラインナップとなりました。先日、アーノンクール指揮のウィーン・コンチェントゥス・ムジクスでバッハのロ短調ミサを聴き、これぞ信仰の極みの音楽と感銘受けましたが、このたびのコンサートではこのロ短調ミサから「キリスト憐れみ給え」のソプラノ二重唱を二人に歌ってもらいます。おそらく、今回の企画ならばクラシック通の人たちも聞きに来るのではないでしょうか。こうして、自分の好きな音楽を好きな演奏家に演奏してもらい、みんなに小さな天国を味わってもらうひと時こそは、コンサート製作の醍醐味です。つらいことの多い現実の中で、ほんのひと時でも天国の扉を開けて励ますことができるならば言うことありません。恒例の、神父の福音宣言タイムもあります。ぜひ、お友達を誘って聴きにいらしてください。
 3月8日(火)19時、紀尾井ホール。前売り3500円。教会ショップアンジェラで扱っています。

2010年バックナンバー

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2010年


12月号

(No.448)

2010.12.18

アヴェ・マリアの祈り晴佐久 昌英 神父
チャンスはゼロ・パーセントでも!井上 信一


11月号

(No.447)

2010.11.27

イエナカクリスマス晴佐久 昌英 神父
カンボジアのオアシスにて再洗礼長島 毅
多摩教会墓地への墓参松原 睦


10月号

(No.446)

2010.10.23

みんなの教会 みんなの委員長晴佐久 昌英 神父
耳のオアシス増田 尚司
教会バザーを終えて郷原 晴子
「信仰と光」の巡礼について加藤 幸子
多摩教会墓参のお知らせ 


9月号

(No.445)

2010.9.25

あぶう ばぶう晴佐久 昌英 神父
荒野のオアシスとなる教会をめざして北村 司郎
聖 書 輪 読 会工藤 扶磨子


8月号

(No.444)

2010.8.21

教会縁日へどうぞおいでください晴佐久 昌英 神父
分かち合い2 『私のオアシス』李 承烈
大島 莉紗 ヴァイオリン・リサイタル加藤 泰彦
教会学校の合宿に参加して塚本 清
合宿の感想文 
カフェ・オアシス 雑観小田切 真知子


7月号

(No.443)

2010.7.17

あなたの居場所が、わたしの居場所晴佐久 昌英 神父
分かち合い2 『主とともに』シスター 林 恵
初聖体の感想 
多摩教会信徒の皆様へのお願い広報部 
教会へ車で来られる方にお願い多摩教会司牧評議会


6月号

(No.442)

2010.6.26

「多摩教会からのお誘い」をご活用ください晴佐久 昌英 神父
分かち合い1 『主とともに』シスター 林 恵
堅信式の感想志賀 康彦
楽しい初聖体安部 実紅子
どんな子に加勇田 修士
お知らせ竹内 秀弥


5月号

(No.441)

2010.5.22

オアシス広場晴佐久 昌英 神父
オアシスである教会下津 ひとみ
献堂10周年記念行事北村 司郎


4月号

(No.440)

2010.4.24

赤ちゃんは家族を元気にする晴佐久 昌英 神父
僕と天使祝詞鈴木 真一
人に出会う加藤 泰彦
ガリラヤの風かおる丘で長島 毅


3月号

(No.439)

2010.3.27

あなたも同じようにしなさい晴佐久 昌英 神父
我が故郷の上杉鷹山に習って竹内 秀弥
第1回セントマキシミリアンズカップ黒田 憲二


2月号

(No.438)

2010.2.20

わたしがオアシス晴佐久 昌英 神父
感謝海野 滋子


1月号

(No.437)

2010.1.23

荒れ野で福音宣言晴佐久 昌英 神父
白柳枢機卿様の思い出北村 司郎
子供たちの聖劇加藤 泰彦
コルベ会とはどんなグループでしょう!井上 毬子

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

アヴェ・マリアの祈り

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 わたしは子どものころ、歌うことの大好きなボーイソプラノで、東京少年少女合唱団のメンバーでした。春に入団して一通りの発声練習を終え、最初に練習したのがアルカデルトのアヴェマリアだったことをよく覚えています。ほかのみんなは初めて聞く曲なので一から練習を始めたわけですが、わたしは心の中で叫んでいたからです。「そんなの、いつも教会で歌ってるよ。カトリック聖歌集に載ってるじゃん!」
 おかげで、発音がいいとほめられたものです。アヴェマリアの「ヴェ」とか、グラツィアの「ツィ」とか。当たり前と言えば当たり前。こっちは小学校一年の時からラテン語で侍者をしていたのですから。ともかく、いつもの教会の歌が一般の世の中でも大切に歌われていることがうれしかったし、誇らしくも感じたものです。

