連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第25回

「荒れ野のオアシス教会」を目指して

加藤 由美子

 昨年の少し秋が深まる頃でした。多摩教会を見せてくださいと、訪れた写真家の方がいました。
 ヨーロツパ各地の教会を、撮り続けているそうです。
 聖堂を案内しながら、撮影旅行の話しを聞かせていただきました。
 ピレネーを超えスペインに行ったとき、途中の山間の教会で見も知らない彼に、やさしく、ほほえみながらスープを出して下さり、家族のように一緒に食事をしてくださったそうです。
 「よくいらっしやいました」という感じよりは、「お帰りなさい。 暖かいスープでも飲んでゆっくり休んでください」と感じたそうです。
 「撮影旅行はいつも車で移動します。借りた車がボンコツで、山道で動かなくなり、言葉も分からないで 困っていると、通りがかりの人が、麓まで行って自動車修理屋を連れてきてくれ、ほっとした」 ことなど話してくれました。
 旅行をしていると色んなことが起こり、途方に暮れることも多々あったようです。
 そのようにして、各地の教会を訪ね歩いているうちに、その教会から出てくる人の顔を見ていると、その教会がどんな 教会か分かるようになったそうです。
 多摩教会はどのようにうつったのでしようか。
多摩教会を訪れる方々に対して、私たちも写真家の方がピレネーの山間の教会で 出会ったように、おだやかに、ほほえみながら、「お帰りなさい」と 心から曖かく迎えることができますように。 祈りのうちに。

典礼講演会要旨について

カトリック多摩教会では、第二バチカン公会議開会50年「信仰年」にあたり、『聖書と典礼』の編集責任者で上智大学講師の石井祥裕(よしひろ)先生をお招きし、11月11日のミサ後に、「公会議による典礼刷新の意義と典礼奉仕、特に聖書朗読について」というテーマで約1時間の講演会を開催しました。参考までに講演会で配布された資料を下記のとおり掲載いたします。

2012年11月11日
カトリック多摩教会

『聖書と典礼』編集長 : 石井 祥裕 氏


第二バチカン公会議開会50年「信仰年」によせて
 <公会議による典礼刷新の意義と典礼奉仕、特に聖書朗読について>

はじめに

 第2バチカン公会議 (1962-65)から50年、その最初の課題に取り上げられたのは典礼刷新。
『典礼憲章』(1963)から現在のわたしたちの典礼生活は始まる。
しかし、この公会議による抜本的な典礼刷新の背景には、遠くには19世紀半ばからの、近くは20世紀初めからの典礼運動の歴史がある。近くからでも100 年。わたしたちが取り組んでいる課題には長い教会の歩みがあることを思い出しておきたい。

1.20世紀初めの呼びかけ

 19世紀半ばからヨーロッパのベネディクト会修道院では、古典的なローマ典礼のミサや聖務日課を柱とした修道生活を(それに結びついたグレゴリオ聖歌)を復興する運動が始まっていた。やがて、それは典礼の中に信徒の参加を積極的に呼びかけようとする方向に向かう。これらを受けて、教皇ピウス10世 (在位1903-14)は『教会音楽に関する自発教令』(1903)の中で次のような呼びかけを行い、典礼への「行動的参加」という言葉を初めて使った。

「神の家は、信者がキリスト教精神をその第一の、かつ不可欠な源泉から汲むために集まるところです。
この源泉とは、聖なる秘義と教会の公的祭儀的祈りへの行動的参加のことです」 (⇒典礼憲章14)

