連載コラム:「スローガンの実現に向かって」第30回

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第30回
「心のオアシスを求めて」

稲城地区 竹内 博年

 山歩きが好きな私たち夫婦。毎月1、2回は日帰り、あるいは3〜4日がけのハイキングに出かけます。
 重いリュックを背負い、汗みずくになり息を切らせながら足を引きずって一歩一歩頂上を目指して歩きます。喉はカラカラ。そんな時大好きな歌手さだまさしの「自分の重さを感じながら坂道を登る。いくつもの峠を越えて、もっともっと上を目指す」と心の中で唱えながら歩き続けます。
 それでも疲れきって、「もう一歩も歩けない」と、くじけそうになる頃、山あいの湧水に救われたことが何度もありました。(白馬、槍ヶ岳、燕岳、会津磐梯山、安達太良山、、。)冷たく清々しい湧水! 口いっぱいに含み喉をうるおし、顔を洗い、タオルを濡らし首に巻くと、不思議と元気が蘇り、再び歩き続けることができました。まさに「砂漠のオアシス」です。
 そして遂に頂上。雲上に見え隠れする山々、はるか下方に見晴らせる景色に、登りの苦痛は一瞬にして消え、天国に少し近づけたかのような神々しい気持ちがし、また次の挑戦へと誘われます。

 ところで、「砂漠のオアシス」で思い浮かぶのはシルクロード。「もっと若ければシルクロードを巡る旅もしてみたかった」と夢を馳せます。
 その昔、世界交易の要地だったシルクロードのオアシス都市は、人種、国籍、宗教、老若男女を問わず、あらゆる人々が旅の途上で憩い、交流しあった平和な聖地だったのではないでしょうか。
 現代では宗教・人種・国籍、信条の違いから、共存さえできぬかのように争いが絶えないのは何故でしょうか。
 私たちの日々の暮らしでも貧富の差、考え方の違い、病気や怪我などの悩みや都会の喧騒・人間関係のストレスから、家族間でさえいさかいが増え、日々暗いニュースばかり目に付き心の傷が絶えません。
 一見仲良さそうに振舞っている私たち夫婦にも、ちょっとした揉め事が途絶えることがありません。でも毎週のミサで、晴佐久神父様のお話を聞くようになってから、何故か二人とも、心癒され「だいじょうぶだよ」と励まされ、新しい週を歩み続ける元気を得ることができるようになりました。
 多摩教会は、私たちの心のオアシスとなりました。このオアシス、自分たちが救われるだけでなく、ひとりでも多くの方に味わって貰いたく仲間を増やせたらと願っています。

 教会に通うようになって思い起こしたことに、ボランテイア活動があります。
 学生時代、長崎で英会話教室の教師だったフランス系米国人セイガン夫人の教えです。
 「奉仕活動をする時間のない社会人は寄付金や現物寄付を! 寄付できなくとも時間と力のある学生たちは労力奉仕を!」と呼びかけ、当時頻繁に寄港していた米国海軍の軍艦が港に着くたびに、水夫たちを募ってバスを仕立て、孤児院の建物のペンキ塗りや慰問に駆り出していました。
 われわれ学生は通訳兼助手として参加。英語の実習にもなり、楽しみながらみんなに歓迎されるボランテイア活動を体験しました。
 多摩教会でも活発に続けられているボランテイア活動に、改めて向き合ってみたいと思っているこの頃です。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 「一緒にいるよ」

一緒にいるよ

主任司祭 晴佐久 昌英

 3月に釜石を訪問した際、このたびNPO法人となった「カリタス釜石」から、被災地でのボランティア活動のために新たに必要となった中古のワゴン車購入資金を依頼されたため、この誌上でも皆さんにご寄付を呼び掛けましたが、ひと月で無事に予定金額が集まりました。おかげさまで4月24日に、釜石へ直接お届けすることが出来ましたのでご報告するとともに、ご協力いただいた皆さんに心より御礼申し上げます。