 このたび、日本司教協議会の決定により、いわゆる「聖母マリアへの祈り」の改定案として「アヴェ・マリアの祈り」が作成され、公表されました。これはまだ案ですが、半年の試用を経て、2011年6月には正式に決定されることになります。内容について何かご意見があれば申し出てください。
 「えーっ、また変わるの?」と思われる方も多いと思いますが、よりよいものにしていくために忍耐強く微調整を続けていくのはカトリックの美しい伝統です。全文は以下の通りです。ぜひ早めに親しむことにいたしましょう。

  アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、
  主はあなたとともにおられます。
  あなたは女のうちで祝福され、
  ご胎内の御子イエスも祝福されています。
  神の母聖マリア、
  罪深いわたしたちのために
  今も、死を迎える時も祈ってください。
  アーメン。

 ちなみにわたしはこの改定案に、大満足です。
 今までの「恵みあふれる」では、神からのみ溢れ来るはずの恩寵がマリアからも溢れているかのようにもとれる点や、「あなたの胎の実」という詩的なことばが「あなたの子」という敬意に欠けた乱暴な表現だったことなどが気になっていたからです。
 しかし、なんと言っても大きな特徴は「アヴェ・マリア」というラテン語がそのまま使われている点でしょう。「アヴェ」とは、天使ガブリエルが聖母マリアに挨拶した時の「おめでとう」のことで、かつての文語体では「めでたし」と翻訳されていました。大切なこの祝詞が口語訳の「恵みあふれる聖マリア」では抜け落ちてしまっていたことは、早くから大きな欠陥として指摘されてきました。だからと言って「おめでとうマリア」を祈りの冒頭に置くのは、繰り返し唱える日本語の祈りとして違和感があります。通夜の席などで「おめでとう」では一般の参列者がギョッとするでしょう。だったら、何も無理に翻訳しなくとも「アヴェ・マリア」でいいじゃん、というのがわたしの持論でありました。「アーメン」だって、「アレルヤ」だってそのまま使っているわけですし。
 なにしろ、外来語を母国語にしてしまうのは日本人のお家芸です。というか、すでにアヴェ・マリアは知らない日本人はいないと言っていいほどに認知されたことばです。もちろんそれはグノーやシューベルトのおかげでもありますが、今回「アヴェ・マリアの祈り」となったことで、これがいっそう広く「カトリック教会の祈り」として認知されるようになることでしょう。

 
 火葬場で献花するとき、いつもロザリオの祈りを唱えています。隣の一団ではお坊さんがお経を唱えていたりするわけですが、そちらの参列者は「あら、めずらしい。キリスト教のお経だわ」という顔でこちらを見てたりします。そんなとき、大きな声で「アヴェ・マリア」と唱えていれば、「まあ、アヴェ・マリアって、キリスト教のお祈りだったのね」となります。これは大きな印象を残すのではないでしょうか。それに、そもそもカトリックはラテン語を共通語としていたという比類のない財産を持っているのですから、それを生かさない理由は何ひとつないでしょう。海外でひとこと「アヴェ・マリア」と唱えれば、見知らぬ国の人が声をかけてくるに違いありません。「カトリックですか?」。

 後半部分は以前のままとはいえ、17年間唱え続けてやっと口になじんだと思っていた祈りを覚え直すのは少々面倒ではありますが、これから170年も1700年も唱え続けるのですから、さっそく覚えることといたしましょう。新しい年をアヴェ・マリア元年として、これからは今までにもまして、いつでもどこでもアヴェ・マリアを唱えるならば、聖母はどれほどお喜びになるでしょう。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いなものというでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」(ルカ1・48)
 アヴェ・マリア!