これに呼応して、信徒の典礼参加を全般的に推進しようという典礼運動が始まる。
「典礼はすべての信者の祈りである」との発見を軸として。

2.両大戦間の典礼運動の発展と深化呼びかけ

 第一次世界対戦後、典礼運動は共唱ミサの試みとともにドイツ・オーストリアで大きく発展。
 それらを通じて、典礼の意味が深く考えられていくようになった。

 a) 典礼によって教会共同体は建てられていく。

 b) 典礼参加をとおして、キリスト者個々人の全人的育成がなされる。

 c) 典礼は秘跡を中心とするが、ことばとしるしをとおして歴史的な神の救いの神秘を具現する。

 d) キリストの現存は聖体のみならず、あらゆる典礼行為に及んでいる。歌、祈り、聖書朗読……

 e) 典礼は、神のことばとの生きた交わり。信者が聖書をとおして神のことばと触れる現場は典礼

 f) 典礼は、教会生活のあらゆる活動と結びついている。それらの頂点にして源泉。

 h) 歴史的研究が示すように、典礼には変わらない本質的なものと変遷してきた要素とがある。

3.第2次世界大戦後、典礼改革と典礼生活の促進への歩み

 教皇ピウス12世(在位1939-58)は、これらの典礼運動や典礼の歴史的研究や神学的思索の展開を受け1947年の典礼に関する回勅『メディアトル・デイ』を発布し、典礼運動の基本的意図を認め、前進させた。
 今日につながる典礼改革は1950年代の聖週間典礼の改革から始まる。ただし、本格的に、教会刷新全般とのつながりの中で、抜本的な典礼刷新(典礼改革)と典礼生活の促進を全教会の優先課題としたのは第2バチカン公会議である。

4.典礼参加のさまざまな側面

 『典礼憲章』は、20世紀初めからの典礼参加というテーマを三つの側面から語る:

 1) 行動的参加   2) 意識的参加   3) 充実した参加

 これらを狙いとして上記2のポイントを考慮してすべての典礼祭儀が改められていった。

 教会共同体のメンバーは典礼奉仕のそれぞれの役割を果たすように ⇒ 行動的参加

 典礼における国語使用を原則とするように ⇒ 意識的参加

 これらを通じて、教会は神の民すべての典礼への「充実した参加」を目指す。

5.典礼における聖書を豊かにしたことと朗読奉仕の意義

1)典礼刷新の決定的な意義:聖書朗読と聖書に基づく歌がだんぜん豊かにされた。

  a) 主日には三つの朗読を基本 : 第1朗読 / 第2朗読 / 福音朗読
      (※第1朗読は大体、旧約聖書 / 復活節は使徒言行録)

  b) 聖書朗読の周期的配分(主日A・B・C年 / 週日2周年)

  c) 典礼暦年と聖書朗読の展開を改め、キリストの秘義の1年として明確化した。

    待降節・降誕節と年間のつながり

    四旬節・復活節のより教育的配分 (入信準備・回心の導き)
        聖書が告げる神の救いの計画、神賛美の伝統の中に一人ひとりが参加
        国語化は、聖書朗読の宣教的、教育的意義も強化した

  d) ことばの典礼と感謝の典礼とのつながりが明確化された。

    「二つの食卓によって教会は霊的に養われ、さらに教え導かれるとともに、ますます聖なるものとなっていく。
    神のことばにおいて神の契約が告げ知らされ、
    感謝の典礼において新しい永遠の契約そのものが更新される」 (朗読聖書の緒言10)

2)聖書朗読の意義

  a) 神が語る、キリストが語る
    「書かれたものとして伝えられた神のことばそのものによって、今もなお『神はその民に語る』」 (同12)
    「聖書が教会で読まれるとき、キリスト自身が語る」 (典礼憲章7)

  b) 神のことばを聞くこと
    「教会は神のことばを聞くことによって建てられ、成長していく」 (緒言7)

  c) キリスト者の神のことばへの任務
    「すべてのキリスト信者は、霊による洗礼と堅信によって神のことばの使者となる」 (同 7)

  d) 聖書朗読のしかた
    「聞き取れる声で、はっきりと、味わえるように読む朗読者の読み方が、何より、
    朗読によって神のことばを集会に正しく伝えることになる」
 (同14)