 「ひと月以内に耳をそろえて持ってまいります」と、釜石ベースのスタッフに大見得切ったはいいものの、希望額が180万円という大金でしたので、果たしてどうなるかと思っていましたが、予想以上に皆さんが協力してくださり、結果的には245万円集まりました。多摩教会の皆さんはもちろん、ホームページ「福音の村」でも呼びかけたため、全国から、また海外からも送金してくださり、中には「クリーニングを我慢して」とか、「ガソリン代を節約して」という方もいて、頭が下がりました。

 復興にはまだまだ程遠い現状ですが、一方で応援したいという思いもまだまだあるということを知らされて、うれしかったです。ずっと続けてきた「神父がみんなの義捐金を直接届けに行く」という方法も、そんな皆さんと被災地をつなぐという意味で、それなりに効果的であることも改めて実感しました。お訪ねするのは、「思っているよ、一緒にいるよ」という思いのしるしであり、それこそが最も必要なことなのです。

 ワゴン車資金を受け取ったカリタス釜石のスタッフ一同は大変喜んでおりましたし、あっという間に集まったことにとても驚いていました。そして何よりも、自分たちが忘れられていないと感じることができたと、感激していました。

 その夜、ベースのスタッフみんなをお寿司屋さんに連れて行って激励会をしましたが、席上、ベース長がしみじみと言っていました。
 「活動が理解されずに落ち込むことや、先が見えずに不安になることもあるけれど、こうしてみんなに支えられていることを知ることで、何よりも元気が出ます。こうして会いに来てくれるだけで、どんなに大変でも大丈夫、きっとやっていけるって思えるんです」

 試練のとき、人は無力感にとらわれます。その試練が長く続くと、被災者はもちろん、被災者支援をしているスタッフやボランティアたちの心にも、無力感や徒労感が忍び込んできます。そんな現実を前に何もできない私たちもまた、いつしか無力感に支配されていきます。そんなときに何よりも大切なのは、「直接会うこと、一緒にいること」です。
 「人が独りでいるのは良くない」(創世記2.18)
 これからも、訪問し続けようと思っています。

連載コラム:「スローガンの実現に向かって」第29回

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第29回
「歌は最高の祈り、音楽は聖霊の湧き出るオアシスの泉」
私の信仰告白として

稲城地区 小俣 浩之

 聖霊降臨の祝日を迎える頃の季節が大好きです。
 瑞々しい若葉が生い茂り、優しい日の光がきらきらと輝いて、新しい息吹に満ち溢れ、まさに聖霊が天から降り注いでくるようです。そんなとき、天上で奏でられる優しい音楽に包み込まれるような気持ちになります。
 そして多摩教会というオアシスに近づけば、噴水のように飛び散る聖霊の飛沫をいっぱい浴びることになります。

 元来怠慢な私は、ときどきいろんなことがものすごく億劫になったり、煩わしくなったりもします。
 「このところ仕事、決して暇ではないしね、仕方ないよ」とか自分で言い訳を勝手に作りながら、ときには重い足を引きずりながらも、なんとか多摩教会にたどり着く。
 マリア様の前で挨拶をし、ミサにあずかり、次第に心が軽やかになっていく。ミサの後には教会学校の子供たちに囲まれて、一緒に歌を歌う。教会学校の子供たち、目をきらきら輝かせながら座っている。子供たちのすぐそばにイエス様がいらっしゃるのを感じる。聖霊に満たされる瞬間。
 そして疲れていた私はいつしか再生している。

 歌は祈り。
 祈る心とともに歌を歌うと、ものすごく透明な気持ちで神様の前に立てます。
 そんな心を子供たちの中にも育みたい。音楽を通して子供たちの感性も磨きたい。人々を柔らかく包み込む音楽のような優しい心を持ち続けて欲しい。
 そんな想いもあって、もう10年以上、多摩教会の聖劇を子供たちと一緒に作ってきました。