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

イエナカクリスマス

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 今年もいよいよ待降節、クリスマスも間近です。よい準備をして、例年にもましてステキなクリスマスを迎えましょう。
 人間は、慣れる生き物です。どんなに素晴らしい行事でも、同じことを同じように繰り返していると、どうしても新鮮味がなくなり、良い意味での緊張感が減り、悪い意味での合理化が進み、いつの間にか、ただなんとなくこなすだけの行事に成り下がってしまいます。
 なんとなく過ごすクリスマス。そんな悲しいクリスマスになっていないかどうかをチェックしてみましょう。次の質問にお答えください。
 「去年のクリスマス、家ではどんな風に過ごしましたか。教会ではどんなクリスマスでしたか」
 すぐに答えられたら、ちゃんとクリスマスをしていた証拠です。え? 最近は記憶力が落ちているから忘れちゃった? そうでしょうか。もしも去年、イエスさまを迎えるために各家で相談して何か新しいことを工夫し、手間ひまかけてていねいに準備し、大切な人たちを大切にするステキなクリスマスを過ごしていたら、必ずや印象に残って覚えているはずです。

 先日の新聞で、今年のクリスマスの傾向を特集していました。それによると、最近はレストランではなく家で過ごす「イエナカ」傾向が定着しているそうで、「今年は家ですごす」と答えた人が78パーセント。タイトルをつけるとしたら、「まったりクリスマス」なんだとか。不況のせいかと思いきや節約志向はすでに下げ止まっており、どうやら「家でちょっとぜいたくに」ということのようです。これは我々キリスト教にとってもいい傾向だというべきではないでしょうか。クリスマスとは、家族や人々がいっそう深く結ばれるために神さまから贈られたプレゼントなのですから。
 ふと、数年前パリでクリスマスシーズンを過ごした時のことを思い出します。待降節になると街は賑わい、人で溢れます。シャンゼリゼ通りはまばゆいイルミネーションに彩られ、華麗なディスプレイで有名なデパート、ラファイエットの前は見物客で歩けないほど。もみの木や暖炉用の薪を担いで帰る姿なども見かけるようになり、クリスマスの飾りやプレゼントを売る店のレジは長蛇の列。
 ところが12月24日になると、街は突然静寂に包まれます。それでも昼過ぎまではフランスではそれがないとクリスマスを迎えられない定番ケーキ、ビュッシュ・ド・ノエルを買って帰る人が歩いたりしていますが、冬の早い日も落ちるころになると、ぴたっと街が静止します。凱旋門やシャトレ付近などの観光地は別ですが、普通の街なかは本当に人っ子一人見当たらなくなるのです。
 この雰囲気、何かに似ていると思ってハタと気づきました。もう半世紀前、ぼくが子どものころの日本のお正月です。ともかく家族がみんな家にいて、一緒に過ごしていたころの。あのころは、どの家もお正月の準備というものをしていたものです。時間をかけてていねいに、心を込めて。家族が家族であるための大切な行事として。
 きっとあのクリスマスの夜も、パリのアパルトマンの中では、前の日から掃除をし、ささやかでも工夫して部屋を飾り、ていねいにクリスマス料理を準備し、一年に一度だけ暖炉に火を入れ、全員そろって家庭祭壇前でお祈りをし、何日も前から用意してあったプレゼントを贈りあい、乾杯をしてビュッシュ・ド・ノエルを食べ、信心深い家族は深夜ミサに出かけたことでしょう。

 2010年のクリスマスを、いつまでも忘れられないクリスマスにしませんか。もちろん、教会での行事や典礼をていねいに準備するのは言うまでもないことですが、今年はいつにもまして「イエナカクリスマス」を準備しませんか。この日こそは何としても家族全員集れと厳命し、部屋を片付けて家庭祭壇を飾り、よくよく考えて安くてもいいからきっと喜んでくれるプレゼントを全員分そっと用意し、時間をかけてスペシャルメニューの料理を作り、ミサから帰ってみんなそろったら家長はちゃんと短いスピーチとお祈りをし、取って置きのワインを抜いて乾杯をし、たまには全員そろった写真を撮ってはいかがですか。一人ぼっちでクリスマスを迎えることになる人をだれかお招きするなんてのも、ステキじゃないですか。ちゃんと招待状を出して。できれば、ミサにもお誘いして。
 クリスマスは、それだけの準備をするに値する、かけがえのない日です。
 いよいよ待降節。クリスマスも間近です。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