3)留意点

  a) 文字を音声にするだけの「読む」ではない「今語られる神のことばを告げる奉仕」

  b) 聞く奉仕 (『聖書と典礼』などの効果的使用法)

  c) 日本の教会の現状と課題:朗読後の対話句、朗読福音書など

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英神父

十字を切る

主任司祭 晴佐久 昌英 神父

 「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」
 幼いころ、初めて十字を切ってから今日まで、何回十字を切って来たことでしょうか。家庭祭壇の前で切ったり、食事の前に切ったり。苦しいときに切ったり、願い事をしながら切ったり。自らの叙階式で切ったり、亡くなった母親の枕もとで切ったり。そうしていつの日か、生涯最後の十字を切るときも来るのでしょう。十字を切る祈りは、いつも身近にあって、ぼくの人生を支え、導いてくれました。

 その恩返しという意味も込めて、この10月に、その名も「十字を切る」という本を出版しました。著作としては18冊目ということになりますが、今までで一番自分らしい本であると思っています。十字の祈りの切り方とその意味、十字の祈りの恵み深さとその尊い本質について様々な例をあげて解説したもので、ひとことで言うならば「十字を切れば救われる」ということが書いてあります。
 もっとも、「十字を切れば救われる」は言葉のあやで、決して十字を切るという行為が自動的に救いをもたらすということではなく、正確に言うならば「すでに救われていることに目覚めて十字を切り、十字を切ることでいっそう救いの喜びを深める」というようなことなのですが、いずれにしても、本の帯にも書いたとおり「あなたを救う、最短最強の祈り」である十字の祈りをもっと広く知ってもらいたい、それによって神の愛にもっと深く目覚めてもらいたいという、熱い思いで書いたものです。
 なるべくわかりやすく、読みやすく書いたつもりですが、早速都内の方からこんなお便りをいただいて、大変うれしく、励まされました。
 「初めてお便りさせて頂きます。昨日、今回お出しになった『十字を切る』を拝読いたしました。素晴らしい内容にひきつけられ、一気に読み通しました。生まれてこの方初めてです。幼児洗礼で齢七十八歳になろうとする私ですが、これほど深く考えて十字を切って居りませんでした。本当に有難うございました。神さまからのプレゼントとも思って居ります。あまりの感動に一言御礼申し上げたくてペンをとりました・・・後略」
 「生まれて初めて、一気に読み通した」というところが特にうれしかったのです。それだけ読みやすいということですし、それだけ感動があるということですから。数限りなく用いられながらも、常に無造作に扱われ、日ごろちゃんと顧みられていない十字の祈りも、さぞかし喜んでくれているだろうと思います。

 カトリック教会は普遍教会ですから、常に「いつでも、どこでも、だれでも、どんな場合でも」通用する教えであるべきですし、そのためにいつも普遍的なことば、普遍的なかたちを模索し、工夫し続けています。カトリック(普遍)は、カトリックをめざすことにおいてのみ、カトリックでありうるということです。ぼくも、そのような普遍的な福音を語ることに関しては職人芸、名人芸のような領域をめざして来ましたが、その意味ではこの十字の祈りほど普遍的な福音を秘めているものはなく、これまでの経験からも、これほど便利で効果的な道具はないというのが実感です。
 苦しみのさなか、もはや祈る言葉もないという時があります。疲れ果てて、もはや何かする気力も残っていないということもあります。死を目前にして、もはやなすすべもないという瞬間もくるかもしれません。そんな時、最後の最後に残るのは、単純で、それでいて究極の希望をもたらす十字の祈りなのです。

 日本には法然と親鸞という、それぞれ浄土宗、浄土真宗の偉大な開祖がおります。この二人は、すべての人が「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われる、それこそが弥陀の本願であるという、まさに普遍の極みとも言うべき教えをもって、衆生を救ってきました。日本人はこのような普遍性に対する、優れた感性を持っている民族です。当然のことながら、十字の祈りの普遍性をも深く理解し、その本質を受け入れる力も持っているに違いありません。