 新しい曲を作ろうとして恵み豊かな歌詞の言葉を前にしたとき、突如として優しい旋律が聖霊とともに天から降りてきます。
 天が開き、天上の音楽が微かに聞こえてくるようなその一瞬が訪れるまで、ピアノの前で悶々とする。聖劇の練習開始が迫っている。けっこう苦しい時間となります。しかし、この作業は召命だと思い、聖霊とともに運ばれてきた旋律、どこかに飛んで行ってしまう前に、なんとか音符というかたちに置き換えていく...。
 「ああ、この旋律、この歌は教会学校のあの子の声にぴったりだ」、
 「このメロディを教会学校の子供たちが全員で合唱したら、イエス様もきっと喜んでくれるだろう」、
 そんなことを思いながら、聖霊が耳元まで運んでくださった旋律をひたすら楽譜に書き留める。
 聖霊の湧き出る泉となる音楽の力、信じています。

 先日、多摩教会で洗礼を受けたばかりの旧友が、初めてミサで答唱詩編を独唱しました。たまたまその日は私がオルガンを担当。
 数十年前、高校時代に彼と始めたささやかな聖歌隊。いまは建て替えられてしまった昔の校舎の片隅にあった小さな聖堂での練習のことがよみがえる。あのときも私はオルガンを弾いて、彼の伴奏をしていた。
 私は自分の信仰を見つけ出す苦労を知らない幼児洗礼。彼は長い間探し続け、悩み続けていた。
 長い長い道のりを経て、その彼がいまや洗礼を受け、ミサで答唱詩編を歌っている。多摩教会の聖堂全体に彼の声が響き渡る。満を持して洗礼を受けた彼の歌声、祈りと信仰の証しに聞こえました。

 歌は最高の祈り。神に感謝。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 「光と、ことばと、水と、パン」

光と、ことばと、水と、パン

主任司祭 晴佐久 昌英

 ご復活おめでとうございます。新受洗者のみなさん、本当におめでとう。そしてすでに洗礼を受けられたすべての信者のみなさんに、改めて受洗おめでとうと申し上げたい。もうだいじょうぶです。みなさんは、神に救われました。
 
 洗礼式を含む復活徹夜祭は、4つの美しいシンボルで飾られています。
 一つ目は、光。
 光のない世界は考えられません。神は永遠の恩寵として光を創造し、限りない愛を持ってキリストを輝かせました。人を閉ざしているあらゆる闇を吹き飛ばすためです。
 司祭は復活のろうそくに新しい火をともすとき、高らかに宣言します。
 「輝かしく復活したキリストの光が、心の闇を照らしますように」
 みなさんの心にともった復活の光は、決して消えることなく輝き続けます。

 二つ目は、ことば。
 世界は神のみことばによってつくられました。そのみことばは、すべての神の子に「おまえを愛しているよ」と語りかけています。みことばであるキリストは、聖書を通して「おまえを永遠に愛しているよ」と語りかけています。
 神の救いの歴史と、主の復活の出来事が聖書で読まれたあと、司祭は説教において宣言します。
 「この救いの歴史は、みなさんにおいて完成しました。この主キリストは、みなさんのうちに復活しました」
 みなさんはみことばによってつくられ、みことばにおいて救われているのです。

 三つ目は、水。
 いのちの水、誕生の水、清めの水です。神から流れ出て、人を満たし、生きるものとする水です。みなさんは、「だれでも渇いているものはわたしのもとに来なさい」というキリストのもとに来て、この水に沈められ、この水から新たに生まれたのです。
 司祭は受洗者一人ひとりの名を呼び、水を注ぎながら宣言します。
 「わたしは、父と、子と、聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます」
 みなさんはその時、ほんとうの意味で生きるものとなりました。

 そして四つ目は、パン。
 神の愛の目に見えるしるし、キリストのからだであるパンです。受洗者にとっては初聖体拝領となるこのパンを食べることこそ、神の子の生きる意味であり、キリストの家族の一致の実現です。まさに「このパンを食べる者は永遠に生きる」のです。
 司祭は一人ひとりにパンを示し、「いままでつらかったね、ほんとうに、ほんとうによかったね」という思いを込めて宣言します。
 「キリストの、からだ」
 みなさんはこのパンを食べ、ついに神とひとつになりました。