みんなの教会 みんなの委員長

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 「今年一杯で教会委員長の任期が終りますので、そろそろ次期委員長をお考えください」 夏の暑い盛りに突然そう言われてびっくりし、思わず問い返しました。
 「『お考えください』って、ぼくが選ぶんですか!?」

 多摩教会では創立以来、教会委員長を司祭が選び、依頼し、時には拝み倒して任命して来ました。本質的に言うならば、それは間違いではありません。カトリック教会は民主主義を大切にはしますが、それを最高の権威とするのではなく、あくまでも真の権威はイエス・キリストの教えを正しく受け継ぐ教会教導職にあると信じる組織です。教皇が司教を任命し、司教が司祭を任命し、司祭が委員長を任命するのはある意味で当然のことではあります。

 しかし、司教が司祭を任命する時にしても、いきなり司教が独断で誰かを選ぶわけではありません。大勢の信徒や養成者からのいわば「推薦」を受けて、最終的に司教の責任で叙階し任命するのです。教会委員長も司祭が任命するにせよ、そこまでのプロセスに教会全体が関るのが望ましいことは言うまでもありません。「司祭が選び、司祭が任命する」のではなく、「みんなで選び、司祭が任命する」というかたちです。ちなみに、わたしが過去に関った5つの教会はすべて後者のかたちでした。

 そこでこのたび、司牧評議会のもとに小委員会を設けて話し合ってもらった結果、新たな教会委員長選出の方法が提案されることになりました。正式には11月の司牧評議会で決定して発表されますが、簡単に説明すると、各地区から一名の教会委員長候補を推薦してもらい、推薦された人同士で互選して一名を決め、それを司牧評議会で承認し、司祭が任命するというものです。

 少々面倒に思うかもしれませんが、この方法のいいところは「みんなで選んだ」というところです。それは、思いのほか、教会全体の雰囲気を前向きにしてくれます。「教会委員長」は、教会法的に言うならば「司祭と共に教会活動を推進する信徒の代表者」という立場です。選んだほうも「私たちが選んだ代表」という責任を持ちますし、選ばれたほうも「みんなに選ばれた代表」という自覚を持てます。

 これを司祭が独りで拝み倒して任命するのでは、信徒全体が「まあ、可哀そうに、断りきれなかったのね」という意識になり他人事になってしまいがちですが、みんなで選んだ以上は、そうは行きません。教会委員長が困っていたら、「わたしたちが選んだのだから」と協力を惜しまないでしょうし、委員長の方も「あなたたちに選ばれたのだから」と、堂々と協力を要請できます。

 多摩教会の歴代の教会委員長は、いずれも能力と資質に恵まれたまさに適役と言える人選で、そのそうそうたるラインナップを見れば歴代の主任司祭がいかに的確な選択をして来たかが一目で分かります。しかし、教会委員長という奉仕を単に個人の能力と資質に頼っていては、そこにどうしても限界があります。教会はみんなで話し合い、みんなで助け合う共同体ですから、その代表である教会委員長をみんなで話し合って決め、みんなで助け合って支えていくならば、そのこと自体がとても教会的なしるしになるのではないでしょうか。
 次期委員長が「自信はありませんが、みんなに推薦され、みんなに選ばれ、みんなに支えられて、お引き受けします」と言えるように、みんなで話し合っていきましょう。主任司祭はその人を信徒の総意として全面的に受け入れ、信頼を持って任命し、共に働いていくことをお約束いたします。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