 すべての人が神の子であり、神に愛されて生きており、どんな悪人もその愛の中を生きているし、だれでも十字を切って神の愛に目覚めるならば、そこに救いが現実となるというこの祈りの心は、現代の日本が最も必要としているものです。
 いつの日か、日本中でごく自然に十字を切る姿が見られることを夢見つつ、みんなで十字を切り続けようではありませんか。
 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。


※ホームページ内、「晴佐久神父:新刊のお知らせ」でもご紹介させていただいております。宜しければご覧ください。

連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第24回

教会の奉仕こそ「荒れ野のオアシス」そのものである

ヨセフ 下津 秀則

 私たち家族が多摩教会を知ったのは、11年ほど前、妻が鎌倉街道を運転中に多摩教会の十字架を見つけた時でした。早速、主任司祭の宮下神父様に電話で連絡を取ったところ、「是非、ミサにいらっしゃい」と言われ、次の週の日曜日にその当時小学校低学年だった息子と3人で多摩教会を訪れました。当時は、ミサでも空席が目立ち、現在よりもはるかに人数が少なかったこともあったのでしょうが、「新しい家族が来た」と大歓迎を受けました。その日は、当時年2回行われていたバザー(聖霊降臨祭)の当日で、暖かい雰囲気を肌で感じることができました。
 こうして、私たち一家の日曜日の予定として、教会のミサが組み込まれ、2002年の復活祭に妻が、2003年には私が洗礼を受け、引き続いて息子も洗礼を受けました。
 息子が教会学校に通うようになったある日、教会学校担当のシスターから妻が呼ばれ、「教会学校を手伝ってくれないか」と言われました。それをきっかけにして、私も教会学校を手伝うようになり、もう10年近く教会学校を担当させていただいております。
 教会には、教会学校以外にも様々な活動があり、無償の奉仕で成り立っているのは、ご存知の通りです。例えば、侍者、先唄、朗読、オルガン、ミサの受付、会計、アンジェラ、受付当番、病者訪問、軽食サービス、教会掃除、葬儀の担当、霊園担当、カトリックニュース、祭壇のお花、バザー委員、地区委員、営繕、教会のホームページ、オアシス、入門係、総務など非常に多くの人たちが関わっています。しかも全ての人がボランティアです。
 私は会社員ですが、会社では賃金が支払われるからこそ仕事をするのであって、無償の奉仕と言う事は考えられないことです。この無償の奉仕によって作り上げられる世界こそ、「荒れ野のオアシス」そのものではないでしょうか。多摩教会=荒れ野のオアシスと考えるならば、信徒がミサや教会活動を担当することによって、オアシスから救いや癒しを頂いているのだと思います。そしてまた、奉仕する人々は、教会への奉仕によって、無上の喜びを感じているのです。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英神父

あなたはもう救われている

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 私の神学校での卒業論文は、「救済論」に関するものでした。
 「救いとは神に還る大いなる潮流のようなもので、私たちの意識と意思はその潮流の中に生起している。その救いの潮流に目覚めることが生きる意味であり、目覚めて初めて私は真の私になる。それこそがキリストの道であり、救いである」というような趣旨のもので、その2年ほど前に体験した自らの救いの出来事を何とか言葉にしようとしたものでした。
 その出来事とは、信仰を見失って絶望し完全な闇に飲み込まれたにもかかわらず、恩寵の光によって救われたという体験ですが、それは「救いが与えられた」というよりは、「もとより救いの内にあったことに目覚めた」というような強烈な覚醒感を伴った体験であり、そのとき、「神であり人である」キリストの意識とはそのようなものだと直観したのです。
 以来、救いとは、今はここにない架空の救いを求めることではなく、今すでにここにある現実の救いに目覚めることだという確信を深めて、「神の愛、キリストの恵みによって、あなたはもう救われている」という福音を語り続けてきました。