 繰り返し、万感の思いで申しあげます。
 「洗礼おめでとう!」
 これ以上におめでたいことは、この世界には存在しません。

連載コラム:「スローガンの実現に向かって」第28回

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第28回

「帰国中年が出会ったオアシス」

日野・野猿地区 渡邉 顕彦

 「帰国子女」という言葉がありますが、日本国籍ながらも外国で生まれ育ち、齢40近くなった最近ようやく帰って来た私は、「帰国中年」というのがよりふさわしいでしょう。その帰国中年がどのようにして多摩カトリック教会に辿りついたのか、以下書かせていただきます。

 私が帰国したのは震災直前ですが、洗礼はその1年ほど前、カリフォルニアにあるプロテスタントのバプテスト系教会で受けておりました。カトリックではありませんでしたが、この南部バプテストの教会でも霊的に成長させていただいたと感じているので、帰国後も当然プロテスタントの教会に所属すると思い込んでいました。

 ただ社会全体の宗教に対する見方、そして教会内の空気も、日本と米国では相当違います。最近、米国で日本人クリスチャンの支援にあたっている方から残念な話を聞きました。米国でプロテスタント教会に入った日本人は帰国するとそのほとんど、約8割が所属教会を見つけられず、信徒の集いから離れてしまうそうです。昨年初めの私も帰国後一年経っても所属教会が決められず、あせっていました。

 そこで、教会を離れるくらいだったらせめてカトリックも見ておこうと、(おかしな言い方で申し訳ありませんが)当時の私としては一大決心に至ったのです。幼少時私がカトリック信者が大多数の国、フィリピンにいたということと、成人してから幾人かのカトリック信徒の方々との出会いがあったということもこの決断の後押しをしていたかとは思います。

 まずネット検索すると多摩教会がカトリックでは一番自宅に近いとわかりました。そして多摩カトリック教会ホームページを見ると、入門講座を週に何度も開いているということで、外部への福音宣教も熱心に行っているということが伝わってきました。ただ最初に来た日には、洗礼式の直後で入門講座は開かれてなかったのですが、突然おじゃましたお祝いの席でも神父様や信徒の方々にも温かく迎えていただいて、カトリック教会は敷居が高いという今までの認識を改めさせられました。

 その後入門講座に通い、改宗(転会)もすませました。多摩教会は私にとってはオアシスでありますし、別なたとえだと温かいオアシス、つまり温泉でもあります。日本に帰って、寒い中とぼとぼと歩いていたら突然賑やかな温泉宿が目の前に現れてびっくりしたという感じです。日本的な良さがあり、でも決して閉鎖的にならず常に外部に開かれて成長している、そのような共同体が今の多摩カトリック教会だと思います。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英

釜石ベースのために、中古ワゴンを贈りたい!

主任司祭 晴佐久 昌英

 いつも、被災地支援のためにご協力ありがとうございます。2月は福島を2回お訪ねし、3月は盛岡、宮古、大槌、釜石を周って来ました。
 福島の野田町教会でミサと講話をいたしましたが、震災で壊れた聖母像の代わりにと、昨年多摩教会が贈った聖母子像に再会することが出来ました。そのことでは信者さんも大変喜んでいて、1919年生まれという一人の女性は私の手を取って、「聖母子像の祝別式に多摩の皆さんが来てくれて本当にうれしかった、ご像にはいつも励まされています、今日こうして直接御礼が言えてうれしい」と、涙ながらにおっしゃってくださいました。