あぶう ばぶう

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 高校三年の冬でした。年末も近いころ、突然すばらしい考えがひらめきました。
 「そうだ、美大に行こう」
 何かを突然思いつき、思いついたら最後そうしないではいられないという性格上、滅多なことを思いついてはいけないことは分かっていましたが、ひらめいてしまったものはもう、どうしようもありません。その夜、仕事から帰ってきた父にその思いを話すと、この時期になっていくらなんでもいい加減すぎると思ったのでしょう、ひどく不機嫌な顔になりました。
 「何を馬鹿なこと言ってるんだ、世の中はそんな甘いもんじゃない。真面目によく考えろ。やりたいことだけやっていても、生きていけないんだぞ」
 父の言うことは全くその通りで、まともに反論も出来ず、しかし思いついてしまった以上、もはや引っ込めるという選択肢もなく、途方に暮れてうなだれているうちに涙がポロポロこぼれてきました。父はあきれ果て、「美術なんかやって、将来どうするつもりなんだ」と聞くので、これまた突然ひらめいて「子どもたちに福音を伝える絵本を作りたい」と答えました。
 その後、たぶん「あの子を信じてあげましょうよ」とかとりなしてくれたのでしょう、翌朝母が「お父さんのオッケー出たわよ」と伝えてくれました。喜んでその日のうちにさっそくデッサンの本と道具を買って来て、ウキウキしながら絵を描き始めた息子を、両親はどんな思いで見ていたのでしょうか。もっとも、その三年後には、この息子は「そうだ、神父になろう」と思いついてしまうわけですが。

 このたび、私の三冊目の絵本「あぶう ばぶう」が、ドン・ボスコ社のクリスマス絵本として出版されました。
 昨年、製作の依頼に来た編集者が、「うちの絵本、あまり売れないんですよ。なんとか受ける絵本を出したいんですが」というようなことを言うので、こうお答えしたのを思い出します。
 「お引き受けしますけど、売れるとか売れないとかはともかく、子どもたちに福音を伝える絵本にしましょう」
 何のことはない、三十年前と同じことを言ってるわけで、不思議と言うべきか当然と言うべきか、感慨深いものがあります。文章だけではあるけれども、ともかくも念願かなって「福音を伝える絵本」を作れるわけですから、何も遠慮することはありません。「内容はすべて、思いつくまま好きに作らせてもらいます」と申しあげたら、編集者は覚悟を決めたという顔つきで、「お願いします」と答えてくれました。
 そのときふと、生まれたばかりのイエスさまが、絵本を読んでる人に向かって両手を広げて語りかけている絵が思い浮かびました。そこで、「イエスさまを訪ねてきた人に、まだことばをしゃべれないイエスさまが福音を宣言するような話にしましょう」と言ったら、それはいい、ということになり、結局そのまんまの内容の絵本になりました。絵をお願いした、かにえこうじさんの絵は、まさにこのとき思い浮かべたまんまのイメージで、きっと子どもたちは強烈な印象を持ってくれるでしょうし、それが彼らの救いの原体験になってくれればと願っています。
 「子どもたちに福音を伝える」とは、何か福音について説明することではありません。福音を体験させることです。福音を語るのは神であり、その内容はひたすら神の愛です。神がわが子である人類一人ひとりに、ご自分の愛を伝えようとしているのですから、なによりもまず、そのお手伝いをする絵本にしたかったのです。そのシンボルとなるのが、イエスさまが絵本を読んでいる子供たちに向かって直接手を広げている場面です。ぜひこの場面を大勢の子どもたちに見てもらい、神さまに福音を語りかけられるという救いの体験をしてほしいと願っています。

 もうすぐ死者の月。第一日曜日には、五日市霊園の多摩教会墓地にみんなでお祈りに行きます。実は私の両親の墓も同じ霊園にあるので、ついでと言っては何ですが、お花を飾ってくるつもりです。そのとき、「あぶう ばぶう」もお供えしてこようかと思っています。「父さん、母さん、おかげさまで、子どもたちに福音を伝える絵本が出来ましたよ」、と。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

教会縁日へどうぞおいでください

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 古今の文化文明、東西の民族宗教でお祭りをもたないという集団はひとつもありません。わが家の誕生パーティーからワールドカップのような大イベントに至るまで、人類はいつでもどこでもお祭りを繰り返してきましたし、これからもこの世からお祭りがなくなることはないでしょう。なんなら「人間とはお祭りをする動物である」と定義付けてもいいかもしれません。
 祭りは「奉り」であり「祀り」ですから、その本質は神と人の交わりの機会です。普段は神を忘れがちな人間たちが、ひとときでも非日常の祝祭空間に身をおき、みんなで心をひとつにして祭礼を行い祝宴に興じることで、豊穣なる神の世界を体験し、神聖なる神とのつながりを取り戻すのが祭りなのです。
 この場合、日常の方が中心で、その日常を活性化するためにたまにはお祭りでもしようよ、というのが普通の感覚なのでしょうが、神との交わりということで言うならば実は非日常の方が中心なのですから、その非日常を本当の意味で大切にするためにこそ、日常の営みがあるというべきでしょう。まさに、人間はお祭りをするために生まれてくるのです。