 第二バチカン公会議開催50周年と『カトリック教会のカテキズム』発布20周年を記念して、本年10月11日より2013年11月24日までを「信仰年」とすることになりました。これは、現代の教会がある意味で危機的状況にあり、それを克服する契機とするためです。確かに、信仰生活の低下や、秘跡への参加の減少、信仰の本質が見失われつつあること、神の国の世俗化などなどの現実は「危機的」と言えるかもしれません。しかし、それを克服するキリストの道を教会はすでに知っていますし、あとはそれを信じて歩むだけです。その道とは、救いの宣言、すなわち福音の宣言です。
 福者ヨハネパウロ二世は、回勅『救い主の使命』の中で次のように語っています。
 「わたしたちと同様に、キリストの御血によってあがなわれながら、神の愛を知らずに生きている何百万人の兄弟姉妹がいることを考えるなら、落ち着いてはいられません」(86番)。まさに、「すでに救われている」のにそれを知らない人にそれを伝えるのは、キリスト者の第一の使命であるはずです。わたしたちはすでにキリストの来られた新約時代を生きているのですから。
 50周年を迎えた第二バチカン公会議の意義については様々な側面から語られてきましたが、私に言わせればその第一の意義は、特殊な条件に閉じ込められていた「救い」の普遍化だったのではないでしょうか。公会議は、閉ざされていた「救い」を開いたのです。神の無限の愛による大いなる救いのわざを、特定の宗教、相対的な教義、特殊な儀礼、この世の戒律、人間の基準に閉じ込めることが、どうしてできるでしょう。
 イエスは言いました。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12・32)。すでにイエスは十字架によって「すべての人」の罪をゆるし、地上から上げられて「すべての人」を救ったのであり、復活の主に促された弟子たちは、それを宣言するために全世界に出発したのではなかったでしょうか。
 

 「すべての人は救われている」という真に普遍的な福音を原点にすることこそが、危機を克服する第一の方法です。20周年の『カトリック教会のカテキズム』も、控えめながらもそのことに触れています。「教会はだれ一人滅びることのないように、『主よ、あなたから離れることのないようにしてください』と祈ります。確かにだれも自分で自分を救うことはできませんが、これと同じく確かなことは、神は『すべての人が救われること』(1テモテ2・4)を望んでおられ、神には『何でもできる』(マタイ19・26)ということです」(1058)
 6月号で書いたように、このような普遍的な救い「天の救い」に目覚めることこそが、この世における救い「地の救い」です。これについては、最近ちょうどそれについて触れた説教がラジオで放送されたこともあり、多くの方から「救われた」「目が開けた」という反応を頂いています。信仰年を、ぜひこのような普遍的な救いの福音を強調する一年としましょう。それこそが、人々を、神の救いの目に見える最高のしるしである洗礼の秘跡へ導く王道です。
 自分は救われないと感じている何万人もの兄弟姉妹が多摩市にいることを考えるなら、落ち着いてはいられません。

連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第23回

≪ 優しい支えあいで育むもの ≫

志賀 晴児

 多摩教会に転入して先ずは晴佐久神父様の真摯な宣教姿勢、抜群の行動力と魅力的な個性に感動しました。日頃の出来事や感じたことなどを交えて、一人一人に率直に語りかけられる《オール・アドリブ》の生きたことばでのお説教に毎回聴き入っています。当意即妙、簡潔明解、優しさ、暖かさ、「これはホンモノだ!」と多くの人にお話の内容を理解、納得されるために、神父様はさぞや日常の心構え、準備に加えて、心身の健康を大事にしながら、みことばへの感性を磨いていらっしゃるに違いないとお察ししています。

 一信徒の自宅でのごミサからスタート、マンションの「一室聖堂」から現在の姿に至るまでの長い年月、大変な協力を積み重ねて今日の多摩教会を築いてこられた先達の方々のご努力に感謝しながら、様々な分野でのベテラン揃いのこの教会で、信仰はもとより人生の指針あれこれを是非学びとりたいと思っています。

 幅広い年齢層の信徒の中には一人で何役もの教会奉仕活動に専心されている働き盛りの若い方々も居られます。人生で誰でも避けられない辛い時、悲しいの時の心温まる支えあいも耳にします。これらはいずれも受洗からの長い年月、何か所もの信仰共同体を旅してきた私にとって正直、素晴らしく新鮮な印象です。