 岩手へは、皆さんからの義捐金を届け、各ベースのスタッフを励ましてまいりました。盛岡では、盛岡を基点にして三陸の被災地支援をしている信者のグループ「ナザレの会」のみなさんに義捐金を託し、宮古では2日間、一日目は宮古ベースのみなさんと、二日目は宮古教会のみなさんとそれぞれにミサをして、福音を語ることができました。
 宮古は3度目の訪問ですが、最初の訪問の時に知り合った中村せんべい店も訪問できました。ご存知、多摩教会の教会ショップで売っている南部せんべいを作っているお店です。津波で被災して一時はあきらめかけましたが、何とかお店を再開してがんばっています。でも、隣の人も去ってしまい、今が一番さびしいと言っていました。奥様はいつも晴佐久神父の本を被災者に配っている方なので、「恐れるな」などを十冊お届けしました。
 大槌ベースでは、私と叙階が同期の古木神父ががんばっています。大槌はまだベースが出来る前も含め4度目の訪問ですが、「こうして何度も来てくれるだけで、どんなに励まされるか」と言ってくださいました。多摩からの義捐金をお届けして、「神父さまご自身の裁量で必要な経費としてお使いください」と申し上げましたら、そういうのが何より助かると、大変喜ばれました。せっかく整備した大槌ベースですが、かさ上げのためにまた移転せざるを得なくなりました。ますますの応援が必要です。

 さて、釜石ベース、「カリタス釜石」ですが、ここへはもう10回近く来ていて何度目の訪問かも分からなくなってしまいましたが、相変わらずスタッフがみんな誠心誠意頑張っていて、本当に感心します。
 死者行方不明者1041名の街です。被災地が次第に忘れ去られていく中、被災者はいまだに癒えぬ傷を抱えて、孤独感をつのらせています。被災者間の格差も拡がり、弱者は取り残されていきます。釜石ベースは、そんな一人ひとりにていねいに寄り添う、「寄り添い型支援」を続けて、地元から圧倒的な信頼を勝ち得てきました。
 今回うれしかったのは、このたび、カリタス釜石がNPO法人として認可されたことです。私の親しい友人であり、ベースを実質的に支えてきた伊勢さんが副理事長として、ますます福音的な活動をしてくれることでしょう。このたび、その伊勢さんが私に、少し言いにくそうに、しかし「ノーとは言わせない」という眼力で、言いました。
 「ワゴン車が一台必要なんだけど・・・」
 わたしは反射的にお答えしました。「お任せください」。そう言うしかありません。そのためにお訪ねしているのですから。
 ということで、みなさんに呼びかけます。NPO法人カリタス釜石発足のお祝いに、ワゴン車を贈りましょう。必要なのは中古のハイエース(商用タイプ)で、後部座席がなく荷台が広いタイプのものです。現地にちょうどいい出物があって、それが180万円だということですので、みなさんのお志を託していただけませんでしょうか。なにとぞ、よろしくお願いいたします。
 もちろん、いつものように私が直接お届けします。4月は24,25日に釜石を訪問しますので、それまでに集めたいと思います。
 贈るのは単なる車ではありません。「あなたの悲しみを忘れていませんよ、祈っていますよ」という、まごころです。

連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第27回

「オアシス広場」

一ノ宮・関戸地区 吉村 征哉

 多摩教会にはよその教会からも信者さんがたくさん訪問してくださいます。カトリックだけではなく、プロテスタントや聖公会の兄弟姉妹も遊びに来てくださいます。そして、いろんなお話をさせていただくのですが、初めて来られる方などは、信徒館よりも、オアシス広場のほうがリラックスできるようで、ベンチでお話させていただくことが多く、今ではオアシス広場は重要なコミュニケーションの場となっています。

 先日遠くのカトリック教会から来られた姉妹がこんなことをおっしゃるんです。
 「晴佐久神父様の福音はすばらしいんですが・・・。私少し怖いんです」
 「ええ? それはなぜですか?」
 「だってすべての人が救われるんでしょ? それだと、私困るんです」
 「どう困るんですか?」
 「あまり・・・向こうに行ってから、お会いしたくない方もいるからです・・・」

 なるほどなぁ、もっともだと思ってしまいました。私にも思い当たるふしがないわけではありません。しかし、これは少し違います、心配には及びません。天国というのは、魂の平安が完全に得られる場所ですから、その人にとってイヤなことは何ひとつ起こらないんです。逆に言えば、イヤなことが起こるような場所は天国ではないからです。ここまでは、確かなことですが、これを具体的(?)に説明するのは至難の技で、実際天国がどんなところか、どんな構造になっているかは、誰にもわからないので困ります。