 当然のことですが、キリスト教にも祭りがあります。いうまでもなくその中心はミサ聖祭であり、イエスの死と復活にその起源を持つ、キリスト教の究極の祭りです。しかし、ミサの聖性とその神秘は信仰によって受け止められるものである以上、一般の人になじみにくいものであることは事実です。ミサは本来的にすべての人のための宴でありすべての人を救う祭儀ではあるのですが、なじみにくいものである以上、そこへお招きするためには何らかの親しみやすい準備段階が必要でしょう。ちょうど神社のお祭りでも、奥の神殿で祝詞があげられている時に手前の境内では縁日が繰り広げられているように。
 司祭はその名のとおり祭りを司る者ですから、単にミサを司式するだけでなく、地域社会の人々をミサという祭礼へ招く奉仕をしています。当然のごとくこの「境内の縁日」に関心深く、力を注ぐことになります。それが、一般の人々を神の御許へとお招きする何よりの好機となると信じて。
 たとえば先日8月8日に開催したバイオリンコンサートなどは、だれもが「境内」に入ってこられるお祭りとして企画しました。パリオペラ座の高名なバイオリニストが身近な聖堂で天国のメロディーを奏でるということで、日ごろは敷居の高い宗教施設に大勢の人が「初めまして」と集ってくる様子に、心高鳴りました。
 そのとき、次は8月13日夕にだれでも参加できる納涼祭をしますというチラシを配ったら、そちらにも何人もの方が来てくれました。13日夜はもう聖コルベの日ですから、まず聖堂でコルベ神父の話をして、その後信徒館で乾杯をし、そうめんを囲んで楽しくおしゃべりしたのですが、そのとき複数の方が「この教会は居心地がいい」と言ってくれたのです。「居心地がいい」なんて最高のほめ言葉じゃないですか。そんな風に思ってもらえるなら、それこそ「お祭り効果」というべきでしょう。そこから「魂の居心地がいい」ミサ聖祭まで、あと一歩です。

 境内の縁日と言うなら、教会の場合は何といってもバザーです。地域の住民にとっても、ちょっとお得で何か楽しいという印象があるバザーは、すでにいわば「教会縁日」として認知されているわけですし、これを活用しない手はありません。ちょうど教会建設の借金も返済し終えたことですし、ここらでバザーの位置づけを明確にしようと、先日の司牧評議会でも話し合われ、今年のバザーは「地域に開かれたバザー」にしようということになりました。合わせてバザー実行委員会も発足することになりましたので、みんなで協力して「どうぞ、地域のみなさんおいでください」という、おもてなしの心こもったバザーにいたしましょう。
 ぜひ、それぞれの参加グループが、通りすがりにふらりと訪れてくれる人のことも考えた企画として、具体的に工夫してほしいと思います。現に入門係グループは、入り口付近に案内ブースを設けて、フレンドリーに声をかけたり聖堂のご案内をしたりするというような企画を考えています。おおまかな内容は例年通りだとしても、説明をていねいにするとか、応対を親切にするとか、ともかく歓待の精神あふれるバザーであってほしいのです。
 そんな教会縁日で多摩教会に親しみをもってくれた人が、それじゃあ今度、ミサというお祭りも覗いてみようかなと思ってくれたりしたら、どんなに素敵なことでしょうか。やがてその人は毎週来るようになり、ついには教会家族の一員となり、翌年のバザーでは案内係にもなって、「さあ、どうぞお入りください。実はわたしも去年のバザーで初めてこの教会を訪れて、親切にしてもらったんですよ」と言うことになるのですから。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