 マリア様と聖コルベに愛され、「荒野のオアシスを目指す多摩教会」は、今、着々と歩み続けています。数々の教会活動の中でもユニークな実例は、地区のご婦人方の献身的な奉仕で毎週提供されている軽食サービスです。全く初対面の方々とも同じテーブルで気軽に声をかけあえる雰囲気は素晴らしい! また、どなたでもどうぞと呼びかけ実施されている「おやつの会」では、共にわかちあい、心を通わせるオアシスがすぐ身近に存在しています。お互い直接顔を見合わせて、優しいことばを掛け合う小さな一歩がきっと大きな進歩へと広がります。
 繁栄の隅に追いやられている貧困、寂寥、恐れ、不安、孤独の現実社会にあって、神様への信頼の上に築かれる心のつながり、喜びの時にも悲しみの時にも継続する、暖かい、優しい支えあいこそが大切です。そこに心の安らぎの拠点、広い地域社会の希望のオアシス教会、愛の信仰共同体が実現することでしょう。

 内外ともに天災、人災相次ぐ厳しい現実の世界ですが、晴佐久神父様がよく口にされる「ホラ、ヤッパリデショ、モウダイジョウブデス」のことばに励まされて一致協力、岩手県大船渡の医師で信徒の山浦玄嗣先生が話されているように、心の耳を澄まし、イザという時にも絶対の信頼をもって天のお父さんに全てをお任せすれば、《ようがす、ひぎうげた!》と言ってくださるに違いありません。

 荒野の現状の全ては時の流れとともにやがては誰からも忘れ去られて行くでしょうが、共に築き上げる信仰の絆、眼には見えない健やかなつながりは、時空を越えた永遠の天国にしっかりと記録される筈です。「信頼と希望」をもって日々を過ごしましょう。

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二口さんを偲んで

吉良 元裕

 去る8月19日、長い間、教会のために尽くしてくださった二口輝子さんが帰天されました。7月頃から体調を崩されていたので、しばしばお電話をしたり、時には部屋をお訪ねしたりしましたが、そのたびに「大丈夫だから心配しないで」とのことで、結局何もしてあげられませんでした。市の福祉関係の方も何度か部屋をお訪ねになったようですが、やはり同じ反応だったそうです。他人の援助を断って、たった一人で病気に挑んでいたことを思うと、切なさで胸がいっぱいになります。
 私が二口さんと最初にお目にかかったのは14年前、まだ聖堂ができる前のことでした。信徒館2階で開かれていた聖書講座を初めて訪れたとき、入り口でとまどう私に、「はじめて?」と声をかけてきたのが二口さんだったのです。二口さんは私を席まで案内して、講座の概要や教会のことなどを詳しく教えてくださいました。緊張しきっていた私は椅子に腰かけ、ひと息ついた時に、やっと「こんな自分でもここに来ていいんだ」と実感したものでした。
その後も折りにふれ神様との向き合い方などを分かりやすく指導して下さった二口さんは、まさにこの教会と私を結んでくださった方でした。
 今年の受洗に向けての個人面談では、晴佐久神父様にそんなお話をして許可を頂き、二口さんに代親をお願いすることになりました。異性の代親というのは異例のことだったようですが、今となっては貴重でかけがえのない素晴らしい思い出となりました。
 受洗後もたびたびお目にかかって、食事をしながら、たくさんのお話を聞かせて頂きました。毎週神父様にお弁当を届けていることや、夜になるとブルーに浮かび上がる多摩教会の大きな看板のことなど。中でも看板については「私が神父様にお願いしたのよ」と、とてもうれしそうに何度も話してくださいました。
 その他にも、フィリピンの貧しい子供たちのために毎月、大量の学用品、文房具を自ら箱詰めして送っていたことや、横浜の教会を通じてホームレスの方々のためにたくさんのお米を届けるなど、様々な奉仕をしていらっしゃることもこっそり話してくださいました。そのほとんどは生活を切り詰め、労力を惜しまず、見返りも一切求めない支援で、なかなか真似のできることではありませんが、これらの行いを他人に知られるのを非常に嫌う、謙遜な方でした。
 帰天された後、40年前二口さんに洗礼を授けた戸塚教会のバーク神父様をはじめ数名の神父様が二口さんのためにミサを捧げてくださったと聞いています。亡くなるときは一人だったけれど、多くの神父様や教会の皆さん、そして神様に愛されて、とても幸せな人生を歩まれたのだと今しみじみ感じています。
 生前よく「私は天国へ行けるかしら」とおっしゃっていた二口さん。もちろん今は天国ですよね。イエス様のスリッパの履き心地はいかがですか?
 私がこうしてこの教会の一員でいられるのは、すべてあなたのお陰です。本当にありがとうございました。あなたと過ごした日々は決して忘れません。
 いつかまた会いましょう。