 月並みですが、ダンテの神曲を例にひいて、「神様のご配慮で、天国は複数の階層に分かれていて、似たような境遇の人、近い思想、価値観をもつ人に分かれて住んでいるので、貴方にとって困る人と一緒に暮らさなければならないことはないと思いますよ」と、ご説明したものの、果たしてこれで良かったのか悪かったのか・・・。

 でも、その姉妹は「安心しました」とその後メールで伝えてくださいましたので、私もほんとうに、安心しました。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英

ここで葬儀ミサをしてほしい

主任司祭 晴佐久 昌英

 この巻頭言は教会HPに載りますし、個人的な事情も含まれますので洗礼名だけで表記することにしますが、ミカエル君が亡くなりました。まだ若かったのですが、身寄りもなく、一人暮らしの突然死だったので、発見されたのは亡くなった二日後でした。
 つい最近多摩教会に転入したばかりでしたが、持ち前の人懐っこさと世話好きの性格であっという間に教会内の知り合いを増やし、様々な集いに顔を出して賑やかにおしゃべりをしていました。おやつの会で、色々とうんちくを語りながら、うれしそうにみんなにおいしいコーヒーを振舞っていた姿が忘れられません。信仰深く、自分の洗礼名にもしたように大天使ミカエルが大好きで、部屋には大きなミカエルのポスターが貼ってあったそうです。

 警察の検視が終わり、さてご葬儀等をどうするかということになるわけですが、いくら本人がカトリック信者であり、教会で是非葬儀ミサをして差し上げたいと思っても、ご遺族の意向がまず第一ですし、今回のように身寄りがないという場合は、行政の意向もからんできますから、勝手にするわけにはいきません。
 実はこれを書いている今日、その件で、彼に関わる市役所の担当者と電話でお話しできました。それによると、「来週の月曜日の午前9時に、役所の取り決めによって火葬することが決まったので、もしも何かお祈りをするのであれば、火葬前の10分程度ならできますよ」ということでした。
 それで、「教会は信仰の家族ですし、ぜひ聖堂で葬儀をして差し上げたい。前日の日曜日に、当教会で葬儀ミサをすることはできないか」と聞いてみました。すると、「それは費用がかかるので、できません」と言うのです。「いえ、もちろん、費用は教会が負担しますからご心配なく」と言うと、「お骨はどうするのですか」と聞く。「当日私が引き取って教会に安置し、しかるべき時にカトリック霊園の多摩教会共同墓地に埋葬します」と答えると、また「費用はどうするんですか」と言う。「もちろん、教会が負担しますからご心配なく。あの、申しあげている通り、私たち家族ですから」と答えると、何と返事は「上司と相談します」でした。
 数時間後に「ではよろしくお願いします」という回答をいただいてほっとした次第ですが、ともかく、このニューズが印刷されて発行される日曜日の午後、聖堂でミカエル君の葬儀ミサが行われることになりました。ここに転入する前に所属していた教会の神父と友人も来ることになりましたし、障害を持っていた彼を支援していたセンターの方たちも来てくださるそうで、少しは賑やかに送って差し上げることが出来そうです。きっと、一足先に天に召されたあのスーパーお人よしのミカエル君と、神さまのはからいによって出会えたわたしたちが、天の家族としてひとつに結ばれる、素晴らしいミサが実現することでしょう。

 役所の方と話していて思ったのは、やはり「信仰の家族」、「天の家族」というような教会の感覚は、なかなか世間ではピンと来ないだろうな、ということです。しかし、このバラバラで冷たい時代に、一番求められているのは、その感覚ではないでしょうか。その人がどういう人かということとは関係なしに、神さまが洗礼で結んでくれたんだからキリストの家族なんだという無条件なる絆こそは、個人主義や効率主義が極まり、すべてが「費用」に換算されるこの時代の、暖かい希望ではないでしょうか。
 もちろん、本人はもう天国ですから、どんな葬儀だろうと救いには無関係です。しかし、どんな葬儀をしているかを見れば、それがどのような「家族」であるかは一目瞭然です。
 ああ、ここで葬儀ミサをしてほしい、みんながそう思う教会は、良い教会です。