あなたの居場所が、わたしの居場所

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 辞書で「居場所」と引いても、たった一行「いるところ。いどころ」としか書いてありません。意味を説明すればそうなんでしょうが、実際にこの言葉を使っているわたしたちの実感としては、「居場所」は、単なる「いるところ」というだけではありません。もっと本質的でかけがえのない、人が生きていく上で欠かすことの出来ない特別な場所です。
 そこに自分がいていいところ。
 そこに自分がいてほしいと願われているところ。
 そこに自分がいることが自分の喜びでありみんなの喜びであるところ。
 手元の辞書では、居場所の用例としてひとつだけ「居場所がない」が載っていますが、もしも居場所がそのように他者から受け入れられるところであるならば、居場所がないということは絶望的に悲しい状況だということになります。それは、だれからもいてほしいと願われていないということになるのですから。

 東京教区の司祭の黙想会に参加してきました。「年の黙想」と呼ばれるもので、毎年約一週間行われるものです。今年の講師は、さいたま教区の岡神父様でした。岡神父様は、長年にわたり非行少年の世話をしてきた方で、現在も自分の教会にさまざまな問題を抱えた青年たちを住まわせ、彼らの更生に力を注いでいます。黙想会の講話の大半は、その青年たち本人が語る体験談で、毎日さまざまな青年たちが講師となって熱心に話してくれました。
 暴力団の家に生まれ、中学時代から暴力に明け暮れ、刑務所で8年間刑期を過ごして、出所後教会の友達を知り、回心して洗礼を受けた青年の話。
 非行に走り、少年院に送られる寸前に岡神父のところに預けられ、マザーテレサの所を始め数々の海外ボランティア体験によって立ち直った青年の話。
 薬物に手を染めて薬物依存症となり、入退院を繰り返した末に、薬物依存症当事者の自助グループ「ダルク」と出会って、そこの仲間に救われた青年の話、などなど。
彼らの話を聞いていて、ある共通点に気がつきました。
 彼らはもともと、とてもいい青年です。それこそ、神さまから尊い恵みをたくさん頂いて生まれてきたすばらしい神の子です。しかしその恵みは、悪い家庭環境や困難な社会環境、不運な偶発的環境によって閉じ込められています。ところが、ひとたび教会の友達や、ボランティアグループ、自助グループの仲間などの「良い環境」を与えるならば、それこそイエスのたとえ話にある「良い土地に落ちた種」のように、もとより備わっていた恵みが息を吹き返し、百倍の実を結ぶ。その良い環境のことを、彼らは口を揃えておおよそこんなふうに表現するのです。
 「あの仲間たちに出会えなかったら、今の自分はありません。それまで自分はみんなに嫌われ、だれからも愛されていないと思っていたけれど、彼らはこんなわたしを忍耐強く受け入れてくれました。彼らこそが、ついに見つけた自分の居場所でした。」

 今の若者たちは共通して「自分の居場所がない」という実感を持っています。ネットカフェ難民などはその象徴でしょう。でもそれは、大人も高齢者も同じかもしれません。家庭にも学校にも、職場にも社会にも、どこにも自分がいていい場所がない。現代社会は、居場所を失った放浪者たちの漂流社会と化しているのです。
 荒れ野のオアシスである教会は、まさに居場所を持てなかった、あるいは失った人たちの居場所であるべきです。居場所がないのは本人のせいではありません。なぜなら、他者から受け入れられる居場所を自分で作り出すことは出来ないからです。そんなこの世界にイエスが作り出してくださった究極の居場所こそが、教会なのです。
 そもそも、ペトロもパウロも、フランシスコもマザーテレサも、みんなイエスに招かれ、イエスに受け入れられて初めて自らの居場所を見つけた人たちでした。だからこそ彼らは、自らもまたイエスのようにみんなの居場所になっていったのです。わたしたちも教会という真の居場所を見つけることのできた恵まれた者として、多摩教会をみんなの居場所としていかなければなりません。
 みんなの居場所にするためには、自分にとって居心地がいい場所である以前に、どうしたらみんなにとって居心地のいい場所になるかを考えなくてはなりません。みんなが何を求めているかを知り、自分の時間と場所を削らなくてはなりません。でもそんな犠牲こそが、自分を生かすことにもなり、本当の喜びを味わわせてくれることになるのです。実は、だれかの居場所となれたときこそ、そこが自分にとっての真の居場所になるからです。
 「わたしの居場所はあなたの居場所」であり、「あなたの居場所がわたしの居場所」なのです。