お知らせ:教会での葬儀について

教会での葬儀について

典礼委員会 竹内 秀弥

 この度、信徒の方から教会の葬儀について、一般的にどのように考えて行動すべきか教えて欲しいとの問い合わせがありました。地方によってまた教会によって多少の違いはあるようですが、多摩教会の典礼部として考えていること、実際に行っていることをお伝えします。

 キリスト者は、人間の死をイエス・キリストの死と復活に結ばれる出来ごととしてとらえ、永遠のいのちに招き入れる神のわざであると信じています。ですから、死者がキリストと共に永遠のいのちに迎え入れられるように神に祈ることは、キリスト者の使命でもあります。
 教会はひとつの家族ですから、たとえよく知らない間柄であっても、キリストによって結ばれた我が父母であり我が兄弟であるとの原点に立って、ご遺族やご友人と共に祈り、葬儀のお手伝いをすることを大切にしています。
 葬儀はご遺族の方の意向に沿って行われますから、時には近親者のみで見送りたいと希望される場合もありますが、それは教会の皆さんに迷惑をおかけしたくないと遠慮しての場合が多く、実際には多くの方が参列すると本当に喜ばれるものです。通夜、葬儀ミサに一人でも多くの信徒が参列し、共に祈り聖歌を歌うことによって共同体としての一致が生まれますし、そのような姿は一般の参列者に教会が本当の家族であることを知らせることにもなります。
 自分の葬儀のことを考えても、大勢の信仰の家族に囲まれて祈ってもらえるのはうれしいことなのではないでしょうか。
 多摩教会の葬儀には、イエスのカリタス修道会のシスター方が必ずと言って良いほど、参加されていることもあり、山口院長にどのように考えて参加されているのか伺ったところ、次のようにお返事くださいました。
 「私どもの創立者は、亡くなられた方のためにお祈りすることを勧めてくださっていました。教会の葬儀というものは、死者のために祈ることはもちろんのこと、悲しみの中にあるご遺族の方々に神が慈しみを注いでくださるように祈り、亡くなられた方がキリストの復活に参与されたことを想い起こし、私たちもキリストの死と復活に与ることが出来るよう、共に心を合わせてお祈りさせてもらっています。こういった観点から出来るだけ参加させていただいています。」
 親しかった方の時はもちろん、あまり交流のなかった方の時も、教会の葬儀には時間の許す限り参列して頂きたいと考えております。
 服装についてのご質問もありましたが、仏式神式のような厳格な決まりはありません。一般には黒色を基調としていますが、勤務先などから直接参列する時もあり、固く考える必要はありません。祭壇周りの生花などもご遺族の方の希望に合わせて、暖色系の明るい色が使われることも多い昨今です。お花料については、必ずしも必要ではありません。参加することがより大切なことと思います。
 いずれにしても、大切なのは、わたしたちは一つの家族だという信仰です。参列した人が皆、本当に神の愛と教会の暖かさを感じられるような葬儀を心がけたいと願っています。